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第40話:子どもと大人の第一歩

【彩乃side】


今日は恭ちゃんとデートの日。

と言ってもただのデートの日ではない。


今日はあたしの二十歳の誕生日だ。


ずっと待ちに待っていたこの日。

この日はきっと特別な日になると思う……。


もう子どもではなくて、大人になる第一歩を歩める瞬間だから。



先日麻美の学園祭に参加してきた。


楽しい会でクラスの人と仲良くしている麻美を見て、ほっとした気持ちになったり、ちょっとヤキモチだったり。


でも麻美がキラキラ輝いてるのを見て、あたしも頑張らなきゃって思えたなぁ……。


そしてその後、麻美から連絡が来たのよね。


【ついに遠也さんと……一夜を過ごしまして♡】


って!

ついに麻美は大人の階段を上ってしまったみたい。


いいなぁ~羨ましいな~と同時にすぐに電話して質問攻めしちゃったり。


そしたら麻美が、彩乃だって二十歳の誕生日になにかあるんじゃないの~なんて言ってくるからあたしは期待しちゃってるわけで……。


今日は新しくおろした可愛い下着を着て行こうと思ってる。


気合は十分。

だってずっとここまで待ったんだ!


すると家のインターフォンが鳴った。


恭ちゃんだ!


あたしは慌ててカバンを持って外に出た。


「行ってきます!お母さん、あたし今日は……」


「分かってるから」


今日この日はお母さんも許してくれるみたい。


だってさぁ、すごく真面目なお付き合いじゃないですか!?


恭ちゃんは自分の宣言を破ることなく健全なお付き合いを続けてきたんだよ!?


もうみんな大人の階段を上っているというのに……。


「よっ」

「恭ちゃんお待たせ!」


「今日は車用意したから」


「く、車……!?」


あたしは目を丸めた。

恭ちゃんは車は持っていなかったはず……。


「今日は特別な日だからな、レンタルしてきたんだよ」


「ええーすごい!」


うれしい……!


ドライブなんてずっと憧れてた!


