三人が街に帰り着いたのは、まだ陽が高い昼下がりだった。
採取品でいっぱいとなったカゴをそれぞれが背負って通りを歩いている。
一行は森から帰ってきてから、工房には寄らずに、そのまま街の中心地近くの通りへやってきていた。
ヨハンいわく、採取品を買い取ってくれるところに行くとのことだった。
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「――ここだ」
とある店の前で看板を見上げながらヨハンが言った。
彼はそのまま扉を開けて中へと入っていく。
ライアンとリリアもそれに続いて店へと入った。
店に入るなり、様々な匂いが鼻に飛び込んできた。強い薬品のような匂いであったり、焦げた鉄のような匂いであったり、普通に街で暮らしている限りは出会わないような独特の空気だった。
店の中は多くの客で賑わっていた。誰も彼もが真剣な表情で品物を見つめたり、店員と話しこんでいたりしている。ざわざわと騒がしい店内だったが、ヨハンたちが入るなり一斉に静まってしまった。
カゴいっぱいの草木を背負った三人組は、この店ではどうやら異質だったようで、客たちの視線を三人は一身に受けることとなった。
客の一人が「あっ」と声を上げて、連れの客へと耳打ちをしている。表情と視線から察するにヨハンのことを話しているらしかった。
ヨハンはそんな視線やささやきなどお構いなしに、店の奥のカウンターへと進む。
「やぁ、ベルハルトはいるか?」
カウンターの中にいた若い店員にヨハンは声を掛けた。
店員は突然現れたカゴを背負った三人組に驚きながらも答える。
「店長なら、店の二階にいますが、どういった要件でしょう?」
「ああ、要件とかいいから、呼んできてくれ。ヨハン・クロイツが来たと言えばわかる」
店員はヨハンの名前を小さく復唱して、はっとした表情になった。
「い、今すぐ、呼んできます! 少々お待ちを!」
店員は転びそうになるほど慌てながら、店の奥へと消えていった。
そしてすぐにドタドタと言う足音とともに、大柄な角刈りの男が現れた。
そのいかめしそうな男はヨハンの顔を見るなり相好を崩した。
「ヨハン! ヨハンじゃねえか! 久しぶりだな! どうした、昼間っから外に出て。酒場以外でお前を見るのは何年ぶりだ?」
「ああ、久しぶりだな。相変わらず声がでけえな、ベルハルト」
「いやぁ、こればっかりはどうしようもねえ」
ベルハルトと呼ばれた男は大きく口を開けて笑う。大きな笑い声が店中に響いた。
「まぁ、いいさ、ベルハルト。今日は買い取ってもらいたい物を持ってきたんだ。ちょっと見てくれるか?」
ヨハンは背中のカゴをカウンターに降ろして、ベルハルトの方へ突き出した。
「こりゃ、また、沢山取ってきたな……」
「これと同じのがまだ二つある」
ヨハンはそう言って、ライアンたちを指差した。
ライアンとリリアも倣ってカゴをカウンターに置いた。
「へぇ、あと二つも。……うん? 誰だこいつら?」
ベルハルトは興味深そうにライアンたちを見る。
「ああ、助手みたいなもんだ。競技会までの間、限定で手伝ってもらっている」
「競技会! ヨハン、競技会に出品するのか!」
「だから、声がでけえって。ああ、たまには錬金術師らしいことをしようと思ってな」
「そうか、そりゃあ、楽しみだ」
うんうんと腕組みをしながらベルハルトは笑顔で頷いている。
「まぁ、良いものを造るには良い材料が要る。だが良い材料を買うには金がねえからよ、こうやって、金になりそうなモンを取ってきたんだ」
「わかったぜ、早速査定するからよ、その辺で座って待ってな」
ベルハルトは三つのカゴを一人で抱えて、店の奥へと消えていった。
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ヨハンが窓際の商談用の机で待っていると、ベルハルトが紙束を持ってやってきた。
「――いやぁ、とんでもないな、あんな希少種ばっかり大量にどこで採ってきたんだよ?」
「そりゃ、お前の頼みでも言えねえよ」
「ま、そりゃそうか」
「それで、どうだ、いくらになる?」
ヨハンのその質問に、ベルハルトは苦い顔になる。
「……なんだ? 安いのか?」
訝りながらヨハンは問う。
しかしベルハルトは首を振る。
「逆だよ。逆。高すぎるんだよ。どれもこれもが希少すぎて、買い取り価格の総額がとんでもねえことになっている!」
ベルハルトは手にしていた紙束を机の上に置いた。紙には一つ一つの査定額が事細かく書かれている。
「なぁ、ヨハンよ。こりゃ、全部は買い取れねえぞ。さすがにウチでもこんな金額は払えねえ」
両手を広げて降参のようなポーズをするベルハルト。
ヨハンは店内を見渡しながら告げる。
「じゃあ、物々交換といこうじゃねえか。払えない分は、代わりに店の品物と引き換えでどうだ?」
