千隼は深い溜息を吐き出した。それは教室のドアを占領する和樹とその取り巻きたちがいるからだ。
目をつけられてから数日経つわけだが、その短い期間では諦めてくれなかったらしい。そこまで執着する必要はないだろうと思うのだが、相手はそうではないみたいでこうしてやってくる。
陽平と直哉が前に出て千隼を守り、クラスメイトたちは巻き込まれないように離れて観察していた。正博は千隼の隣で隙を作れないか様子を窺ってくれている。
風吹の言う、相手が動き出したなのかと千隼は和樹の動きを眺めるも、数日から続く行動とさして変わった様子はない。
数日間、和樹は昼休みや放課後にやってきては「いい加減にこっちにこい」と同じことばかり言うのだ。
その都度、陽平や直哉に助けられて風吹のところへと逃げているわけだが、相手もそれを学んでいるようで目の前のドアを塞ぎ、取り巻きたちに囲まれている。
これでは逃げられないなと千隼は眉を下げる。ちらりと肩を見遣れば、物の怪のきなこがしゅっしゅと耳を前に突き出していた。やる気はあるらしいが、今この場で何かするのは困るわけで。
「いい加減にしろよ、暁星」
「いい加減にしてほしいのはこっちなんですが……」
「お前がオレ様のところにくるだけでいいだろうがよ」
「嫌です」
きっぱりと断るも和樹は納得しない。薬師寺のどこがいいんだと同じ事を聞いてくるのだが、これで何度目だろうか。
何度も風吹のほうが人間性が良いことを伝えているというのに、理解できていないのはどういうことかと突っ込みたい。
(術を知っているから自信があるのかもしないなぁ)
人間というのは力を持つと気が大きくなるものだ。地位だったり、財力だったり、そういったものを持つと自信がついてしまう。
和樹の行動もそういった心理なのかもしれない。この状態でそんなものを知りたくはなかったけれどと、千隼は零れそうになる溜息を飲み込んだ。
「いいからこっちにこいや!」
和樹の掛け声と共に取り巻きが陽平と直哉を引き剥がす。その隙に和樹が手を伸ばした。あ、これはまずいと千隼が思った瞬間だ――その手は勢いよく叩きつけられた。
「気安く千隼に触れないでくれないか」
風吹は和樹を睨みつけていた、それの瞳は凍り付いたように冷めている。そんな表情は見たことがなかったので千隼は少し驚いた。
ちらりと風吹の足元を見遣れば、源九郎がいたので彼が呼びに行ってくれたようだ。風吹は「遅いと思ったが」と、待ち合わせ場所になかなか来ないから迎えにきた体を装っている。
これに乗っかろうと千隼は風吹の後ろに隠れて、「吉崎様がぁ」と行けなかった訳を言うように指をさした。
「薬師寺風吹じゃないか。なんだ、お気に入りを守りに来たのか?」
「だったらどうだというのですか?」
「そんなにお気に入りですか。可愛い後輩ですねぇ」
和樹は揶揄うようにニヤリと笑うが風吹は表情一つ変えることはない。彼の煽りに風吹は落ち着いていた。
「あぁ、可愛い子だよ。千隼は」
肯定するように言葉を返す風吹に和樹は言われるとは思っていなかったようだ。一瞬、言葉に詰まるが、それでもすぐに「溺愛しているようで」と笑った。
「これは意外だ。そうか、なら奪い甲斐があるってものだな」
「キミに私から千隼を奪えると言うのかい?」
風吹の口調が少しばかり変わった。先輩であるというのに風吹は「えらく自信があるようだね」と、敬語を使わない。
彼の問いに和樹は「当然だ」と答える。お前よりもオレは優れているのだからと胸を張る。
千隼は「そうなのか?」と側にいた正博に聞くと、彼はこそこそと「薬師寺様より成績は下だよ」と教えてくれた。
張り合うわりに成績はあまりよくないらしい。それ以外で優れているということだろうかと思ったが、良い噂は無いけどと聞いて首を傾げる。
「すぐにでも奪ってやるさ、見ているがいい。オレにはその力があるからな」
「……そうか。ならやってみるといいさ」
