ライアンとリリアの二人が酒場の前に到着すると、見たことのある顔がいた。
昨晩、酒場を出るときに遭遇した酔っ払い男――ヨハンだった。
彼は、昨晩と同じ強面の酒場の男と相対していた。
「中へ入れろって、言ってんだろうが」
腕組みをする酒場の男に向かって、ヨハンは怖気づきもせずに叫んだ。
「駄目だ。さっきも言ったが、中に入りたきゃ金を見せてみな。テメエにはツケで飲ませる酒はねえ」
「ツケで飲んでも、昨日みたいに払うからいいだろうが」
「昨日は、たまたま気前のいい客がいたからだろうが。いつもあんなに都合よくいくわけがねえ」
酒場の男は微動だにせずに冷たくあしらう。
ヨハンはしばらくの間、男を睨んでいたが、やがて舌打ちをして踵を返した。
「おい、オッサン」
酒場の前から立ち去ろうとしていたヨハンに、ライアンが声を掛ける。
ヨハンは不機嫌そうな顔で振り向いた。
「あん?」
「オッサン、酒飲むなら、昨日の金を返してから、飲んでくれねえか」
「誰だ、お前」
「とぼけんなよ。昨日の夜に、ツケを立て替えてやったろうが」
ライアンのその言葉に、ヨハンは目を眇める。
「ああ、昨日の兄ちゃんか。なんだ、なんか用か?」
「だから、昨日の金を返せって言ってるだろう」
「昨日は金を借りた覚えはねえ。あれは貰ったんだ。人にやったものを、返せとか言ってんじゃねえ」
「オッサン、そんな理屈が通ると……うん? なんだ、お前ら」
ライアンの背後には、いつの間にか数人の男たちが立っていた。
先頭の男は禿頭の巨漢で、数人の男たちのリーダーのような風格を持っていた。
その大男は、外見のイメージ通りのドスの聞いた声でライアンに問う。
「自警団さんよ、アンタ、こいつの知り合いかい?」
巨漢の男はヨハンを指さしながら言う。こいつというのは、ヨハンのことらしい。
「知り合い? そんなんじゃねえよ。金を貸しているんだ。返してくれなくて、困っているけどな」
「そうかい。だけど、こっちが先だからよ。後にしてくれねえか」
「先?」
訝るライアンをよそに、大男はヨハンに近づいていく。
ライアンの周りには、大男の取り巻きたちが立ち塞がる。
「おい、何をしてる」
ライアンは目の前の取り巻きの男に問うた。
「俺らもあのヨハンに金を貸しているんだ。ずっと前からな。だから俺らの方が先だ。アンタの分は後だ」
ぐぇっというくぐもった声が聞こえた。見ると禿頭の大男の前で、ヨハンが腹を抑えてうずくまっている。
「ま、待ってくれ! か、金なら返すから」
ヨハンはそう言うが、大男はお構いなしに腹を蹴り上げた。
またしてもヨハンの口からうめき声が漏れる。
その様子をライアンの周りの男たちはニヤニヤと見ている。
「――今日で終わりかもな、ヨハン」
「ああ、グンターさんも手加減してねえし。というか、話しを聞く気もねえみたいだ」
そんな会話がライアンにも聞こえてくる。
そしてそれはリリアにも聞こえていたみたいで、後ろからそっと袖が引かれた。
「おい、終わりかも、ってどういうことだ」
ライアンは目の前の男に問うた。
「あ? あぁ、あのオッサンのことか。そのまんまの意味だ。もう借金を返すことができねえのなら、これ以上増えねえようにするしかねえだろ」
「……始末すんのか?」
「まぁ、一旦は奴隷として売りに出してみるだろうが、なんせあの年だしな、買い手がつかなきゃな……」
リリアがいっそう強い力でライアンの袖を引く。その手からは微かな震えも伝わってきた。
途端、ライアンの瞳に強い力が宿った。
「おい、なんだその目は。止める気かい?」
「これでも自警団だからな。見過ごす訳にはいかねえよ」
そのライアンの言葉を、周囲の男たちは嘲笑う。
「おいおい、自警団はひとの借金にまで首を突っ込むのか?」
「別に借金がどうとかは関係ねえし、関わるつもりもねえ。ただ目の前で起きている暴力沙汰は、見過ごせねえってだけだ」
