『願人の聖水晶』が完成した夜。
とっぷりと夜も更けていたが、ライアンたちは遅めの夕食の為に酒場へと足を運んだ。
そこに居たのはシェリーとトリシアであった。
いかにも深酒をしていそうな二人を目にして、ライアンはそっと逃げようかと思ったが、許してもらえず、当然のように相席することとなった。
テーブルについたライアンをトリシアが恨めしそうに睨みつけてくる。
あまりの強い眼力にライアンは目を逸らした。
リリアの方もトリシアからにじみ出る殺気を感じて、顔を上げることができずに膝上の握り拳を見つめている。
「しょうがないじゃない、トリシア。人手不足なのだから。これも経験と思いなさい」
シェリーが宥めるようにトリシアに言う。
「わかっています。働き手が必要だったので仕方がありません。だから、文句は言っていません」
どうやらトリシアはメイドとして働かされたことを、強烈に根に持っているようだ。
ライアンはなんとかその結論にたどり着くことができた。
トリシアは確かに文句のひとつも口に出してはいない。
しかし目は口ほどに物を言うというが、それを顕現させている彼女の視線は、文句を言われるよりもよっぽど怖かった。
「そういえば、トリシア、あの二人組がいたのよね?」
努めて明るく言うシェリーの言葉に、トリシアはふっと殺気を解く。
そしてエール酒を一口飲んで心を落ち着かせた。
「ええ。ライアン、あの露天市で絡まれていたあの二人が屋敷にやってきたぞ」
「あの二人?」
「そうだ、先日の露天が並ぶ通りで、女をかばって殴られていた男と、その連れの女だ」
「ああ、あの二人がどうかしたのか?」
「あの二人、どうやら、奇跡認定をするために派遣された、聖道教会の人間らしい」
その言葉にライアンの手は止まる。
「奇跡認定、あの二人が。……しかし、あの二人、特に男の方は結構な使い手だったぞ。とてもじゃないが、教会の人間になんて見えなかったな」
「そうだ、私も今日間近で歩き方を見て気付いたが、並の使い手ではない。あんな人間が派遣されてきた以上、今回の競技会は何かありそうだ」
「そうそう、だから、自警団のアンタにも情報を流しておかないと思って待っていたのよ」
シェリーがグラスを傾けながら言う。
「そうか、助かるよ」
ライアンは二人の気遣いに素直に謝辞をのべた。
「まぁ、教会というからには、悪い奴らじゃなさそうだけど、問題はあの二人が何を想定して来ているかよね」
「そうだな、自警団で見回りをするときに、もっと注意深く見てみるよ」
そう言って、この話題をライアンは締めくくった。
「まぁ、それより、アンタたちの方はどうなの? 今日の錬成作業は上手くいったの?」
シェリーが言った。
「ああ、お陰で上手くいったよ。ヨハンのオッサンいわく、完璧だったらしい」
その返答にシェリーは感心した。
「へえ、じゃあ、もう終わったのね、さすがはリリアちゃんの力ね」
「ああ、そう、なんだが……」
返事の語尾が濁ったライアンをシェリーは訝る。
「何? 歯切れが悪いじゃない」
「実は、明日も朝から手伝いに……いかないと行けなくてな……それで、仕事が……」
ライアンは最後まで言葉を続けることができなかった。
みるみる殺気が膨らんでくるトリシアの方は怖くて見ることができなかった。
かくしてシェリーとトリシアのメイド生活はしばらく続くことが確定したのだった。
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次の日の朝、ヨハンたち一行は再び森の中に来ていた。
昨日と同じく穏やかな天気で、森の中には程よく日差しが差し込み、木々の葉の表面を輝かせていた。
夜露でしっとり湿った地面は、一歩ごとに土の香りが立ち上る。澄み渡る空気が体を満たす気持ちのよい朝だった。
先頭を歩くヨハンは、昨日とは打って変わって足取りが軽い。背中に背負ったカゴを小気味良く揺らしながら、山道を進んでいる。
「今日は調子良さそうだな、オッサン」
ヨハンと揃いのカゴを背負ったライアンは、前を歩くヨハンに声を掛けた。
「おう、今日は体が軽いぜ。昨日歩いたお陰で、体が昔を思い出したみたいだな」
ヨハンは振り向いて笑いながら快活に答えた。
どうやら機嫌も良いらしい。
「今日は何を取りに行くんだ? 造るのは『万療樹の杖』だったか。やっぱり木の枝を取りに行くのか?」
