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第29話 可能性の一つは証明される

 寮の消灯時間は早い。二十一時には寮内の電気は消されてしまい、廊下は常夜灯で照らされているだけで暗い。二十一時以降は私用で自室から出ることは禁止されていた。


 大抵の生徒は二十二時には就寝することが多く、千隼の同室であるクラスメイトの一人もそうだ。


 向かい側のロフトベッドから大きなイビキが聞こえてきたのを確認して、千隼はそっと布団から出て、ゆっくりと足音を立てないように自室の扉を開けながら廊下を確認する。


 誰も居ない静かな様子に千隼は自室を出て階段のほうへと足早に向かえば、風吹が壁に寄り掛かっていた。


 風吹が小声で「透が確認している」と言って、階段を下り始めたので千隼はやはりと頷く。


 風吹は寮の食堂の傍にあるゴミ捨て場に繋がる扉の前で立ち止まった。耳を澄ませてみれば、声が聞こえてくる。



「ゆうじー、今日は山に行かないかー。兄妹たちが待っているんだ」


「そう毎日、山までは行けないよ」


「そうかー。人間って融通が利かないんだなぁ」


「そういう問題じゃないのだが……」



 話し声を聞いてから風吹は扉を開き、タロットカードを投げた――子狐が逃げないように。


 ふぎゃぁという悲鳴を上げてころんと何かが地面に転がった。まんまるとしたぬいぐるみのような大きさで、愛らしい見た目の茶色の狐は頭に張り付いたタロットカードを剥がそうともがいている。



