千隼が教室に戻ると騒ぎが起こっていた。ざわざわとクラスメイトが一様に話をし、室内の中心に目を向けている。そこには宮永修二が怒ったように直哉と陽平に文句を言っていた。
どうかしたのかと教室に入ると皆が一斉に千隼を見る。びっくりして思わず固まってしまった、それほどに注目を浴びていたのだ。
千隼が状況を理解できずに困惑していれば、修二と言い合っていた直哉と陽平が駆け寄ってきて、「お前は何処に行っていた!」と強い口調で問われる。
「お昼食べていただけなんだけだよ……てか、何があったのさ」
「お前が宮永の私物盗った疑いがかかっている」
なんだそれはと千隼は思わず声を上げた。どうしてそんなことになっているのだと聞けば、「お前のロッカーから見つかったんだよ」と直哉に説明される。
盗った覚えなど一つもないので冤罪だ、これは。千隼はやってないとクラスに聞こえるように言えば、それを聞いてか修二が近寄ってきて「ふざけんな」と怒鳴った。
「嘘をつくな! ボクの悪口を陰で散々言っていた上に、私物まで盗りやがって!」
修二は「ボクは知っているんだ」と怒りながら語る。陰で悪口を言っていること、揶揄っていることを。
それはもう悲劇振りながら話す修二に千隼は「嘘も大概にしてくれ」と千隼は叫びたくなった。
千隼はそんなことをしていない。そもそも、修二に興味もなければ、どんな人物かもよく分かっていない。ただの目立つクラスメイトの一人という認識だ。
だから、していないと反論すれば、じゃあどうしてこんなことになっているんだと返される。
それはお前がやったからだろうと言い返してやりたかったが、千隼は周囲の視線に気づいて黙る。
だんだんとクラスメイトの視線が痛くなって皆が皆、疑いを向けてきていることに千隼は気づいたのだ。そんな目で見られてもやっていないので、やっていないと主張するしかない。
ここで押し黙っては事実を認めたと思われかねないからだ。それでも修二は「じゃあ、どうして」と言葉を続けてくる。
「ボクの私物があんたのロッカーにあるんだよ!」
「知らないよ! やってないものはやってない!」
「昼休み入る前までは確かにあったんだよ! あんたが昼休みに盗ったからだろ!」
「僕、昼休みは教室にいなかったけど!」
「誰が証明してくれるんだよ!」
証明と言われて風吹と一緒にいたとは答えられなかった。風吹は薬師寺様と皆から呼ばれるほどに知名度がある。
彼に迷惑はかけたくはないし、言ったところで信じてもらえないどころか、さらに場をかき乱してしまう可能性があった。
直哉と陽平も一緒に食事をしていればすぐに証言しただろう。反論してこない千隼に修二は口元を上げた。
「それにおれは見たぜ。お前が昼休みに教室近くの廊下を歩いているの」
修二の後ろに立っていた友人だろう男子生徒が証言する。また嘘かと千隼は頭を抱えそうになった。彼は修二の取り巻きの一人なので、協力しているのだろう。
あぁ、どうしたものか。千隼が悩んでいた時だった。
「それは本当かい?」
教室にいた生徒たちが一斉に振り返る。声がした方向――教室の扉の前に風吹が立っていて。どうしてと教室内に騒めく声が響く。
「話を聞いていたのだが、無くした物は昼休み前まではあったんだね?」
「え? はい……確かにありました」
「廊下で彼を見かけたと言っているが、本当かい?」
「確かです! あの姿は暁星でした!」
二人の証言を聞いて風吹はおかしいねと顎に手を当てながら首を傾げてみせた。
「だって千隼は昼休みの間、私とずっと一緒にいたのだから」
その一言に修二と取り巻きの男子は目を見開き、生徒たちは黙る。陽平が「本当ですか」と問えば、えぇと風吹は笑みをみせる、昼休みが終わるまで一緒だったと。
「嘘をついていると思うのならば須賀教諭に聞いてみなさい。丁度、中庭にいましたから」
そうだ、須賀先生がいたじゃないかと千隼は思い出した。混乱していたから忘れていたが、彼は昼休みが終わるまでずっと中庭にいた。
風吹に「ちゃんと言えば良かっただろうに」と言われて、本当にその通りなので笑うしかなかった。
二人の様子を見て、クラスメイトたちが一斉に修二を見た。彼たちは目を泳がせながら明らかに動揺している。
