横たわっていたライアンの身体がおもむろに起き上がった。
しかしライアンの顔は死体のように生気が無く、虚ろな視線をリリアに向ける。
「……どういうことだ。リリア」
「聞いての通りです。ルドルフさんは国の為、いいえ、己の野望の為ならば、兵士の一人や二人くらい喜んで差し出すそうです」
死んだとばかり思っていたライアンが起き上がったことで、ルドルフは言葉を失い青ざめている。
その顔をライアンは戸惑いの眼で見つめる。
「師匠。本当なのか、今の言葉……」
「ラ、ライアン。お、お前、生きていたのか……」
ライアンが生きていたことを喜ぶどころか、酷く狼狽するルドルフ。
その姿を見てライアンの疑惑は確信に変わる。
「本当なんだな、師匠」
「ま、待て、ライアン。儂は、その女の戯言に付き合うフリをしただけだ!」
「騙されないでください!」
澄んだリリアの声が部屋に響いた。
「私と二人きりだと思っていたルドルフさんが、演技をする理由はありません」
その反論に返す言葉が無いルドルフは押し黙った。
「ライアンさん。今回の一連の出来事を思い出してください。どれもこれもが、ルドルフさんの助力や情報が無ければ解決することは不可能でした。私たちが障害にぶつかったとき、まるで用意していたかのように、ルドルフさんから新しい情報が出て来ました」
「馬鹿な! 儂は情報網を使って得た情報を、お前達に教えてやっただけだ。儂は陰謀に加担などしておらぬわ」
「ええ、それは事実です」
リリアは漆黒の双眸でルドルフを見つめたまま答えた。
その双眸を見てライアンはあることに気づいた。
「リリア、その眼。師匠は『脅威』じゃないのか?」
『脅威』には蒼く反応するはずの双眸を覗き込みながらライアンは言った。
リリアは自らの瞳が良く見えるようにライアンの方へ顔を向けた。
「そうです。あの方は『脅威』ではありません。ルドルフさんは何もしていません。私の力は、この国に害を及ぼす明確な行動を起した人にしか反応しませんから。
ですが、付け加えるならば、あの方は最初から全てを知った上で、何もしなかったのです。
最初の騎士団への襲撃も、錬金術師の薬の存在も、クロムウェル卿やザウスベルク帝国が黒幕だったことも、全てを知っていたのです」
「どうして、どうして何もしなかったんだ」
「あの方の、あの格好がその答えです」
リリアはルドルフを指差しながら言った。
指差した先には豪奢な甲冑と真紅のサーコートを纏ったひときわ輝く騎士の姿があった。
「騎士団長? まさか、もう一度騎士団長に戻るため?」
「はい、騎士団が壊滅して、国に『脅威』が迫れば、必ず自分の出番が来る。
そして、その時に功績を挙げれば、もう一度、騎士団長の座に返り咲ける。あの方はそう思ったのです。
しかし、狙っていたのは騎士団長の座だけでは無かったようです。それは、先程あの方自身が口にされていた通りです……」
広間に沈黙が落ちた。静寂を破ったのは、ふんっと嗤うルドルフだった。
「悪魔の少女よ、やはりお前は大した奴だ。何一つ確証の無い推測を、たった一つの芝居で確たるものに変えるとは」
「……師匠」
思わずライアンが声を漏らした。
しかし、ルドルフはそれを気に留めずに言葉を続ける。
「しかし何故、儂を疑うに至った? お前達の前では、強欲さなど微塵も見せなかったはずだが?」
ルドルフは人を見下すような視線を向けながら言った。
「貴方のその目です。覚えていますか? 貴方がライアンさんに会いに酒場へ来たときのこと。
頭を下げるライアンさんを、貴方は今と同じような目で見ていました。それは、あえて言葉で表すならば、蔑みでした。
最初は気づきませんでした。でもある方の言葉で突然思い出したのです。
