【千葉遠也side】
『もう、今日は帰るね……』
彼女の悲しそうな顔がずっと頭の中に残っている。
麻美ちゃんは俺と、佐知が映っているツーショットを見てなにを思っただろう。
「傷つかないわけ、ねぇよな……」
麻美ちゃんがお姉ちゃんを紹介したいと言ってくれた時、嬉しかった。
大事なお姉ちゃんだと前から聞いていて、本当に仲がいい姉妹なんだろうなと思った。
それがまさか佐知だなんて思いも知らず。
高校生の頃、付き合っていた佐知と再会した時は驚きすぎて言葉が出なかった。
それと同時に思ったんだ。
このことは麻美ちゃんには伝えない方がいいと。
幸い向こうも同じことを思っていたようで、なにもない“ただ学校が同じだった人”として通すことにした。
もう会うこともないだろう。
佐知とは会いたくない。
──いや、違う。本当は、会いたくなかったわけじゃない。
ただ、あの頃の感情がぶり返すのが怖かっただけだ。
胸の奥の、蓋をしていたはずの部分が疼き出す気がして。
そうなるのが怖くて、向き合うことを避けていた。
俺は麻美ちゃんを大切にする覚悟でいる。
だから真実を伝える必要はないと自分の中で思ってしまった。
それなのに、麻美ちゃんは真実を知ってしまった。
隠されていたことを知ったら余計に傷つけるに決まってるのに……。
「どうして俺はいつも選択を間違うんだろうな……」
高校生の頃、大好きだった佐知とは悲惨な別れ方をして終わった。
あの頃の自分は若くて、青くて信じてもらえなかったことが許せなかったんだ──。
佐知と付き合い出してから、俺の毎日は少しずつ変わっていった。
今まで付き合いでダチと一緒にいたけれど、正直、自分の本当の心のうちを明かせる人間なんていなくて、心はここにないのに楽しんで笑ってそんな生活を繰り返した。
笑い声の中に、自分の声が混ざっていても、それが嘘みたいに感じることもあった。
帰り道、ひとりになるといつも疲れて、どっと虚しさに押し潰されそうになった。
一緒につるんでいる仲間も悪いヤツじゃないのに、どうしてか心を開くことができない。
俺は冷めてるんだろうな……。
きっとどこか欠如しているんだ。
そんなことを考えていた時に佐知と出会った。
あの頃の佐知は、いつもひとりで、寂しそうでどこか遠いところにいるように見えた。けれど、今は違う。
廊下の窓から春の風がふわりと入り込む。
その風に髪を揺らして、教室の前に立つ佐知を見つけると、自然と声が出た。
「おはよ、佐知」
手を軽く振りながら歩いていくと、彼女が少しだけ照れたように「……おはよ」って返してくれる。
その控えめな声も、ちゃんと届いてくるのが嬉しかった。
俺は彼女の教室の前でいつも通り立ち止まり、手を差し出す。
「行こ」
一瞬ためらうように、彼女が手を見る。
「でも手……」
わかってる。佐知は気にするんだ、周囲の目を。
でも、俺はそれでも構わず手を差し出す。
「こうしてる方が、誰も佐知のことイジメたりしないだろ?」
それは本心だった。
学校で“人気者”って言われてる自分の立場を使ってでも、佐知を守りたかった。
繋いだ手が小さくて、細くて、だけどあったかくて。
その手を感じるたび、ちゃんと守れてるのかなって、少し安心できた。
教室に入れば、クラスメイトたちがまだたまに佐知のことを悪く言ってくることも知っていた。
けど、俺がそばにいる時はなにもしてこない。
「今のなに?」
そうやって俺が一言きつく言えば、それ以上はなにもしてこなかった。
誰かを守るって、簡単なことじゃない。
だけど、俺はそれをしたいと思えたんだ。佐知と出会ってから。
放課後、文房具屋に寄った時にふと見かけたネコのしおり。
「なんとなく佐知っぽい」って、照れ隠しみたいに渡したけど……彼女はちゃんと使ってくれてた。
「だって、お気に入りなんだもん」
その言葉が、思ってた以上に胸に響いていて。
冷めているから本気で恋なんてしないだろうなぁと思っていた自分が、どんどん佐知にのめりこんでいくのが分かった。
佐知と一緒にいるだけで毎日がすごく楽しくなる。