「じゃ、じゃあ、誰がやったって言うんだよ!」
それでも盗られたということを事実にしたいようで修二は叫ぶが、それに風吹が「キミだろう」と即答する。
「だって、キミの友人の証言はおかしいじゃないか。嘘をつく理由はなんだい?」
修二の友人である男子の証言がおかしいのだ。風吹と一緒にいるはずの千隼を廊下で見かけるなどあり得ないと指摘されて、彼は慌てて「見間違いかも」と撤回した。
「キミは撤回すると? あんなにも自信満々に言っていたというのに?」
「そ、それは……」
男子はもごもごと口籠る。痛いところを突かれてしまい、言い訳もできず誤魔化す嘘も思いつかない様子だ。
「あぁ。無くし物なら、千隼の私物も無くなったらしい」
確かシャープペンシルだったかと言いながら風吹は修二たちを見遣る。
一瞬、反応を見せた修二だったが、「知らないよ」と答える。けれど、男子がちらりとある席を見たことを風吹は見逃さなかった。
つかつかと教室に入ってその机の前まで行くと目線の先にあった黒いポーチ、恐らく筆入れだろうそれを掴んだ。
あっと修二が声を上げるも、それを無視して風吹は手に取って中身を確認する。
「これだね」
風吹の手に細みの黒地にグリップ部分に桜の柄があるシャープペンシルが握られていた。生徒に見せるようにしてみれば、千隼は「それです!」と声を出す。
千隼本人の物であることを確認した風吹は「此処はキミの席だよね」と笑む。冷たく刺さる眼を向けながら。
「千隼から昼休みの前に無くなっていたと聞いた。この騒ぎを起こすために準備もあっただろうことを想定してまだ処分してないと思っていたけれど……呆気ないものだね」
すぐに処分しないといけないよと風吹は言って筆入れを机に置く。「千隼に嫌がらせをしていたのもキミだ」と生徒たちを見た。
風吹は言う、毎日、机をぐしゃぐしゃにされて私物を盗られると。次々と挙げていく嫌がらせの内容にクラスメイトは顔を見合わせていた。
風吹は一人一人と目を合わせるように見渡していくと、一人の男子が視線を逸らした。そのあからさまな様子を彼が見逃すわけがない。
「キミは知っているようだね」
そう問われてびくりと肩を跳ね上げた男子は怯えた様子だ。ちらりと顔を上げて風吹を見て気づく。
嘘を黙ること許さないと言っているような眼で見つめられていることに。
「……み、見ました。宮永様がその、暁星さんの机に悪戯をしているのを」
黙るなど知らないと嘘をつくことはできなかった、それほどに風吹の圧というのは強かった。
風吹の「他に目撃者は? それとも黙っているように脅された人は?」という問いかけに生徒たちは顔色を窺っている。
黙っていても分かることだと思うけれどと、風吹が口角を上げて目を細めれば、すみませんと二人ほど頭を下げた。
二人とも修二とその友人がやっているのを見かけたらしい。注意をしたくも、自分が標的になるのを恐れて今まで黙っていたのだと。
もう宮永修二が千隼に嫌がらせをした犯人であることは決まり、嘘が暴かれた彼はわなわなと唇を閉口させていた。
「あのさ。多分だよ? 多分、直哉のことだと思うんだけど……」
犯人が玲奈であると確証を得た千隼は言う。恐らく、直哉に告白を断られたからその仕返しだったのではないかと。
「直哉の事が好きでこんなことしたんだと思うけどさ。でも、僕と直哉は友達ってだけで付き合っていないし。直哉の断り方も酷かっただろうけど、それは彼に文句を言ってほしいわけで」
彼とは友達だ。嫉妬してしまう気持ちは分からなくもないし、本人に言い返せないから仲の良い千隼に八つ当たりをしてしまうという感情も理解できる。
とはいえ、やっていいこと、そうでないことはあるのだ。千隼は「本人同士で話し合ってほしんだけど」と、巻き込まないでほしいことを伝えた。
「千隼の言う通りだ。本人同士の問題であって千隼には関係ない。彼はただ友人であっただけで、付き合っているわけでもないのだからね」
どんな理由であっても、他人に八つ当たりをしていい理由はない。風吹にそう諭されて、修二は何も言えずに黙って俯いた――瞬間だ。
黒い何か、べったりとしたモノが修二の背中に張り付いているのが見えた。