和樹の言葉に風吹は静かに返すけれど低い声音だった。威嚇というよりは怒りが籠められているように千隼は感じた。
和樹の物言いは酷かったので、怒るのも無理はないかと千隼は納得しながらその様子を見る。下手に口を出すのは良くないと判断したのだ。
「恥をかくといい」
和樹は不敵な笑みを残して、取り巻きと共に教室を出ていった。途端にしんと静まってなんとも重い空気が周囲を纏っていたが、和樹がいなくなったのを確認して陽平と直哉が近寄ってくる。
大丈夫かと心配げにしているのを見て、平気と千隼は返事をしてから風吹に目を向ける。彼は何か考えるように顎に手をやっていた。
「風吹先輩、どうかしました?」
「……いや、やけに自信ありげだったからね」
風吹の反応を見るに和樹が妖怪やその類といったわけではなさそうだ。源九郎も「あれは人間だ、妖狐様」と言っている。
「吉崎先輩を嫌がっていた生徒がある日突然、付き合いを始めたと噂できたけれど、詳しくしっている人はいるだろうか?」
「詳しく? オレが聞いたのは、昨日まではあんなに嫌がっていたのに次の日には付き合っていたとか、友達になっていたとか。なんでも、人が変わったようだって聞いたかな」
正博の話を聞いて風吹は目を細めた。確信めいた眼をしているように見えたので、古書を所持しているという予想は当たったのかもしれない。そんなことを考えていたら直哉が風吹に近寄った。
「あんた、千隼に近づくなよ」
「それはどういう意味だい?」
「あんたが絡むからあんな奴に目をつけられるんだ」
直哉は眉を寄せて睨むように風吹を見る。落ち着きを取り戻した教室内にまた不穏な雰囲気が漂い始めた。
何を言っているのだと千隼は直哉の行動に困惑していると陽平はあーっと額を押さえだす。
「確かに吉崎先輩は私に対して思うところがあるのだろう」
「分かっているなら……」
「けれど、彼をそうさせたきっかけはなんだい?」
吉崎和樹に目をつけられたきっかけと、その言葉に正博がオレですと答える。絡まれているところを暁星に助けてもらったからと、俯く。
「いや、あれは僕も悪くって……」
「でも、暁星のおかげで助かったし……」
ただ、こんなことになるとは思わなかったと正博は申し訳ないと謝る。千隼は「大丈夫、気にしてないから」と彼の肩を叩いた。
「むしろ、僕で良かったと思うよ! 佐々木さんだったら対処できなかったって!」
「で、でも薬師寺様にご迷惑を……」
「私は別に気にしていない」
気にしていないと言った上で風吹は「でも、彼の言う通り私と付き合っていれば、いずれは目をつけられていたかもしれない」と、それを予測できていなかった自分の不手際だと認めた。
「でも、私と友人として、先輩後輩として付き合うかどうかは千隼が決めることであって、飯島君が決めることではない」
違うだろうか。その問いに直哉は言い返そうとするも言葉が見つからない。風吹の言い分は間違ってはいないからだ。
どうこうするかは千隼が決めることであるのを、直哉自身も理解しているようで目線を向けてくる。心配そうなな眼に千隼は手を合わせながら答えた。
「えっと……直哉、ごめん。僕は付き合いはやめないよ」
どうしてと言われるとこの騒動は自分にも原因があって風吹が悪いわけではない。彼のことを嫌いではないし、迷惑だとも思っていない。
そもそも、付き合いのきっかけを作ったのは自分自身なのだ。自分から話しかけて付き合いを始めたというのに相手を悪者にしてしまうのはおかしいのではないか。
「心配してくれているのはわかるけど、僕は気にしてないし、平気だから大丈夫だよ!」
ねっと安心させるように笑む千隼の表情に直哉は何も言わない。無理をしているわけでも、嘘を言っているわけでもない本心から言われた言葉だったからだろう。
黙って睨む直哉のことを風吹は気にしていないといったふうだ。そんな二人の間に流れる空気を千隼は心配げに見つめるしかなかった。