「佐知、今日、帰りゲーセン寄る? それともどっか、静かなとこ行きたい?」
「……うん、静かなとこ、がいいな」
「了解。じゃあ、俺のとっておきでも見せちゃおうかな?」
「とっておき? 楽しみにしてる」
その笑顔を見て、心の中で「連れてきてよかった」って思った。
誰にも教えたことない場所。
俺だけの秘密基地みたいな丘。
その景色を、彼女にも見せたいと思ったから。
舗装の切れた道を一緒に登っていくと、視界がふっと開ける。
草の茂った丘の上、夕焼けが町を染めていた。
遠くで電車が小さく走っていて、風が草をなびかせている。
俺たちの影が長く伸びて、重なって揺れていた。
「ここ、初めて……学校の近くにこんなところがあったんだ……」
佐知がそう言って目を輝かせる。
その横顔が、やけにキレイだった。
「そう。誰にも教えてないんだぜ。でも……お前には、見せたかったの」
ベンチに並んで座ると、佐知がそっと手を重ねてきた。
「……キレイだね」
「ああ、ここから景色見てるとさ、頭がすっきりするんだ。難しく考える必要はないんだってな」
素直にそう言ってみたけど、少し照れくさかった。
彼女にはいろんなこと話してもらってるのに、俺はまだ全然、自分のことを話せていない気がした。
その時、佐知がゆっくりと口を開いた。
「ねえ……透也。私、透也と出会えてよかったって思ってる。噂とか、昔のこととか……周りの言葉よりも私の言葉を信じてくれる人がいるって、すごく安心できる」
風がそよいで、佐知の髪がふわりと揺れる。
春の夕暮れ、ほんのり冷えた風が教室の窓から吹き込み、カーテンが波のようにたなびいていた。光の粒が舞う中で、佐知の髪が金色にきらめく。
俺の目をまっすぐ見て、真剣な声で続けた。
「これからも、ずっと一緒にいたい。……透也のことが大好きだから」
……ずるいよ。
普段そんなこと言わないだろう?
だからネコみたいって思うんだ。
佐知はいつもはなにも思っていないですよ~みたいな顔して突然こんなことを言ってくる。
そんなこと急に言われたら、抱きしめたくなるに決まってんだろ。
「……お前って、ほんとズルいな」
「え?」
「めったに言わねぇクセに、そんなこと言われたら、抱きしめたくなるじゃん」
気づけば、腕を伸ばして彼女を抱き寄せていた。
春の夕日が差し込む教室の隅で、ふたりの影がゆっくりと重なる。
背後から差し込む夕日が、彼女の髪を金色に染めている。
ずっと一緒にいてくれよ。
佐知と一緒にいれば、俺もきっと彼女になら心を開けると思う。
こうして唯一の理解者として、そしてカップルとして幸せな生活が送れるだろう。
その時までは、本気でそう思っていた。
最悪の最後を迎えるとも知らず──。
この日。
教室の窓から吹き込む風は、春なのに少し冷たかった。
俺はいつも通り、教室に入っていく。
「おはよう」と声をかけようとして、ふと感じた。
教室の空気が、変だ。
何人かの女子が俺を見て、すぐに視線をそらした。
隠すような、なにかを我慢しているような。そんな目だった。
まるで俺の存在が、なにかのスイッチになったかのように、教室の空気が一気にピリッと張り詰めた。
なんだ……?この雰囲気。
そう思った時、佐知と付き合う前につるんでいた良樹が俺の元にやってきた。
「お前、さすがにこれはマズいだろ」
そう言って見せられたものはスマホに映った写真だった。
「……なんだよ、これ」
画面いっぱいに広がったのは、昨日、告白をしにきた女の子を抱きしめている写真だった。
当然、告白は断った。
付き合っている人がいると伝えたけれど、その時たまたまその女子が俺の方によろけてきた。
それをとっさに支えただけだった。
だけど、角度が悪い。まるで、抱き寄せてるみたいに見える。
「遠也ってさ、佐知のためにいつメングループ捨てて、佐知と付き合ったクセに他の子と浮気してたんだね」
「それ最悪じゃない?友達も捨ててけっきょくいいと思った人も違うってなって捨てたわけでしょ?」
「印象最悪、人気者はいいね~遊べてさ」