言いながら腕まくりをするライアン。
さすがに剣は抜いてはいないが、臨戦態勢に入ったことは明らかだった。
「怪我じゃ済まねえぞ、自警団の兄ちゃん」
周囲の男たちの雰囲気も戦闘時のものへと切り替わる。
「三下はどいてろよ。痛いのは嫌だろ?」
男たちの剣呑の雰囲気に一切動じることなく、ライアンは一歩前に出る。
それが合図かのように、男たちが殴りかかってきた。
突きをかわしながら目の前の男の顔面に一発。そのまま振り向きながら回し蹴りを後ろの男のみぞおちへ。
背中から羽交い締めにされるが、後ろの男へ後頭部で頭突きをお見舞いする。
それでひるんだ後ろの男を、前から殴りかかってきた男へぶん投げた。
あっという間に、ライアンの周りにいた男たちは、地面に転がった。
「リリア、今のうちに、離れていろ」
巻き込まれないようにリリアを避難させてから、ライアンはヨハンたちの所へ向かう。
「そこまでだ。そのオッサンは俺が預かる」
大男の背後からライアンは声を掛けた。
這いつくばるヨハンを足蹴にしていた男の動きが止まった。
「……お前も殺されてえのか、自警団の兄ちゃん」
「悪いが、アンタじゃ無理だ。そのオッサン置いて、今日は帰りな」
振り向き睨みつける大男の威圧にもライアンは動じず飄然と答える。
次の瞬間、裏拳が飛んできた。
ライアンの鼻先を豪快な拳が通り抜ける。当たれば鼻どころか頭蓋すら砕きかねない豪打だった。
今度は蹴り上げが来た。
それもライアンは後ろへ飛んでかわした。背筋の凍るような風切り音が通り抜ける。
巨漢に見合わない素早い攻撃に、ライアンは間合いを広げた。
だが、大男は即座に間合いを詰めてきた。その速さに驚くライアンへ剛腕がうねりを挙げて襲いかかる。
しかし、必中のタイミングで放たれた一撃は、ライアンの頭部を捉える寸前、左手一本で受け止められた。
大男は瞠若した。
彼の予測では、ライアンは体ごと飛ばされて、無様に地面を転がるはずだった。それが片手一本で受け止められたのだ。
次の瞬間、男の腹部に強烈な衝撃が走った。
ライアンの拳打が男のみぞおちを突き上げたのだった。
そのあまりの威力に大きな身体が地面から少し浮き上がるほどだった。
「――ッ!」
言葉にならないうめき声を発しながら、大男はたたらを踏んで後ずさった。
腹部の激痛に耐えながらも、なんとか倒れずに持ちこたえている。
「へぇ、今ので倒れないとか、頑丈だな。……だけど、まだやるかい? そのオッサン置いていった方が賢明だぜ?」
汗一つかいていないライアンは悠然と言う。
大男は額ににじんだ脂汗を拭う。
「こんなことしても、何にもなんねえぞ。お前の貸した金なんて返ってこねえ。コイツは遅かれ早かれこうなるんだよ」
大男は地面に転がっているヨハンを一瞥しながら言った。
「まあ、そうだろうな。今日はとりあえず助けてみただけだ。後先のことは知らねえ。この後どうするかは、オッサン自身で考えさせるさ」
ライアンの返答に大男は嘲笑する。
「無駄だな。コイツは何度チャンスをやっても、何度考えさせても、こうなっているんだ。考えさせるだけ無駄ってもんだ」
「今までそうだったからといって、次もそうだとは限らねえ。俺はこのオッサンの「次」に賭けてみた。それだけだ」
そう言いながら、ライアンはヨハンに肩を貸して、抱き起こした。
「おら、行けよ。グズグズしてると、他の自警団が大勢やってくるぞ」
ライアンは顎をしゃくる。大男が周りを見ると、大勢の野次馬が集まっていた。
騒ぎを聞きつけた自警団がやってくるのも時間の問題だった。
「……馬鹿だなお前。その賭けはもう負けが決まっているぞ」
「上等だよ」
大男とライアンはしばらく顔を見合わせる。やがて大男はふっと笑った。
「馬鹿が」
そう言って大男は、取り巻きの男たちと足早に去っていった。