「千隼」
「あ、風吹先輩」
なんだったのだろうかと、直哉の態度の意味を考えていた千隼は声をかけられる。
教室のドアから顔を覗かせる風吹と目が合って、千隼は考えることをやめて手を振った。鞄を肩にかけて駆け寄れば、彼に「何かあったのかい」と問われる。
「飯島君に睨まれたのだが」
「え、直哉からですか!」
千隼は「それがよく分からなくって」と、さっきあったことを千隼は話した。それを聞いた風吹があぁと納得したように頷く。
「まぁ、彼からすればこの学園の性質上、付き合っているように見えなくもないだろうね」
「僕は告白してないですけど」
「私もしていないね」
なら、恋人同士ではないので嘘はついていない。ただ、会話をしたり、勉強を教えてもらったり、お昼ご飯を食べたりする仲であり、彼の助手というだけだ。
嘘はついていないので大丈夫だろうとは思うけれど、直哉は何を思ったのだろうか。
怒らせていたり、勘違いさせていないといいけれどと千隼が考えていれば、風吹から「捕まえたものを渡してくれるかい?」と言われる。
あ、そうだったと千隼は白ブレザーの内ポケットから黒い何かを取り出した。べったりとしたスライムのようなソレは風吹の手に渡った途端にぐったりとする。
「これって」
「この前、言っていた魑魅魍魎だよ」
「こんな見た目なんですね。なんかスライムっぽい」
「あぁ、魑魅魍魎は様々な姿をしているんだ。今回のはこんな感じというだけだよ」
動物の姿をしている場合もあるらしい。そうなのかと千隼がスライム型の魑魅魍魎を眺めていれば、ソレが助けを求めるように触手を伸ばしてきた。
うわっと身体を引かせれば、風吹が無言でタロットカードを張り付けた。びくりと痙攣したあとに魑魅魍魎は動かなくなる。
「これは祓わないといけないね」
「説得は無理なんですか?」
「魑魅魍魎には言葉が通じないから」
物の怪と違って彼らに言葉は通じない。相手の感情を読み取ることはできるけれど、そんなものを気にすることはない、それが魑魅魍魎なのだという。
このまま山に返したとしても、また誰かに憑りつく可能性がある。ならば、祓って被害を押さえた方がいいということのようだ。
「ひっそりと暮らしている妖怪からしたら、好き勝手にやらかされるというのは嫌なものなんだよ。いつ自分たちの事に気づかれてしまうか分からないからね」
人間というのは信用しているいない関わらず、お祓いを依頼する。気休め、心の持ちようが変わるからだ。
中には本当に力の持った存在がやってくることもあり、何もしていない妖怪たちが祓われてしまうこともあった。
それを知っているからこそ、好き勝手にやる妖怪を迷惑がるのだ。それを聞いた千隼は確かに何もしてない自分に矛先が向くのは嫌だよなと納得する。
風吹は周囲を見渡して二人だけしかいないことを確認すると、魑魅魍魎に張り付けられたタロットカードに触れる。
小さく呟かれる言霊に魑魅魍魎が悶え苦しむ。もぞもぞと暴れてから数秒、さらさらと砂のように崩れて消えてしまった。
「あの、これってどうなった感じなんですかね? 成仏とは違う?」
「あぁ、これは黄泉へ送ったことになるかな」
「えっと、地獄とかそういった感じ?」
「分かりやすく言うならそうなるね」
祓ってしまったからといって無に還るわけではない。あるべき場所である黄泉へと帰るだけなのだという。悪事を働いてしまったのならば、地獄へと帰るだろうと。
「千隼が機転を利かせて捕まえてくれて助かったよ。逃げられたら探すのが大変だからね」
「あれぐらいしか僕にはできないですけど……。ずっと視えているわけじゃないですし」
「姿を隠すこともできるから、その点は気にしなくていいよ」
彼らも見つからないように行動するからと風吹に教えられる。祓われるのが嫌なのは、幽霊も妖怪も同じらしい。
それならば視える時とそうでない時があるのに納得した。千隼には祓う力があるわけではないので、隠れられては見つけにくいはずだ。
「やはり、助手がいるというのは助かるね。ありがとう」
「役に立てたようでよかったです。でも、お礼を言うのは僕のほうかと」
助けてもらったのでと、修二とのやり取りの事を話す。あの時、風吹が出てきてくれなければ、状況は悪化していただろうというのは誰にだって分かることだ。
ありがとうございますとお礼を伝えれば、風吹は「気にすることはないよ」と笑った。
「お礼を言われることはしていないさ」
「でも、手間を取らせたような気が……」
「特に手間だとは思っていないのだが。まぁ、キミが須賀教諭の存在を忘れるとは思わなかったけれど」
占いの結果、何かしら起こると予測はできていた風吹は念の為と千隼の教室に足を運んだ。
すると案の定、騒ぎが起きていたので様子を見ていたのだが、なかなか千隼が須賀教諭のことを話さないので忘れているのかと察したらしい。
それを聞いた千隼は「あれは混乱してたんですよ」と返した。あんな状態で混乱しないほうが難しい。風吹も分かっていたらしく、だからあの場に出たようだ。
「しかし……本来なら、あんな大袈裟に出るつもりはなかったのだけれど。明日には私とキミの仲について噂が広まるだろう」
クラスメイトの前で昼食を共にする仲であるというのを明かしてしまったのだ。人の口には戸は立てられないのであっという間に広まるのは想像できた。
風吹は「薬師寺様」と呼ばれるカースト上位の生徒だ。ファンだという生徒は少なからずいるだろうし、ライバル視している人物もいるかもしれない。
さらには風吹自身が近寄ってくる生徒を相手にしていなかったのだ。そんな人物に仲の良い後輩が現れたとなれば、噂をする者や興味を湧く者がやってくる。
騒ぎを好まないのは誰だって同じなはずなので、迷惑をかけてしまうと千隼は頭を下げた。
「謝らなくていい。私に話しかけることはないだろうからな。むしろ、私は千隼が心配なのだが」
風吹の「私に真意を確かめられない人間がキミに突撃してくるかもしれないだろう」という言葉に千隼は目を瞬かせ、ファッと声を上げた。
そうだ、その通りだ。薬師寺様には話しかけられずとも、一般人の千隼には声をかけることができる。カースト上位勢が迫ってこないとも限らなかった。
「ど、どうしましょう……」
「キミがさっき言ったようにお昼を共にする仲ですとだけ伝えればいいと思う。これは嘘ではないのだから。変に探られてもそれ一辺倒で押し切ることだ」
下手に何か言えば彼らは余計に勘繰ってくる。誤魔化すこともせず、嘘もつかずにお昼を共にする仲と言い張るほうが無難だと言われてなるほどと千隼は頷く。
確かに何か言うよりは波風立たなくていいだろう。
「キミは私と付き合いをやめるという選択は出ないのか」
「え? だって風吹先輩は悪くないじゃないですか。付き合いやめる理由になります?」
確かに陰口を言われたり、突撃される可能性はあるけれど、それだけで風吹と付き合いをやめるという理由にはならないと千隼は思っている。
それに自分は風吹の秘密を知ってしまっている。妖怪や幽霊が視えてしまう体質にもなってしまったのだ。
興味といった好奇心はあるし、風吹と一緒にいるのは心地良くて安心できる。
「なので、やめるっていう選択はないですね」
「キミの好奇心の強さと純粋さには負けるよ。何かあれば、私に言ってくれ」
私が目立ってしまったのは事実なので、何かあれば相談に乗ろう。風吹なりの優しさを千隼は感じて、こういうところが安心できるんだよなと思った。