ライアンは床に転がっていた酒瓶を踏んづけてしまった。
肩を貸していたヨハンもろとも転びそうになったが、なんとか踏みとどまった。
「大丈夫ですか? ライアンさん」
足元の酒瓶をリリアが拾って片付けてくれた。
「ああ大丈夫だ。リリア、すまないが明かりを探してくれ。足元がおぼつかない」
「わ、わかりました」
窓から入る月明かりを頼りに、リリアは暗い部屋の中で明かりとなるものを探す。
ここはヨハンの家であった。
痛め付けられたヨハンは歩くこともままならなかったので、ライアンたちが連れて帰ったのだった。
「……嬢ちゃん、もっと手前だ。手前の左側にランプが転がっているはずだ」
力ないヨハンの声だったが、その指示によりリリアはランプを発見し、部屋に小さな明かりが灯った。
その明かりによって部屋の中の雑然さがいっそう浮き彫りになった。
床には酒瓶の他にも、服やら椅子やらが転がっていて、明るくても非常に歩きにくい。
壁の方へと目を向けると壁一面は棚であり、本や瓶が無数にならんでいる。
そして壁際には大きな机が置いてあった。しかしそこも上に雑多に物が置かれており、机としての機能を果たせそうにない有様だ。
ライアンは部屋のソファにヨハンを寝かして、部屋全体を見渡した。
「しかし、汚い部屋だな」
率直な感想を述べるライアンに、部屋の主は応えず自嘲気味に笑う。
「へっ、雨風さえしのげれば、充分なんだよ」
「ま、そこは同じ意見だがな。……ん? どうしたリリア、何か探しているのか?」
ライアンがごそごそと物音がする方を見ると、リリアが棚に陳列されている雑貨を物色していた。
「あ、いえ、傷の手当をするような物がないかな、と思いまして」
そう言われてライアンはヨハンの顔を見る。
ところどころに腫れや青あざがあり、口の端には血が滲んでいる。
「オッサン、ここに薬とかはねえのか」
ライアンの問いかけに、ヨハンは鬱陶しそうに棚を見やる。
「……そこら辺、薬だらけだ。だが、傷の手当をするような上品な薬は一つも無いがな」
「薬だらけ?」
「何でもねえ。というか手当なんか要らねえよ」
「強がるんじゃねえよ。結構、派手にやられてるぜ」
顔を覗き込むライアンを、ヨハンは手で払う。
「けっ、余計なお世話だ」
ヨハンはそのままソファに身を沈める。それを見下ろしながらライアンは一つ息を吐いた。
「で、どうするんだ? オッサン」
「……あ? 何がだ?」
「このままだと、アイツ等は明日にもまた来るぜ。そうなると、今度こそオッサンの命はねえかもしれねえぞ」
「へっ、つくづくお節介だなお前。そんなこと関係ねえだろ。死ぬときゃ死ぬんだよ。そもそもお前らが邪魔に入らなきゃ、今頃、こんなクソみてえな世界から、おさらばできたのによ」
それは勢いで言った何気ない一言だったのだろうが、ここにはそれを聞き流せない男が居た。
「つまんねえことを言ってんじゃねえよ」
ライアンの言葉に怒気が混じる。
かつての自分が吐いたのと同じような言葉を聞いて、なぜだか胸の中に強烈な嫌悪感が湧いてきたのだった。
「つまんねえのはこの世界だろうが、こんな世界には用はねえ。とっとと別の世界に行きたいぜ」
「つまんなくしているのは自分だろうが」
ライアンは一歩ソファににじり寄る。
その身が帯びる緊迫感をヨハンも感じ取った。
「お前、やけに突っかかるじゃねえか。ひょっとして命の大切さとかを俺に説いてくれるのか? やめとけ、馬に聖典を読ませるほうが有意義だぜ」
ぎゃははとヨハンは笑う。
その笑い声で毒気を抜かれたライアンは一つ息を吐いた。
ふと、壁際の棚の前にいるリリアが視界に入った。彼女は棚の中の物を珍しそうに眺めている。
こうして見る限り普通の少女だが、この娘の正体は――。
「――オッサン、やっぱりこの世界はつまらなくはないぜ」
その言葉に、ヨハンは「あぁ?」と訝るが、ライアンは意に介さず続ける。
「最期に俺が面白くしてやるよ」
そう言って、ライアンは壁際のリリアを手招きで呼び寄せた。
足元を気にしながら近づいてきたリリアに言う。
「リリア、このオッサンの傷を治してみよう」
「え? でも、傷を治すお薬とかが無いですけど」
きょとんとして言うリリアにライアンは不敵に笑う。そして再びヨハンに振り返る。
「オッサン、何かひとつ、自分にとって大事な品物は無いかい?」