「風吹先輩の可能性って、当たってたんだ……」



 千隼は子狐に駆け寄った人物を見て呟いた。


 風吹はいくつかある可能性の一つを千隼に教えた。それは子狐が誰かに会いに来ていること、その人物が風紀委員長である斎藤裕二ではないかというものだ。


 寮の見回りを任されている彼ならば、夜に廊下を歩いていても不自然でなく、少しの間であれば死角になっている場所で密会をすることもできる。



「子狐、君はどうしてそうなっているか、分かるかい?」


「ひぃ! ようこさまぁ!」



 じとりと風吹が見遣れば、ひぃぃと鳴きながら子狐は風紀委員長である斎藤裕二に抱き着いた。


 黒く短い髪を掻き上げている彼は驚いたように風吹と千隼を交互に見遣っている。


 けれど、状況を把握したようで裕二は眼鏡を押し上げて、風吹に「何をしたんだ」と声低めに問う。



「その問いに答える前にまず、斎藤くんには聞かなくてはいけないことがあるんだ」


「なんだろうか?」


「彼のことを、〝彼らのことを〟どれだけ知っているかい?」



 風吹の問う声には少しばかり圧があった。聞いたこともない声色だったので、千隼はえっと彼を見つめてしまう。


 圧というのを裕二も感じているようで少しばかり警戒しながらも、「妖怪ということは知っている」と答えた。



「この辺りの山は霊山で妖怪や幽霊が居るというのは木枯こがらしから聞いている。誰にも教えてはいけないことだということも」


「では、彼が妖狐であるのも理解しているね?」


「あぁ……まだまだ弱いひよっこだって言っていた」


「妖狐様! ゆうじは悪くないんだ! 責めないでくれぇ!」



 裕二の腕から身を乗り出すように木枯と呼ばれた子狐が話に割って入る。その声は潤んでいて泣いているようだった。


 木枯の言葉に風吹はふむと考える素振りを見せてから、「話してごらん」と言った。子狐の主張は一応、聞くようだ。



「これはおいらが悪いんだ」



 木枯はこの山にやってきてから毎日のように遊んで暮らしていた。


 けれど、山の傍にあるこの学校にも興味を持っていたらしく、フェンス越しに人間を観察していたのだという。


 若い人間たちの話す声、遊ぶ様子に木枯はもっと見てみたいと思った。最初はだめだと自制していたのだが、だんだんと意思が弱くなる。


 少しなら忍び込んでも大丈夫、人間には自分の姿は視えないのだからと、とうとう好奇心に負けてしまったのだ。


 フェンスを越えて学校に入った木枯は人間たちの多さと、その明るい陽の気に驚きながらも、好奇心が向くままに散策した。


 人間たちの噂話、喧嘩、勉学に励む姿、それらは木枯にとって新鮮なもので。


 人間というのを間近で見たことがなかった木枯は楽しくて夢中になっていた時だ。


 グランドで練習をしていた野球部のボールが木枯の頭に思いっきり当たった。


 それはもう勢いよく当たったものだから、小柄な木枯は吹き飛ばされて壁を跳ねる。


 地面に転がった木枯は身体を強く打ったことで怪我をしてしまい、これは大変だと山に戻ろうとして――


『動物か? 山から下りてきたのか……にしてはなんだ、この見た目は』


 はっと顔を上げれば人間が観察するように自分を見ていることに気づき、木枯は思わず声を上げてしまったのだ。


『お前、おいらが視えているのか!』


 口に出してしまった言葉を無くすことはできない。木枯は自分を見つけた斎藤裕二に説明するしかなかった、ということだった。



「ゆうじは悪くないんだ。おいらが全部、悪いんだ。ゆうじは怪我をしたおいらを保護してくれようとしただけなんだ、妖狐様」


「なるほど。斎藤くんは視える人だったということだろうか?」


「どうだろうか。たまに不思議なものを視る程度だったんだ」



 幽霊と呼ばれるものだろう存在をたまに見かけるだけで、常日頃から視えるわけではない。


 恐怖体験というのもなく、「あ、何かあったな」といった程度だと裕二は答える。



「千隼とは少し違うタイプか。事情は理解したけれど、君はやってはいけないことをしているんだよ、木枯」



 やってはいけないこと。それは人間に存在を知られてしまう行為。


 この山に住まう妖怪たちは迷惑行為をしなければ、受け入れてくれるだけの広い心がある。


 けれど、そっと暮らしたい妖怪からしてみれば、木枯の行動というのは迷惑だ。


 人間に自分の存在を知られてしまうかもしれない行為をしているのだから。


 山で狐火を焚くなど以ての外だ。風吹の指摘に木枯はへにょりと耳を垂らす。「斎藤くんを山に招いただろう」と詰められて、はいと頭を垂れた。



「兄妹たちに紹介したかったんだ。おいらを助けてくれた人間だったから……」


「その行動でひっそりと暮らしている妖怪たちが迷惑を被っている。もう狐火の噂は学校に広まっているんだ」



 これで学校関係者が目撃し、霊能者など力のある存在がお祓いにきたらどうなるか。


 力の強い者ならば逃げられるが、弱い者はそうではない。風吹は落ち着いた声で叱った。


 言っていることは理解している木枯は何も言い返せず、「ごめんなさい」と謝るしかない。


 裕二も何かフォローしようとするも、事情を知らなかったこともあって言葉をかけられず、木枯の頭を撫でることしかできないようだった。



「風吹先輩。木枯は確かに悪い事をしてしまったとは思うんですよ。でも、彼の気持ちも分からなくもなくて……」



 話を黙って聞いていた千隼の言葉に風吹は振り返った。千隼は風吹の言いたいことは正しいというのを理解している。


 けれど、木枯の気持ちも分からなくもなかったと、落ち込んでいる彼を見遣る。


 人間に興味を持つのも、妖怪に興味を持った自分となんら変わらなくて。助けてくれた存在に懐くことも、信頼することも。


 もちろん、それで許される行為だったとは言えない。周囲の妖怪に迷惑をかけていい理由ではないからだ。



「木枯は反省しているよね?」


「うん、悪かった。みんなのこと考えられてなかったよ……」


「反省しているから許せというのは難しいことだとは思います。でも、これから気を付けていきことはできるかなって……」


「千隼の言いたいことは分かったよ。確かにやり直すチャンスというのはあるべきだ」


 はぁと一つ息をついて風吹は木枯を呼んだ。びくりと身体を跳ねさせながら木枯は恐る恐る近寄ってくる。


 ぺりっとタロットカードを風吹は剥がしてやった。えっと、固まる木枯に「二度はないよ」と忠告する。



「君が斎藤くんに会いに来るは良いけれど、山に連れて行ってはいけないよ。狐火で存在が見つかってしまう可能性もあるし、斎藤くんが学校関係者に怒られてしまうかもしれない」


「うぅ……わかった。おいら、目立たないように気をつける」



 木枯の返事に風吹はよしと頷いた。


 なんとかこれで解決したのかなと千隼がほっと息をつけば、風吹は「それで最後の問題なのだけれど」と裕二に目を向ける。



「斎藤くん、君は木枯が私の事をどう呼んでいるか聞いてしまったね?」


「あー……」



 そうだ、木枯は風吹の事を妖狐様と呼んでしまっていた。これには木枯本人も気づいて「おいらが悪いからゆうじだけは!」と風吹に縋りついた。



「知られてしまってはいけないことだと、その、おれも分かるのだが……」


「仕方ない。斎藤くん、明日の昼に中庭のテラスに来てくれ。少しだけこちらの事情を教えよう」



 木枯は裕二に自分の事を忘れてほしいと思ってはいない。これからも仲良くしていきたいという気持ちが伝わってきていた。


 だから、風吹は彼の記憶を消すという選択をしなかったようだ。



「話すんですね、事情」


「そうするしかない。忘れてほしくないという気持ちはわからなくはないからね」



 ぽつりと呟いた風吹の言葉はどこか悲しさを帯びていた。

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