車に入って助手席のドアを閉めると、車内にほのかに新しい革の匂いがただよった。


シートベルトを留める音が小さく響き、恭ちゃんがなにも言わずにエンジンをかける。


静かなエンジン音が広がり、車がゆっくりと動き出した。


「なんかワクワクするね」


「案外車乗せたことなかったもんな」


「恭ちゃんは仕事だと運転してるって言ってたもんね。将来は車欲しい?」


「まぁ……そうだな。密かに目標にしてるところはあるな」


「そうなんだ~」


昼の陽射しは高く、フロントガラス越しに透けてくる光がまぶしい。


車は市街地を抜け、道が広くなる。


高層ビルが減っていく代わりに、低い平屋の店や、緑の続く並木道が目に入った。


「あれ、そういえばどこに向かってるの?」


「お前が行きたいって行ってたとこ」


教えてくれはしないみたいだ。


行きたいって言ってたってどこだろう……。

そう思った時、恭ちゃんが助手席の窓を少し開けてくれた。


昼の乾いた風が頬を撫でる。


そこにうっすら潮の匂いがした。


「もしかして……!」


横を走る車の影が流れ、遠くに小さな看板が見える。

そして緩やかな坂を上がりきったとき、一気に視界が開けた。


「やっぱりそうだ!」


遠くに、光る水面が広がっていた。


真昼の太陽を反射して、海は銀色にきらきらしている。


「海……ずっと行きたかったんだよね」


「この前、彩乃サークルで行くのやめたもんな」


「だって~恭ちゃんがめっちゃ嫌そうな顔してたんだもん」


「そりゃぁ彼女の水着姿、他の男に見せたくねぇだろ」


「あの時の恭ちゃん、本当可愛かったよ!絶対嫌なのに言って来れば?って。大人って大変ですなぁ」


「うるせ」


まぁ……けっきょく行かなかったんだ。

だってはじめて行くなら恭ちゃんとが良かったから。


一本道を進むと、波の音が少しずつ近づいてくる。


駐車場に車を止めて、エンジンを切るとあたしたちは車を出た。


ドアを開けると、潮風がふわりと吹き込んだ。


駐車場から堤防へ続く小道を、ふたりで手を繋いで歩く。


道の脇には砂利が混じった細い歩道があって、波の音が聞こえるたびにドキドキした。


「恭ちゃん、めっちゃキレイ……!」


視界の先には、青い水平線がずっと遠くまで続いていた。


波打ち際には白い飛沫がひらひらと立っている。


「恭ちゃんはなんでもあたしの願いを叶えてくれるなぁ」


「それが彼氏のつとめなんで」


付き合ってからもう3年が経とうとしている。


恭ちゃんは変わらずに優しいし、変わらずに愛を伝えてくれる。


そういうところが好きなんだ。

誰も座っていない一番奥のベンチの前で、あたしたちは腰を下ろす。


しばらくなにも言わずに並んで座っていると、足元に置かれた小さな石がひとつ転がって、カランと乾いた音を立てた。


風と波音に包まれて、時間がとてもゆっくりと流れていた。


ふと横を見ると、恭ちゃんが視線を海に向けたまま手を伸ばす。


指先がそっと、こちらの手に触れた。


「好き」


車に乗って、しばらく走った先。

ついたのは、街のちょっと奥にある、落ち着いた雰囲気のレストランだった。


シャンデリアの光が反射するテーブルに、小さなキャンドル。

ふたりだけの個室。


「……恭ちゃん、ここ、すごいね」


「うん。お前が喜びそうなところ探してみた」


いつもよりも静かで、落ち着いた空間が、わたしの胸をゆっくりと満たしていく。


料理はコースで、テーブルにはフォークとナイフが並べられている。


わたしが座ると、ナプキンが自然に膝の上へ落ちた。


そしてすぐにウェイターがメニューを持ってきた。


「お飲み物は?」


「せっかくだし少しお酒飲んでみるか?」


「う、うん……ちょっと緊張するけど」


恭平ちゃんはウーロン茶を頼み、あたしは飲みやすいカクテルを恭ちゃんが頼んでくれた。


やがて運ばれてきたのは、薄いピンク色のカクテル。

グラスのふちに小さな果実が飾られ、照明の光を反射してきらめいている。


「キレイ……!」


昔はこういうキレイなお酒を飲んでる人って大人だなぁ~なんて思ってたけど、もうあたしも飲んでいい年齢になったんだね。


グラスを受け取ると、恭ちゃんが静かに言った。


「……じゃあ彩乃。二十歳の誕生日、おめでとう」


そう言って、恭ちゃんは自分のグラスを軽く傾けた。


「ありがとう」


乾杯をしてから一口、グラスを口元へ。

香りがふわりと広がり、アルコールの強さよりも甘さと酸味が優しく舌に触れた。


「おお……っ、大人の味って感じ」


「ふっ、初心者の感想だな」


「だんだん慣れてくる?美味しいって思ってくる」


「まぁ~働き出したらだな。仕事してクタクタに疲れてから飲むビールが最高に上手い」


「……なんか恭ちゃん、おじさんぽい」


「おい、それけっこう気にしてるからなぁ!」


最近の恭ちゃんは歳のことを言うと、気にするようになった。


いいじゃんね。

あたしも大人になったんだからさ。


グラス越しに、テーブルのキャンドルがぼんやり揺れている。


すぐにテーブルの上に、前菜が置かれる。


「わぁ……っ!」


白い大きなプレートの中央に、小さくまとめられた彩りのひと皿。

薄くスライスされたスモークサーモンは、バラのように巻かれていて、そのまわりを囲むように、ハーブとマリネされた野菜が美しく添えられている。


「こんなお店来たことないよ~恭ちゃんありがとう!」


「オーダーされましたんでね」


恭ちゃんは誕生日になにがしたいかあたしに聞いてきた。


あたしはせっかく二十歳になるから大人っぽいデートがしたいと伝えていたんだ。


でもこんなステキなことしてくれるとは思わないじゃん……っ。


「たまにはこういうところで食事するのもいいよな」


「うん……これから恭ちゃんと一緒にお酒を飲みながら会社の愚痴とか言っちゃったりするのかな~って思ったら楽しみになってきた」


「俺も。お前が二十歳になるの楽しみにしてた」


恭ちゃんは優しい顔で笑った。


それからポタージュのスープが出てきたり、美味しいパンや魚料理が順番に運ばれた。


「正直さぁどうだった?」

「なにが?」


「あたしと付き合っててヤキモチ妬くことってあった?」


恭ちゃんはあまり感情を表に出さない。


学校の打ち上げだって行ってきなと伝えるし、別に気にして無さそうな感じだからやっぱり大人は余裕なんだな~なんて拗ねたこともあったけど……。


「バカか。めちゃくちゃあったけど」


「えっ、本当!?」


「いや、まじで正直に言えば大学の集まりとか全部中止になれって思ってた」


「そ、そうだったの……?」


「やっぱさ~大学生って色々遊び盛りだろ?彩乃のこといいって思う人もいるだろうし、やっぱり同じ歳の人がいいって思うかもしれないし?お前が飲み会中はスマホ肌身放さずに持ってたからな?」