あれは確かに蔑む目だったと。私にはわかるのです。誰かが誰かを、疎み蔑む時の顔がどんな顔なのか」
リリアは目を伏せた。ルドルフの顔を見続けたくないとばかりに。
「顔と目か。さすがにそこまでは気がまわらなかったな。
それでどうするのだ? 儂の目的を暴いて、どうするつもりだ? 儂は誰もが認める功績を挙げて、騎士団長に任命された。
それを引き摺り降ろすのか? 『脅威』でも無い儂を」
「私は何もするつもりはありません。『脅威』では無い貴方を私はどうすることもできません。私ができるのはここまでです。あとは、お任せします――ライアンさん」
ライアンは殺意を露わにルドルフを見た。
「あの、ジークムントもそうだ。どいつもこいつも、そんなに偉くなりてぇのかよ」
「ふん、お前のような、野良犬のような輩にはわからんだろう。人とはそういうものだ」
「野良犬だと?」
「あぁ、そうだ、お前は野良犬だ。その野良犬を拾って、騎士にまでしてやったというのに、儂にそんな眼を向けるとはな。恩を忘れぬだけ犬の方がまだマシだ。だがどれだけお前が吼えようと無駄だ。願いを叶えたお前は死ぬだけだ。知っているぞ、そこの悪魔が魂を取らぬとも、お前は死ぬだろう?」
全ての本性を曝け出して、ルドルフは醜い言葉を並べた。その悪罵を聞きながらライアンの拳は固く握られる。
「あぁ、俺はもう死ぬ。だから最期に教えろ。俺みたいな奴の魂を使って、リアンダールをどうするんだ?」
「頭の悪い質問だ。どうするつもりも無い。利用価値がある内は使う。ただそれだけだ」
「使うだと? リアンダールを守ってはくれないのか?」
ライアンは一縷の望みを持って問うた。せめてルドルフの野望の傍らには、国や民を想う心があることを信じて。
しかし、そんなライアンの想いは一笑に付された。
「国を守るか。青臭い騎士の言いそうな台詞だ。国を守ることで儂の地位が上がるなら、守ってやらないこともない。
だがそうでないのであれば、どうなろうと知ったことではない」
「貧民街の連中は、あんたを慕って、信じて……」
「もう一度言う。どうなろうと知ったことではない。ネズミ臭い貧民街の連中など、むしろ消えて欲しいくらいだ」
その言葉を聞いて、ライアンは眼を閉じた。
胸の内側が渦巻く困惑や失望、怒り、それらが次第にある別の感情へと昇華されて行く。
そして数拍の後――剣を抜いた。
「ようやく、団長の言葉がわかったぜ」
「なんだと?」
「ディオブルック団長の言葉の意味だ。あの人はずっと俺に言っていた、騎士として国を護る誇りを持てと。
何のことだがさっぱりわからなかった。でもな、テメエを見ていると腹の中から妙な感覚が湧き上がるんだ。
怒りでも憎しみでもない変な感覚だ。
今理解したよ、あの人が言っていたのは、これのことだったんだ」
言葉を続けながら、剣の鋒先をルドルフに向けた。
ルドルフに真剣を向けるのは過去にも経験はある。
しかし、過去の挑戦は子が親に戯れるような遊びに過ぎなかったのだと、この瞬間にも腹の底から湧き上がり続ける本物の戦意が教えてくれた。
「ルドルフ。お前は騎士なんかじゃない。お前がこの国に居ることを俺は許さない。悪魔が裁けないのなら、俺が裁いてやる」
剣を構えたまま、ライアンは静かに眼を開けた。
「ルドルフ・オブライエン、俺がお前を討つ」
見開いた双眸は憎しみに濁らず、怒りに滾ることなく、決然と澄み渡っていた。
その眼を見据えてルドルフは不敵に嗤いながら剣を抜いた。
「犬が誇りを語るとは、笑わせるな」
ライアンは両の手に満ちる闘志を、剣柄もろとも握りしめて大きく振りかぶる。
愛剣に己の血が通っていく感覚。
眼前の老騎士を標的と定め、全身に飽和するほどに満ちた戦意が弾けるように、放たれた矢の鋭さで床を蹴った。