ランプのオレンジの光で照らされた薄暗い部屋に、まばゆく青白い閃光が走った。
発光源はリリアの右手であった。
彼女が中空にかざした右手の先には、青く光る魔法陣が垂直に浮かんでいる。
そしてその中心には古びた本が、魔法陣に固定されているかのように微動だにせずに空中に有る。
リリアの口元が微かに動く。
すると、古びた本は魔法陣に飲み込まれるように、虚空へと消えていった。
「契約の儀、終わりました」
リリアが可憐に告げた。
ソファの上ではヨハンが今の光景をほうけた表情で眺めていた。
その彼のもとへとリリアは近づく。ヨハンはびくりと反応するが、ライアンに身体を押さえられた。
「大丈夫だ。悪いようにはしねえよ」
目の前にリリアが右手を差し出してきた。
その右手は頬に触れるか触れないかのところまで近づいてきて止まった。そして再び光を発する。
すると、ヨハンの頬の腫れとアザが一瞬にして消えてしまった。
驚いて頬を触って確かめるヨハンをよそに、リリアは他の傷の箇所にも右手をかざす。
リリアの右手は次々と傷を消していった。そして最後には、ひどく痛めつけられた腹部の怪我を治して、手の光は消えた。
ヨハンは信じられないといった様子で、自分の身体をあちこちと触る。
先程までは少し身じろぎするだけでも痛んでいた身体が、どこを触っても痛くもなんともない。
今起きたことを理解できぬまま、言葉がヨハンの口からこぼれる。
「傷が……。こ、これは、魔法か?」
予想通りの反応に、ライアンはニヤリと口角を上げた。
「似ているが、違うぜ。これは悪魔の力だ」
「悪魔だと?」
途端、ヨハンの表情が強張る。しかし、ライアンは気にせずに説明を続ける。
「ああ、そうだ。人と契約して願いを叶える、あの悪魔だ。それで、今のは『重器契約』っていってな、大事な品物と引き換えにささやかな願いを叶える契約だ。まぁ、お試し契約みたいなもんだ」
ヨハンは虚空に視線を彷徨わせて、今のライアンの説明を必死に理解しようとする。
「大事な物、引き換え……。俺の本が消えたのは、願いの対価として支払われて、消えていったってことか……」
「ああ、そうだ、理解が早くて助かるぜ」
「本当に、その、その娘が悪魔なのか?」
「ああ、そうだ。まだ信じられねえか?」
ヨハンはまっすぐにライアンを見つめる。
「……いや、信じるよ」
「随分と素直じゃねえか」
予想に反したヨハンの好反応にライアンは笑う。
ヨハンはソファに横になっていた姿勢から、身を起こして座り直した。
「俺は、これでも錬金術師でな」
意外な告白にライアンとリリアは少し驚いた。その反応を見てヨハンは続ける。
「今はこんなんだが、多少なりとも不思議な力ってやつを知っている。その俺が見ても、今の嬢ちゃんの力は理解できねえ。本を触媒にして傷を治すなんざ、錬金術がどう足掻いたって無理な話だ。魔法にしたって同じだ、不思議に見える力もある程度の論理はある。それが無いとなると、あとはもう人外の存在しかあり得ねえ」
「そうかい、この部屋に本と薬が溢れているのは、錬金術師だからか」
ライアンは部屋を見回しながら言った。
「今は、「元」がつくような落ちこぼれ錬金術師だがな」
ヨハンも同じように部屋の棚に視線を向けて、自嘲気味に笑った。
ライアンは無言でリリアの方を見て、微かに首をかしげた。何かを問いかけるように。
その仕草で意図を理解したリリアは逡巡の後、ゆっくりと首肯して返した。
ライアンはそれを確認するとヨハンに向き直る。
「さて、オッサン。ここからが本題だ。この悪魔との契約、今のはお試しだったが、本契約を結んでみないか?」
「悪魔との、本契約……。よく聞く話だと、悪魔は何でも叶えてくれるらしいが、本当なのか?」
その問いに、ライアンはリリアの方を向いた。
リリアは一歩ヨハンの方へ進み出る。
「本当です。いくつか条件はありますが、基本的には何でも叶えることができます」
「……そうかい、じゃあ、もう一つ質問だ。さっきのお試し契約の対価は品物だったが、本契約となると、その対価は何になる? ……やっぱり命か?」
「……はい、命、契約者の魂となります」
目を伏せながらリリアは言った。
そこまで聞いて、ヨハンは黙り込んだ。
黙ってしまったヨハンにライアンは問いかけるようなことはしなかった。
ヨハンの真剣な顔つきは、自身の命に関わる思考に及んでいることが明らかだったからだ。
「悪くねえ」
ぼそりとヨハンは呟く。
「このまま野垂れ死ぬくらいなら、この命を使って、最期に一花咲かせるのは悪くねえ」