恭ちゃんのその言葉にあたしの顔は赤くなった。


なんだ。

恭ちゃんも案外ヤキモチ妬いてたんだ……。


「もっと出してくれてもいいのに」


「カッコつかないからやだ」


「恭ちゃんはいつでもカッコイイもん!」


恭ちゃんは照れ隠しがグラスを勢いよく煽った。


最後にデザートが出てくる。

小さなチョコレートムースとラズベリーソースの組み合わせ。


ガラスの器に丁寧に重ねられた層が、スプーンで崩れるたびに静かにとろけていく。


「んん~幸せ」


お皿が下げられると、テーブルのキャンドルに一瞬だけ影が差し、あたしたちの前に置かれたグラスには、新しい水がそっと注がれる。


そして、恭ちゃんが、静かにポケットから小さな箱を取り出した。


真っ白な包装に、金の細いリボンがひと結びに結ばれている。


箱の上に、やさしく差し出される手。


「……彩乃、二十歳の誕生日、おめでとう」


「プレゼントもいいの?」


「当たり前だろ」


包装紙をするりと外す。

中から現れたのは、シンプルなゴールドのネックレスだった。


繊細なチェーンの中心には、小さな雫型のペンダントトップ。

照明を受けて、ささやかに光る。


「ネックレスだぁ……」


「彩乃はずっと俺が昔にあげたネックレス付けてくれてただろう?もう大人になったから、ちょっと背伸びしたブランドのもいいかと思って」


「嬉しい……」


車に戻ると、ドアを閉める音が思ったより大きく響いた。


しんとした車内。

助手席に座ったまま、窓の外を見ていたけれど、隣にいる恭ちゃんのことを意識してしまった。


「……ねぇ、恭ちゃん」

「ん?」


運転席で片手をハンドルに置いたまま、恭ちゃんが視線をこちらに向けた。


「大人になったってことはさ……今夜は、お泊まりしても怒られないよね?」


言ったあと、心臓がドキンドキンと強く音を立てた。

静かに息を吸う音が隣でする。


そして。


「……お前がそう言うなら、ちゃんと覚悟してもらうけど?」


低い声が耳に落ちて、そっと膝の上に置いた手が、小さく震えた。


「……あたしは、もうとっくのとっくに……覚悟は出来てます」


言いながら、自分の声が震えるのが分かった。

それでも、視線だけは外さずにいたかった。


「……そっか。案外、俺の方が出来てなかったりしてな」


「ええっ!」


思わず肩が跳ねた。

恭ちゃんが短く息を吐いて、少しだけ笑う。


「冗談だよ」


そう言って、ゆっくりと体をこちらに向ける。

左手が伸びてきて、シートの上でわたしの指を包んだ。


「今日はそうだな……朝まで、放す気ねぇから」


車が止まり、そのまま手が頬に添えられる。

親指の腹がそっと肌を撫でる感触に、背中がぞくっとした。


今日、はじめて恭ちゃんとひとつになる。


あたしは覚悟が出来ている。


息をのむと、恭ちゃんが顔を近づけて、そのままキスをした。


ねぇ、大好きだよ。

もっともっと伝える手段がある。


今日はいっぱい恭ちゃんに大好きを伝えたい日なんだ。


レンタカーを返したあと、駅から少し歩いて、恭ちゃんのマンションへ向かった。


ふたりで並んで歩く道はもう何度も通ったはずなのに、今日は一歩一歩、歩く度に緊張が増していく。


緊張と期待で気持ちが落ち着かない。


「緊張してんの?」


エレベーターに乗って、恭ちゃんは聞いてくる。


あたしはなにも言わずにこくんとうなずいた。

そしたら恭ちゃんは、ポンポンと優しく頭を撫でてくれた。


大丈夫だ。

まるでそう言ってくれてるみたい。


部屋に入ってクツを脱ぐ。

カバンをどうしようか、と考えていたら恭ちゃんがあたしの手を引いた。


「彩乃」


寝室のドアが閉まる音がして、恭ちゃんがあたしをそっと抱きしめる。


「……好きだ」


耳元で名前を呼ばれるだけで、心地よくなる。


「怖い?」


「……ちょっとだけ」


ほんとは少しどころじゃないけれど、恭ちゃんになら全部を預けたいって思えるの。


「俺、よく我慢したよな」


「えっ」


「……可愛い彼女が横にいて、夜中になったら帰らせて……いや、まじすげぇわ」


「恭ちゃん我慢してたの?」


「当たり前だろ。何回、お前のこと抱く妄想したか」


そんなこと言わ、あたしはかっと顔があつくなった。


「恭ちゃんの、エッチ……」


「何度でも言え」


抱きしめられたまま、頬にあたたかい唇が触れる。


「ん……っ」


震える吐息が交わって、ベッドに押し倒される。


キスをしながら、少しずつ服を外されていくたびに、心のどこかにあった迷いも全部剥がれていく気がした。


「彩乃……こっち向いて。顔みたい」


「……うん」


見つめ合うと、照れくさくて笑ってしまった。


恭ちゃんの手がそっと頬を撫でて、再び唇が重なる。


「本当に、大好きなんだからね」

「俺も」


「ずっとそばにいてね」


「ああ、愛してるよ。彩乃……」


優しくて、でも奥の方に焦がすような熱があって、

何度も触れあううちに、身体も心もひとつになっていく感覚がした。


ずっと不安だった。

自分が背伸びしても恭ちゃんに届かないことが。

大人ぶっても、大人になることが出来ないのが。


でも今は、ただ――。


「好き……」


すぐ隣で、大好きで満たされている。


「……俺も、愛してる」



あたしたちはこれから先も、ずっと一緒に歩んでいくんだ──。



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