【佐知side】
私はひとり残された部屋でほっとため息をついた。
あたたかいお茶の湯気が、ふわりと鼻をかすめる。
飲みかけの湯呑みを見つめながら、私はようやく深く息をつくことができた。
「……終わったんだな」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりとそうつぶやいた言葉は、自分の胸の奥に静かに染みていった。
苦しかったあの頃、疑うことしかできなかった自分。
言葉にすれば壊れそうで、口をつぐんでいた思い。ずっと胸のどこかに引っかかっていたトゲが、ようやく抜けた気がした。
ちゃんと謝れた。ちゃんと謝ってもらえた。
たぶん、もうこれでいいんだ。
過去は過去。取り戻せないものばかりだけど、それでも今日、ちゃんと向き合えたから。
私は、前を向いて歩いていける。
こんな大人の話し合いに付き合わせて、麻美には申し訳なかったな……。
でも、隣に座っている麻美の横顔がすっかり大人になっていて、私が知らない時間を、千葉くんと積み重ねてきたんだな、って思うと、ちょっと胸がぎゅっとしたけど、それは寂しさじゃなくて、たぶん安心に近かった。
「麻美……よかったね。幸せになってね」
私はそうつぶやいてから立ち上がった。
「さてと、整理でもしますか……」
ずっと自分の机の奥にしまっていたアルバム。
そこには遠矢がたくさん写っていた。
苦しかった私を救ってくれたヒーロー。
捨てられなくて、大事に大事にとっておいたんだ。
高校を卒業して、遠也は大学に。そして私は専門学校に進学して、会うことはなかった。
同窓会が開かれても私は参加しなかったし、それは遠矢に合うのが怖かったからだろう。
あんなに会いたいと思っていたのに、会うのを怖がっていた。
専門学校に行ってもクラスの人に何人にも告白をされた。
言いかんじになる人だっていたけれど、私は付き合うことがなかった。
次に進むことができず、ずっとその場で足踏みをしているみたいだった。
苦しかったんだ。
今までずっと。
でも今日、それから解放された。
私も新しい恋に進んでもいいよね?
相手のことをしっかりと見て、大事にしてくれる人を探す。
もう目の前の人から逃げることはしない。
「ありがとう……」
ぽつりとつぶやきながら私は、私は遠矢の写真を破いていった。
今はちゃんと麻美のヒーローになってね。
あれだけ優しい人なら、人のことを思いやってくれる人ならきっと幸せにできるはずだ。
いや……余計なお世話かもしれない。
麻美は、私が見ても強い。
ちょっとのことでくじけたりするような子じゃない。
ふたりでちゃんと向き合って前に進んでくれるよね。
全ての写真を処分してゴミ箱に捨てた。
ここまでしなくても……と最初は思ったけど、今でも実家で暮らしているから、麻美が見ても嫌な思いをしないようにしなくちゃ。
それが姉としての勤めだ。
過去にとらわれなくていい。振り返らなくていい。
私は私の道を、ようやく歩き出せる気がした。
すると、一緒に働いている美容師の仲間からメッセージが入った。
【今度映画でも見に行かない?チケット取ったんだけど……】
ずっと断ってきたお誘い。
恋はタイミングなんて言うけれど……。
「本当にそうかもね?」
私はメッセージ入力した。
【行きたい!いつにする?】
恋するきっかけはいつも些細なところに転がっている。
恋なんて、くだらないと言い放って避けていても、興味がないと顔をふせていてもやってくる風が私たちの心を温めてゆくんだろう。