「――あった、これだ」
しばらく棚の中を物色していたヨハンが、やがて一冊の本を持ってきた。
その本は分厚い表紙でしっかりとした装丁だったが、古い上に保管状態も悪かったのか、表紙はボロボロで今にも崩れそうな有り様だった。
「なんだこれは?」
「これは『アルカナス目録教書』といって、錬金術の中でも特に難しいとされる錬成物の錬成方法が記された本だ。伝説の錬金術師のアルカナスが残した記述を弟子が編纂した本が原型となっていて、時代ごとに新しい解釈が書き加えられている本だ。ちなみに俺も違う時代の物を他にもう一冊持っている」
「へぇ」
ライアンはそう言いながら、恐る恐る本を手にとってページを捲ってみた。
中は到底理解できそうにない記述が並んでいたのですぐに本を閉じた。そして、興味深そうに覗き込んでいたリリアへと手渡した。
リリアがページを捲る横でヨハンは説明を再開する。
「書いてある錬成物は見事の一言に尽きるのだが、錬成の難易度があまりにも高すぎて、ここにある錬成物を誰もが一つたりとも作ることができないんだ」
「一つもか?」
「ああ、一つもだ」
「書かれていることがデタラメなんじゃないか?」
「実際、ほとんどの錬金術師はそう思っている。だが俺の考えは違う。ここに書かれていることは本当のことで、ただ生成方法が難しいだけだと信じている」
ライアンは腕組みをして、ヨハンの顔を見る。
先程までとは打って変わった彼の冴えわたる顔は意志の強さを表している。
「……どうして、そう言い切れるんだ?」
「俺は、この中の一つを完成の寸前まで造れたからだ」
ライアンは小さく「へえ」と呟く。
「そこで、俺の願いだ。この本に書かれた錬成物を俺に造らせてくれ」
本を眺めていたリリアが顔を上げた。
「造ってくれ、ではなく、造らせてくれ、ですか?」
リリアは最後の言葉が気になって問うた。
「ああ、そうだ。俺は出来上がった物が欲しいわけじゃない。自分の手で造りあげたいんだ。だから、俺が造れるように補助をして欲しい。この中の物が造れて、それで今度の競技会で優勝できれば、この世界に名残なんて無い、心置きなくおさらばできる」
「リリアが造って、それで優勝できればいいんじゃないか? わざわざ自分で造る必要はあるのか?」
ライアンは疑問を率直に問うた。
「まぁ、理解しがたいだろうが、何かを造り終わった時の快感ってのがあってな。競技会で優勝するのはもちろんだが、俺は造った瞬間の喜びももう一度味わいたいんだ。それがアルカナスの逸品なら申し分ねえ」
ヨハンは両の手を顔の前で握って高揚した表情で言った。
「――それに、そうすれば、俺は……」
「それに?」
ライアンの問いにヨハンは表情を冷めた笑みに変えた。
「あ、いや、なんでもねえ。ただ、悪魔の力を借りない限り、この手じゃまともな錬成なんて無理だからな」
「手がどうかしたのか?」
ヨハンは両手を開いて手の平を見せた。指は微かに震えていた。
「酒の飲み過ぎで、今やこんなんだ。まぁ、自業自得だがな」
なるほどとライアンは頷きながら、リリアを見やる。
「ということらしいが、どうだリリア、できそうか?」
問われてリリアは再び本を開いた。そして中を眺めながら問いかけに答える。
「そ、そうですね。補助をする内容にもよりますけど、ご自身で完成間近までできたと言われていましたので、少なくとも人ができる範囲なのかなと思います。人ができる範囲だが難しい、という内容なら可能と思います。けれど……」
「けれど?」
「けれど、この本に書かれた物を全部造るのは、悪魔の力を使っても相当な年月がかかるのではないかと思います」
その言葉に驚いたのはヨハンだった。
「ぜ、全部だって? 全部造らせてくれるのか!」
「え? 全部じゃないんですか?」
ヨハンの言葉にリリアも驚く。
「さ、さすがに、全部とは思っていなかったな、俺はてっきり一つだけだと……」
「別に一つでいいなら、一つにしとくか?」
ライアンが横からいたずらっぽく口を挟む。
「お、お前、意地が悪いな。そう言われて、一つにします、とはならねえだろ」
「じゃあ、何個だよ。ホントに全部造るのか?」
ヨハンは顎に手をあてて考え込む。
「いやでも、競技会まではそんなに時間がねえ、何個もつくることはできないな。一つ、いや二つだ。最低でも二つ造らせてくれ」
ヨハンはリリアに向けて二本指を立てて言った。
リリアは顎に手を当てて考える。
「競技会が終わるまででいいのですか?」
「そうだ、競技会が終わるまでに、最低二つを錬成できればいい」
「わかりました。では、競技会が終わる前にこの本に書かれた物を二つ以上造れていたなら、願いは叶ったということでいいですね?」
ヨハンはその問いに力強く頷いた。
それを見たリリアは漆黒の双眸に決意の光を宿らせて口を開く。
「では、最後の確認ですが、本契約――魂の契約は、願いが成就したあかつきには貴方の魂を頂きます。
そして、契約は私の力でも取り消すことは出来ません。それでもいいのですね?」
ヨハンはリリアの眼差しを真正面から受け止めて、凛々しく居住まいを正す。
「ああ、願いが叶ったら、俺の魂を捧げよう。必ずだ」
リリアはその言葉を聞いてライアンを見る。そして彼の頷きを確認した。
「――では、契約を結びます」
リリアが差し出した右手の前に手の平大の青白い魔法陣が出現した。
「願い事を言って下さい」
ヨハンは大きく息を吐く。
そして自らの手の平をしばらく見た後に、魔法陣へ視線を向けた。
「錬金術競技会が終わるまでに、『アルカナス目録教書』の錬成物を二つ以上造らせて欲しい」
その言葉を合図に魔法陣は緩やかに回転を始めた。
段々と回転は早くなっていって、それに伴い発光する光も強くなる。
部屋の中が真昼かと思うほど、まばゆい光で包まれた後、魔法陣はひとの背丈ほど大きくなって、ヨハンを飲み込んだ。
魔法陣は最後にひときわ大きな閃光を放って消えていった。
光が消えた後、何事も無かったように、ヨハンは元いた場所に立っていた。手足を動かしてみるが、何も変わったところはなかった。
目の前の悪魔の少女を見やると、彼女は緩く笑みを浮かべていた。
「契約の儀、完了しました」