俺のことはどうとでも言ってくれていい。
これを佐知が知ったら佐知は傷つくかもしれない。
そう思った俺は、佐知の元にかけつけた。
「佐知、あれは違うから」
焦ったためか、声がうわずった。
しかし、もう佐知も見てしまったんだろう。
悲しそうにうつむいて、なにも言わずに俺の元から去っていってしまった。
「佐知……!」
足元の床が、急に沈み込んだような感覚。心臓が、いやな音を立てて跳ねる。
クッソ、面倒なことしやがって……。
佐知のことを捨てるわけねぇだろ。
俺は佐知を守るって決めたんだ。
ずっと一緒にいる。ずっと一緒にいたいと思ったのに。
佐知を探して校舎中を歩き回る。
いつもならすぐ見つかるのに、今日はどこにもいない。
屋上にも、図書室にも、人気のない踊り場にもいなかった。
「クッソ……」
夕方の校舎に、チャイムの音がむなしく響く。
誰もいない廊下を走る自分の足音だけが、心の焦りを加速させた。
「どこいったんだよ、佐知」
何度も色んなところを探して、こうしてようやく見つけたのは、旧校舎裏の小さな渡り廊下だった。
壁にもたれて、うつむいたままの佐知がいた。
「佐知……っ」
俺の声に顔をあげた佐知の目は、ほんの少しだけ赤かった。
息を切らして近づいていくと、佐知はうつむいた。
「ごめん。でもしっかり説明させてほしいんだ」
俺の言葉に佐知は小さくうなずく。
「……あの写真、見たよ。分かってる。ほんとは、違うんだよね?」
その言葉に、喉の奥がきゅっと詰まる。
でも信じてくれていたことにほっとした。
「ああ。あの子よろけたみたいで手、伸ばしただけなんだ。それだけ。信じてほしい」
真剣に告げると、佐知は言った。
「でも、あそこには段差だってなかった……よろける要素ないよね」
「佐知……?」
「遠也のことは信じてるよ。でも、私じゃない女の子と並んでる遠也を見ると……ちょっと怖くなる。遠也はモテるからいつか、どこかに行っちゃうんじゃないかって不安なの」
痛かった。
自分のせいで、また佐知が不安になってる。
守りたいって、言ったのに。
「……悪かった。俺、不安にさせたよな」
佐知が小さく首をふる。
「遠也がなにをしても、信じてるから。でも……お願い。あんまり誰にでも優しくしないで」
その目が、泣きそうだった。
俺はなにも言えなくなって、ただそっと、彼女の手を握る。
指先がかすかに震えているのを感じた。
佐知、怖いのか……。
「どうしてそんなに不安になってるの?」
俺が単純に疑問をぶつけると、佐知は答えた。
「遠也はクラスの人気もので……私はいじめられっ子。立場も全然違うし、でも優しい遠也は私がイジメられてるから助けてくれた。イジメられてなかったら側にはいてくれてないし、付き合ってないと思う……」
そんなことを気にしていたのか。
繋いだ手が、細くて、壊れそうで。こんなにも繊細な感情を、俺は簡単に揺らしてしまった。
大事にするってこんなに難しいんだな。
俺は佐知だけなのに……どうしてもうまくいかない。
「たしかにきっかけはあったと思う。佐知が今まで通りクラスの人と一緒に楽しい学校生活をおくっていたら、俺たちは交わらなかったかもしれない。でもさ、それはあくまできっかけだよ」
佐知は俺を見上げる。
「俺が佐知を助けたって付き合いたいまで思うかどうかは分からないだろう。でも俺はそう思った。助けたいと思ったのはきっかけで、俺が佐知を選んだのは自分の意思だ。優しいからとか、佐知が可哀想だから選んだわけじゃないよ」
まっすぐに佐知を見つめて告げると、佐知は泣いた目をこすりながらくすりと笑った。
「ふふっ、ごめんね。不安になっちゃって……私、本当はずっと自分に自信がなかったの。イジメられる前から自分が優れてるところってないなって思ってさ、すぐに自信なくしちゃうの。でも相手のことはちゃんと信じないとね」
佐知は笑った。
良かった……。
佐知の笑顔が戻ってほっとした。
大丈夫だ。俺たちはずっと一緒にいようって約束したんだから。
それからまた時が過ぎていき、2週間経った頃。
再び事件が起きた。
