乾いた石床を鳴らす足音が、古い木の壁に吸い込まれる。
足音は二つ――ライアンとリリアだった。いつもとは違い、先導するのはリリアだった。
二人は古い館の中に居た。
人の気配の無い、そこは足音だけが響く静かな空間だった。
先導するリリアの歩調はゆっくりとして、この時間を静かに味わっているようだった。
「良い場所って、よりによって、ここなのかよ……」
ライアンが前を歩くリリアに向かって言った。
「そうです。ここが一番良いと思いまして」
リリアは応えた。二人はがらんどうとした石床の部屋に来ていた。
「まさか、最期の場所が、騎士団の詰所とはねぇ」
「ライアンさんは騎士ですから。それに、ここなら邪魔は入らないでしょうし」
二人が歩く広間は騎士団の詰所の中の大広間だった。
ライアンは騎士団が健在だった頃の何十人もの騎士が居並ぶ光景を思い出していた。
「ま、確かに剣を置く場所ならここがいいかもな」
ライアンは愛剣の柄に手を触れながら呟いた。この愛剣を賜ったこの場所なら、この剣を置くにはふさわしい場所かもしれない。
リリアが広間の中央で足を止めた。広間はやけに静かだった。
「さて、やっとだな。今度こそ頼むぜ、リリア」
リリアはゆっくりと振り向いた。
「ひとつ、お使いを頼まれていまして……」
そう言いながら、リリアは筒状に丸めた紙と、何かの紋章が刻まれたボタンほどの金属片――徽章を取り出した。
「お使い? これを俺に?」
「はい、渡してくれと頼まれました」
「何だこれ?」
紙と徽章を受け取り、矯めつ眇めつ眺めるライアン。
「新しい任務を命じる書状と、この徽章はその証だそうです」
「……新しい任務、ねぇ」
「任務とはいえ、何もしなくていいそうです。この徽章をつけていれば、それでいいと」
「ふーん。まぁ、何かしろと言われても無理だけどな。……ん、よし。これでいいか?」
手際よく徽章を襟元に着けるライアン。
書状の方は開けることもせずに服の隙間に捩じ込んだ。その様子を見つめていたリリアはひとつ息を吐いた。
そして顔を上げて漆黒の双眸をライアンに近づけた。
「ライアンさん。私からも最期のお願いがあります」
透き通ったリリアの双眸には強い光が宿っていた。
***************
鮮やかな真紅のサーコートをたなびかせて、男は石床の上を歩く。
大柄な体躯が轟かす重厚な足音は、床をしっかりと踏みしめているようで、室内に重く響き渡った。
男は部屋の中央で立ち止まった。そして膝をつけて座る少女――リリアに声を掛けた。
「終わったかね?」
少女の前にはライアンが横たわっていた。
「はい。安らかに逝かれました」
「で? 私に話があるとは、なんの話かね?」
男は横たわるライアンを見向きもせずに、リリアに問いかけた。
リリアは立ち上がり、男の目を見据えて言う。
「一つ、提案があるのです。ルドルフさん」
リリアの前には騎士団長の叙任式を終えたばかりのルドルフの姿があった。
彼の纏う肩当て胸当てのみの典礼用の甲冑は、まるで貴金属のような光沢を放っている。
「提案、だと?」
訝るルドルフに向かって、リリアは薄く笑う。
「はい、双方に利益のある提案です。単刀直入に言います。ライアンさんみたいに国に魂を捧げることを厭わない方を、私に斡旋して欲しいのです」
その言葉にルドルフは瞠若した。
「……斡旋、だと?」
「はい、そうです。例えば、命に懸けても国を守りたい兵士とかです。騎士団長になられたルドルフさんなら、そういう方を見つけるのは容易いでしょう?」
いつもの稚さが一切削ぎ落とされたような、冷血な声音でリリアは告げた。
「な、なにを言っているのだ。リリア、どうかしてしまったのか?」
「このやり方は非効率なのです。哀れな悪魔を演じて同情を引いて、この娘の為なら自分の魂などくれてやってもいい。そう思わせるのは、すごく非効率で、すごく疲れるのです」
少し視線を落として、耳元の髪をかきあげながらリリアは言葉を続ける。
「でも、気づいたのです。そんなことをしなくても、国を想う兵士や騎士なら、同情を引かなくても魂を捧げてくれるのじゃないかなって。もちろん、それに見合った対価は提供いたしますよ。私の悪魔の力で」
リリアは美しく冷淡な微笑を浮かべていた。
ルドルフは金縛りにあったように動かない。
だが、少しずつ、少しずつだが固まっていた顔の口元が歪んでいった。
「フッ、フフ……」
歪んだ口から漏れたのは笑い声だった。
「ウァハハハハハッ!! そうかっ、そういうことなのか! リリア、お前は大した奴だ。そうか、そのお前が本当の姿か! 成程、そこの男のような死にたがりをお前に斡旋すれば、その対価として悪魔の力で願いを叶えてくれるというわけか!」
「その通りです」
リリアの答えに、ルドルフは卑しく嗤う。
悪魔さながらに。
「乗ったぞ。その提案」
「本当ですね?」
「あぁ、本当だ。兵士の一人や二人で国が守れるのならば安いものだ。いいや、それだけでは無い。お前の力を使って、邪魔な貴族共を排除すれば、儂は更なる高みに立つことすら可能だ。そうだ、この国そのものを、この儂の手に!」
色めきながらルドルフは、己の握りこぶしを目の前に掲げた。
その姿を確認するとリリアは顔を伏せた。
そして、静かに告げる。
「もういいですよ。ライアンさん」