「そうだな、確かに二品目は、『万療樹の杖』だが、今日取るのはそいつの材料じゃない。今日は資金調達だな」
「資金調達?」
訝るライアンに向かって、ヨハンがにやりと笑う。
「今度造る『万療樹の杖』の材料は、その辺で手に入る物じゃなくてな。金を払って買わなきゃならねえ。今日はその金を造るための材料採取だ」
「金が要るならリリアに頼んでみたらどうだ? 出せるかもしれねえぞ」
「まぁ、それも考えたが、味気ないだろ。どうせなら最期くらい働いて稼ぎたい」
「ふーん、そうか」
すると、ヨハンが山道で立ち止まって辺りを見渡し始めた。
「この辺だな」
そういってヨハンは山道を逸れて森の奥へと入っていく。
「ここからは道がねえ、足元に気を付けな」
そう言うヨハンに続いて、ライアンとリリアも草むらを掻き分けて森の奥へと入っていった。
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しばらく歩いただろうか、ヨハンが不意に歩みを止めた。
「確か、この辺だったはずだが……」
ヨハンが周囲を囲む太い木を眺めながら呟いた。どうやら、お目当ての場所かどうかを、立ち並ぶ木々で確認しているらしい。
ライアンたちは景色の違いなど全くわからないので、ヨハンを見守るだけだった。
するとヨハンがとある木の根元の草を掻き分けて、何かを探し始めた。
そして「おっ」と小さな歓声を上げた。
「幸先がいいぜ」
ヨハンが草むらの中から一本のキノコを取り上げて、ライアン達に見せた。
「なんだこれ?」
ライアンはその茶色いキノコをまじまじとみながら聞く。
「マツエリタケだ。錬金術の材料でな、高く売れる」
ヨハンは背中のカゴを降ろして、マツエリタケを放り込み、代わりに紙の束をカゴから取り出した。
「さて、ここからは、お前さんたちにも手伝ってもらうぜ」
そう言いながら、ヨハンが紙の束をライアンに手渡した。
「なんだこれ?」
パラパラと紙の束をめくっていくライアン。
紙には草やキノコの絵とその説明らしき文章が書かれている。
「お宝のリストだよ。ここに書かれている奴らを探してくれ」
その言葉に眉を寄せるライアン。
「……俺らも探すのか……」
「あったりまえだ、これも立派な錬成作業の一つだ。手伝ってもらうぜ」
「間違えて変なキノコ取ってきてもしらねえからな」
「大丈夫だ、最後は俺が確認するから、怪しそうな奴は片っ端から取っていきな」
ライアンはため息をつきながら、手元を覗き込んできているリリアへ紙の束を渡した。
リリアはその紙の束を受け取った瞬間、ピクリと身を震わせた。
「ん? どうした、リリア?」
ライアンは様子が変わったリリアの顔を覗き込んだ。そして目を見開いた。
「ライアンさん。お宝は意外と簡単に見つけられるかもしれませんね」
リリアは蒼い光が灯る瞳で微笑んだ。
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その後の採取はリリアの言う通り、簡単な作業だった。
リリアは悪魔の力でもって目当ての物を容易に見分けることができたので、ヨハンが準備したリストは必要なかったのだ。
熟練者でも敵わない早さで薬草やキノコをカゴに次々と放り込んでいく光景に、ヨハンは目を丸くしていた。
「改めて思うが、凄いな悪魔の力は……」
「まぁな」
ヨハンの隣で腕組みしながらライアンはなぜか偉そうに答えた。
「ライアン。嬢ちゃんが働いているからといって、お前がサボる理由にはならねえぞ」
ヨハンがそう言って紙の束をライアンに押し付けた。
ライアンは目を泳がせて口元をぎこちない笑顔にする。
「そんな顔しても駄目だ。ほら、働け」
「やっぱりそうか」
少し項垂れて、ライアンは紙の束を片手に草むらの中に入っていった。
その背中を見送った後、ヨハンは空を見上げた。
木々の間から差し込む陽光に目を眇めて汗を拭う。
そして目を閉じて深呼吸をした。
この空間に溶け込んでいくような大きな深呼吸だ。身体いっぱいに森の空気を行き渡らせて、ヨハンは笑顔を作る。
胸の奥にある杭のようなつかえはまだ消えないけれど、少しでも痛みはやわらぐようにと深く息を吸った。
「さて、俺もやるか」
凛と瞳を輝かせながらヨハンは呟いた。