ある時の放課後、クラスはなにやら盛り上がっていた。
スマホかなにかをみんなは見ていて、ざわついている。
こそこそと笑い声が教室の四隅から漏れ、俺の方へ視線が集中していく。
どうしたんだろう……。
なにか嫌な予感がする。
そんな風に思っていたら、みんなが俺を見て「あっ」とした顔をした。
「可哀想だよ」
「でも言ってあげた方がいいでしょ」
前と同じ……あの時と同じ雰囲気だ。
自分のいない場所でなにかが進行していた、あの時のぞわりとした感覚が背筋を這う。
そんなヒソヒソ声がして、佐知が昔つるんでいた美香が久しぶりに俺の元にやってくる。
そしてスマホを突き出してきた。
「ねぇ千葉……私、これ見ちゃったんだよね」
そこには、姉貴のSNSが映っていた。
それは姉貴がふざけて【彼氏とデート中】と俺との写真をストーリーに載せているSNSの投稿だった。
「……これ、なに……?」
「やっぱり浮気~?佐知と付き合ってもつまんなそうだもんね」
「そりゃそうでしょ?あんな女といても楽しくないし?千葉正解だよ。早く別れてあげたら?佐知のためにも」
ひそひそと笑い声が背後であがる。
みんなの目が、俺を見て、値踏みして、憐れんでいた。
「ふざけんなよ!いい加減にしろよ!」
そうやって人の足を引っ張って楽しいのかよ。
「あっ、ついでにこれ、さっき佐知にも伝えておきました~!」
「あんた相手にされてないって自覚しな?って言っておいたから、今なら別れやすいと思うよ~」
俺は怒りが収まらなかった。
どうしてこいつらはこうやって、人が不幸になっていくことが好きなんだろう。
だから人は嫌いなんだ。
だから自分の心のうちをさらすのは嫌なんだ。
俺の心が、じくじくと裂けていくのが分かった。
俺は、そいつらにはなにも言わず、教室を飛び出した。
佐知を探しに行かなくちゃいけない。
俺は校舎中を走り周り佐知を探した。
どこにいる……?
またこの前みたいになっている。
彼女を傷つけて、慰めて、ようやく仲を取り持って。
こんな付き合い方でいいのか、どんどん自分にも自信がなくなっていった。
たくさんの教室をまわって探すと、佐知は誰もいない図書室にいた。
「佐知……!」
俺が声をかけたけれど、佐知は顔をあげなかった。
「探したよ……」
机の上に落ちる髪の影の奥で、彼女の肩が微かに揺れていた。
まるで俺の顔はみたくないと言っているかのようだった。
この前はこっちを見てくれたのに。
「佐知、説明させて欲しい」
俺が伝えると、佐知はあざわらうように言った。
「また説明?何度も何度もそうやって、取り繕って上手く行くと思ってるの?」
佐知の言葉は冷たかった。
「ねえ、見ちゃったんだSNS。遠也、浮気してたんだね……美香にも言われちゃった。私がつまんないから浮気されるんだよって」
「違う!佐知……聞いてくれ!」
「“彼氏とカフェデート♡”って……なにが違うわけ?さすがにそれは言い訳できないよ」
声が震えていた。
怒ってる、というより、怯えてるみたいだった。
「違う、これは……姉貴が……」
そういうと、佐知は遠くをぼんやり見つめながら言った。
「そうやって毎回ウソついて、私の気持ちを安定させてまた浮気を繰り返すんでしょ?知ってるんだから。もういいよ」
「なにがもういいだよ。本当にあれは、姉貴で……」
「…………」
佐知の目からはもう涙は出ていなかった。
その代わりに冷めた目で俺のことを見つめる。
「佐知……」
最近少し不安になっていた。
佐知の表情がだんだんと曇っていっていること。
最初こそ信じてると言っていたものの、俺がクラスの女子と話しているだけでなにを話していたのか問い詰められた。
最初は笑っていたはずの瞳が、いつからだろう。
なにかを探るように俺を見つめる目に変わっていった。
些細な言葉、些細な行動に怯えるように。
もしかしたら、佐知はひとりになるのが不安なのかもしれない。
イジメられていたから……。
でもさ、だとしたら俺は……佐知がイジメられている時に声をかけた相手だったから付き合っているってことか?
