【麻美side】
佐知姉と千葉さんを会わせてから、私は千葉さんに連絡をした。
【今日はありがとう。佐知姉が強い言葉言ってごめんねって言ってたよ!千葉さんも私がわがまま言ったのにごめんね!】
【全然それは気にしなくていいよ】
【学校の同級生と会うなんてビックリしたでしょ?】
【ああ、まさか会うなんて思ってなかったからそりゃあ驚いたよ】
千葉さんはメールの中では普通だった。
だから私も、大丈夫だと思うようにしていたんだけど……。
【今度また時間ある時に佐知姉を紹介するね!】
【あーでも大丈夫だよ!ちょっとこっぱずかしいのもあるしな】
千葉さんから来た返信は、どこか遠ざけるような言い方だった。
目の前に貼られた透明なシート越しに、心がそっと押し返されたような、そんな感覚。
あの時、千葉さんが佐知姉のことを“佐知”と呼んでいたことを私は聞き逃さなかった。
名前で呼ぶほど仲が良かったのか、それとも千葉さんの性格上、いろんな人を名前で呼んでいただけなのか──
本当は聞きたかったけれど、怖くて聞けなかった。
私は中学生の頃、付き合っていた彼氏をよく家に連れてきていた。
でも、決まって佐知姉の顔を見ると、目を大きく見開いて、まるで眩しいものでも見つけたようにキラキラとした顔をする。
そしてそのあと、彼らは必ず「またお姉さんに会わせて」と言った。
佐知姉はそれくらい魅力的で、モテる人だった。
ただそこにいるだけで目を引く、太陽みたいな人。
当時は、その言葉を聞くたびに、恋愛ってこんなちっぽけなものなんだなって思った。
だから私は、恋愛することがバカバカしいって、どこかで思っていたのかもしれない。
そんな冷めた目で恋愛を見ていたとき、彩乃に出会った。
彼女はひとつの恋に全力で、その人に振り向いてほしいからって、恥ずかしがることもなく努力をしていた。
私は、恋をする彼女を見るたびに、輝いて見えた。
自分にない色を、彼女はたくさん持っていて、まぶしかった。
恋愛って、そんなにいいものなのかな。
彩乃の影響でそう思うようになってから、千葉さんに出会った。
最初はそんなつもり微塵もなかったんだけど、千葉さんの優しいところや、クラスの人たちよりも大人びていて落ち着いているところに、いつの間にか惹かれてしまった。
そして佐知姉に紹介したのも、もちろん大事な佐知姉に知ってもらいたいからという気持ちからだった。
でも──本当に少しだけ、不安があった。
もし佐知姉のことを見て、いいなと思ってしまったらどうしよう。
佐知姉の方が魅力的だと気づかれてしまったら……。
そんな黒い想像が、一瞬でも胸をよぎった自分を責めるように、心の奥がちくりと痛んだ。
不安な気持ちのまま佐知姉を紹介してしまったから、過剰に反応してしまったんだろうか。
たしかに佐知姉と千葉さんは同じ歳だし、佐知姉のまわりの同級生は、あんまり地元を離れる人がいないって言ってた。
出会うことがあっても、おかしくはない。
『麻美ちゃんが不安に思うことはなにもないよ』
私は、千葉さんが言ってくれたその言葉を信じる。
佐知姉も大好きだし、千葉さんも大好きだ。
「大丈夫、だよね……?」
──それから週の土曜日がやってきた。
今日も千葉さんのお家に行くことになった。
外で遊ぶのも好きだけど、家の中でふたりきり、ゆっくりとした時間を過ごす方が、私は好きかもしれない。
「おじゃまします……」
玄関を開けると、千葉さんが優しい笑顔で迎えてくれた。
今日は私の方に予定があったから、午後から千葉さんの家に来た。
「お菓子とココア入れたから、のみな」
「ありがとう、千葉さん……!」
リビングに入ると、千葉さんは映画を見る準備をしてくれていた。
今日は、私が観たいと言っていたDVDを、わざわざ借りてきてくれたらしい。
「楽しみだな~」
ご機嫌にそう言ったとき、ふと視界の端で、本棚がかすかに揺れていた。
「わ、危なっ……!」
次の瞬間、ガタンッという大きな音。
重い本棚が傾き、棚に差してあった雑誌や書類、そして写真が床にばさっと散らばった。
「うわあっ!」
思わず声が出た私に、千葉さんがすぐ駆け寄る。
「大丈夫?怪我はない?」
「うん、大丈夫」
膝をついて床に手を伸ばしたとき、指先にふれたのは、一枚の写真だった。
「これ……」
それは、千葉さんと佐知姉が並んで笑っているツーショット。
ふたりとも制服姿で、学校で撮ったものだとすぐにわかった。
「……え?」
指が震えた。
空気が、急に重くなった気がした。
「なんで、佐知姉がここに……」
呆然と立ち尽くす私の前で、千葉さんの表情が凍りついた。
言葉が出ないほど、動揺していた。
「お姉ちゃんと……佐知姉と付き合ってたの?」
あまりにも長い沈黙に、もう答えは、わかっていた。
だって、こんなの、恋人の距離以外にあり得ない。
その写真を大事に持っていたということは──
千葉さんの心の中にも、まだ佐知姉の存在が残っていたんだろう。
「なんで、言ってくれなかったの……?」
千葉さんは、視線を落としたまま、小さくつぶやいた。
「……もう、終わったことだったから。言わない方がいいと思ったんだ」
きっと千葉さんは、大人だから、容量よく考えたんだろう。
ことを荒立てない、一番の近道を選んだんだ。
でも……言ってほしかったよ。
知らないままで笑ってた自分が、今は情けない。
そうやって隠される方が、よっぽどショックで、傷つくよ。
涙があふれそうになるのを、私は必死でこらえた。
「もう、今日は帰るね……」
振り返って、玄関のドアに向かう。
「麻美ちゃん……!」
名前を呼ぶ声を背に、私はカバンをつかんで、逃げるようにその場を立ち去った──。