「物々交換か懐かしいな。若い頃はよくやったな。いいぜ、何でも好きなもの持っていってくれ」
「そうかい、じゃあ、エルバリスの木の枝の太いやつと、宝玉用のサナリオン石を一つ、アムリタ水をありったけ。あとは、エルドラの葉と、セラハイト鉱をそれぞれ一欠片だ」
それを聞いた途端、上機嫌な表情だったベルハルトの顔が固まった。
「……ヨハン、何を造るつもりだ……、まさか」
「そのまさかだ」
ベルハルトは立ち上がり叫ぶ。
「『アルカナス目録教書』に挑むのか! しかも「『万療樹の杖』」か!」
店中にベルハルトの大きな声が響いた。その声の大きさもさることながら、言葉に含まれるフレーズに客たちの間でどよめきが起きる。
店中の注目を集めていることにすら気づかずにベルハルトは続ける。
「やめておけって! あの目録教書はおとぎ話だ、あれのせいで過去何人もの錬金術師が破滅している。お前だって、あれのせいで――」
「――ベルハルト」
低く剣呑さをはらんだ声でヨハンが遮る。
「声がでけえって」
ベルハルトは口をつぐむ。そしてようやく自分たちに視線が集中していることに気づいた。
咳払いをしながら椅子に腰掛けた。そしてヨハンの真剣な眼差しをみながら大きなため息をついた。
「俺は、お前みたいな錬金術師にはなれなかった。だから道具を売る側――錬金術師を補助する側にまわって精一杯錬金術師を応援しようと思っている。
だから、道具や材料を売れと言われれば、それがどんなに不相応でも断らない。
どんな錬金術師にもある可能性ってやつを潰したくないからな」
ベルハルトはヨハンの方に身を乗り出して続ける。
「だから、言われたものは用意してやる。だがなこれが最後だ。今度失敗したら、二度と『アルカナス目録教書』には手を出さないと誓え。それが条件だ」
ヨハンはベルハルトの顔をみながらふっと笑う。
「お前がダチで良かったよ」
「誓うのか、誓わないのか」
「ああ、わかったって、誓うよ。だからそんな怖い顔で近寄るって」
それを聞いてベルハルトは椅子の背もたれに戻った。
「材料はともかく、錬成道具は揃っているのか?」
「ああ、昔使っていたやつがあるからな」
「道具ってやつは日々進歩している。最高級の道具もつけてやる。せいぜい頑張んな」
ベルハルトは穏やかに笑いながら告げた。
「ああ、恩に着る」
ベルハルトは近くの店員を呼んで指示をした。
店員は目を丸くしていたが、ベルハルトに促されて、店の奥へと消えていった。
ベルハルト曰く、材料と錬成道具をあわせると大層な大荷物になるとのことだった。
なので、ベルハルトのはからいでヨハンの工房へと運んでくれることとなった。
そして全ての用事が済んだ後、ヨハンたち三人は空となったカゴを抱えて店を出た。
最後まで客たちの視線はヨハンに集まっていた。
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「さて、余った分で金も手に入ったし、メシでも食って帰るか」
ヨハンは歩きながらライアンたちに言う。
「オッサン、随分と注目されていたな。アンタ有名人なのか?」
ライアンの問いに、ヨハンはニヤリと笑う。
「そんなことはどうでもいいだろ、それよりも何が食いたい? やっぱり肉か?」
やたらと上機嫌なヨハンに嘆息するライアン。
その時、不穏な気配を感じて足を止めた。
後ろを向くと、いかつい男二人がこちらを見ている。どうやら後をつけてきているようだ。
リリアに袖を掴まれた。
「ライアンさん」
呼ばれてリリアを見る。
彼女の視線の先には見覚えのある男が立っていた。
以前、酒場の前でやりあった借金取りの大男――グンターだった。
「よう、久しぶりだな」
ライアンは不敵に言う。
グンターはふんっと鼻を鳴らす。
「兄ちゃんには用はねえ。おい、ヨハン、ベルハルトの店に材料を売りに来たそうじゃねえか」
「相変わらず情報が早いな、グンター。それで借金を取りに来たのか?」
「それ以外に、お前に会う理由があるか?」
無機質な声音でグンターは答えた。
この大男から発せられる低い声には特有の威圧感があるのだが、それに動じずヨハンは笑う。
そして胸元から何枚かの金貨を取り出した。
「今からメシを食うからよ、今日はこれで勘弁してくれ」
グンターは近寄って、無言でヨハンの手から金貨をむしり取った。
そしてヨハンを一瞥してそのまま何も言わずに立ち去ろうとした。
「――おい、借金取り」
グンターの背中へライアンが声を掛けた。グンターは無言で振り返る。
「賭けは俺の勝ちだな。オッサンには「次」があったぜ」
「……兄ちゃん。アンタはヨハンのことを知らねえ。せいぜい裏切られないように気をつけな」
それだけ言い残してグンターは去っていった。