佐知がひとりになりたくないから、俺がいる?
彼氏として好きとかじゃなくて、一人にならないための材料なんじゃないか。
不安が一気にこみあげてくる。
佐知は……ちゃんと俺を好きでいてくれているんだろうか。
好きだったら、信じてくれるはずだ。
俺の言葉を、俺の顔を見て分かってくれるはずだ。
でも佐知は……。
「もういい、別れる」
信じてはくれなかった。
その言葉を聞いた瞬間、急に俺の心が冷たくなっていくのを感じた。
本当はもっときちんと説明するべきなんだろう。
姉の小さい頃の写真を見せて、本当に姉だって証明をして……。
でも、なんだか疲れてしまった。
そこまでしても佐知が信じてくれなかったら……。
俺はもう佐知を信じることは出来なくなる。
関係が破綻するのが分かって怖くなったんだ。
そして佐知は沈黙を肯定ととったのだろう。
それが伝わったのか、佐知は一歩引いた。
「やっぱり……本当なんだね。ずっとウソだったらいいなって思ってた。遠也ならこんなことしないよって自分に言い聞かせてたけど、やっぱり無理だ」
佐知の目に涙がいっぱいたまっている。
「……なんか、疲れちゃった」
「佐知、待って」
「もういいよ。遠也と付き合うのはもう疲れた……私が、勝手に信じたのが悪かったんだと思う」
俺は、なにもできなかった。
腕を伸ばせば届く距離だったのに、指一本動かせなかった。
佐知はうつむく。
一番信じてほしい相手に信じてもらえなかった。
ショックと悲しみとそれから失望が俺にはあったのかもしれない。
背中を見せる彼女に告げたのは、引き留める言葉じゃなかった。
「俺は、佐知のこと、ちゃんと信じてたよ」
俺が話し出すと、佐知はふりかえって瞳を揺らした。
「友達の変なウワサ話も、俺は佐知以外の言葉は絶対に信じなかった。佐知からの言葉しか信じてなかった。俺はお前のこと、信じてた。……でも、佐知は、俺のこと信じてくれなかったんだな」
「……そんなこと……っ」
「俺は弁解しないよ。……佐知が、俺を信じてくれなかったって事実のほうが、よっぽどしんどいから」
「なに開き直ってんの!?浮気したクセに! あんたなんか大キライ!」
彼女が、冷たい空気をまとって教室を離れていく。
佐知の背中が、泣きながら遠ざかっていった。
名前を呼ぼうとして、けれどのどが詰まって声が出なかった。
追いかけることはできなかった。
「……っ、くそ」
教室のドアに拳をぶつける。
怖いんだ。
さらけだした分、信じられないとハッキリ言われることが。
あんな顔、させるつもりなかった。
涙まで流させて、信じられないって言わせて、追い詰めて。
俺は、なにをしてんだ。
「もう、無理かもしれない……」
鼓膜の奥に、佐知の泣き声が残響のようにこびりついて離れない。
彼女の涙にぬれた顔を思い出す。
もう佐知を幸せにすることは俺には出来ない。
そう悟り。俺たちの関係は終わった。
その日から一度も目を合わせることはなく、そして話すこともなく俺たちは高校を卒業した。
高校を卒業してからは別々の進路に進み、もう会うことはなかった。
はじめて心を開けると思った相手を、俺は大事にすることが出来なかった。
その苦しみは今でも時々思い出す。
心の残りのある恋は身体の傷になり、今でも時々うずくように消えていくことはない。
「同じ道をたどってるのかもな……」
彼女の残したぬくもりがまだ、どこかに残っている気がした。
こうして麻美ちゃんも傷つけていくんだろうか。
彼女を傷つけて泣かせて、傷を作っていくのだろうか。
全然変わってない。
あの日から、俺はなんの成長もしていない。
「俺、けっきょく誰も守れてねぇじゃん……」
俺に恋愛をする資格なんてなかったのかもしれない──。