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万療樹の杖

 次の日、いよいよ『万療樹の杖』の製作が始まった。


 まずは、柄の部分となるエルバリスの木の枝を削り込みから始まった。

 削るナイフはアムリタ水に浸して清めながら使う。


 木の枝を杖の形にし終わったら『願人の聖水晶』の時と同じように杖の表面にルーン文字を刻みこんでいった。

 杖の柄の部分の下準備が完了したら、次は先端に取り付ける宝玉の製作に移った。


 宝玉の母体となるサナリオン石を削って形を整える。

 そしてセラハイト鉱を坩堝で溶かして液体状にして、それを使って石の表面に彫金細工を施す。

 ヨハンは手慣れた手つきで金属を飴のように操り、石の表面に綺麗な紋様を描いた。


「――おーい。ライアン、できたか?」

 ヨハンは宝玉の出来栄えを見ながら、ライアンに問う。


「ああ、できたぜ」

 ライアンは火にかけていた鉄製の皿をトングで取り上げた。


 中には木くずを燃やしてできた灰が入っている。

 これはエルバリスの木の枝を杖の形にする過程でできた木くずを燃やして作った灰であり、水に溶かすことで魔法陣用の染料となるとのことだった。


「気をつけろよ、その灰ひとつまみで、三日間はメシが食えるくらいの金になるからな。くしゃみなんかして吹き飛ばすなよ」


「へいへい」

 気の抜けた返事とはうらはらに、ライアンが慎重に皿の中の灰を掻き出した。


 そして、その灰を丁寧に乳鉢へと入れる。その乳鉢を受け取ったヨハンはアムリタ水をそこへ注いでかき混ぜる。


「よし、じゃ、いくか。嬢ちゃん、また頼むぜ」


「は、はい!」

 ヨハンは乳鉢を持って床に片膝を立てて座った。


 リリアがその後ろに立って、ヨハンの肩に手を乗せた。


 一つ息を吐き、ヨハンは乳鉢の中に指を入れて、水で溶いた灰をすくう。

 そしてそれを使って、床に紋様を描き始めた。

 それは直径が大人の身長ほどある大きな円形の紋様――魔法陣であった。


 ヨハンはぶつぶつと何かを呟きながら、淀みない指使いで紋様を描き続ける。


 引き締まった表情で目を輝かせながら、彼は作業に没頭している。そこにはいつのも飲んだくれで情けないヨハンはいない。


 老練の鍛冶職人のような威風と、聖職者のような神聖さを兼ね備えた、一人の熟練錬金術師がそこに居た。


 すっとヨハンの指が床から離れた。彼の目の前には大きな灰色の魔法陣が描かれていた。


「よし、こんなもんだろう」


 そう言って、ヨハンは近くに置いてあった酒瓶を手に取ってぐびっと一口飲んだ。


「一工程ごとに、飲むんだな」

 ライアンが呆れ顔で言う。


「大丈夫だよ。なんてたって嬢ちゃんがいるからな。多少、酔っていても作業は完璧だぜ」


「リリアを酔い醒ましに使ってんじゃねーよ」

 そう言われたヨハンは笑い、また一口酒をあおる。


「ぷは、よし、最後の仕上げといくか」


 ヨハンはエルバリスの枝で作った杖の柄と、サナリオン石で作った宝玉を慎重に噛み合わせた。宝玉は杖の先端にぴったりと吸い付くように収まった。


 そして、それを魔法陣の中央へと突き立てた。


「さぁ、嬢ちゃん。これが最後だ。今からこの魔法陣に魔力を注ぐ。上手いこと魔法陣の術式が起動すれば杖は完成だ。いつも通り俺の肩に触れていてくれ。後は俺がやる」


 しかし、リリアは魔法陣をじっと見ながら何かを考え事をしているようだ。

 その瞳には青い光がちらついている。


「おい、嬢ちゃん?」


「は、はい、え、ええと、ヨハンさん。この魔法陣は本当に完成しているのでしょうか?」


「うん? どういうことだ? きっちりとこの本通りに描いているぜ。ほら」


 ヨハンは『アルカナス目録教書』を開いて、リリアに見せる。


「そ、そうですね。でも、何か嫌な感じがするのです」


 リリアはそう言って床の魔法陣へと視線を戻す。

 そして蒼い光がちらつく瞳で、何かを確認するかのように魔法陣を隅から隅まで丹念に観察している。


「嫌な感じ? 魔法陣は完璧なはずだ。嬢ちゃんの力も借りたし、手応えもバッチリだったぞ」



「――リリアの悪魔の力が何かを感じたんだろう」

 魔法陣に集中しているリリアの代わりにライアンが答えた。


「悪魔の力……」


「そうだ、今悪魔の力は、錬成作業が成功するように働いている。その力が何かが違うと言っているんだ。しばらく見てみようぜ」


 怪訝な表情のヨハンにライアンが説明を付け加えた。


 ヨハンがしばらくリリアの横顔を眺めていると、ふとリリアがこちらを向いた。


「ヨハンさん、『アルカナス目録教書』を貸してもらっていいですか?」


「ん? ああ」

 ヨハンは目録教書をリリアへ手渡す。


「有難う御座います」

 リリアは目録教書のページを捲った。

 次のページには魔法陣の絵が載ってある。

 それは床に書かれた魔法陣と同じものだった。


「ほら、目録教書と同じ魔法陣を描いているぞ」

 ヨハンは目録教書を覗き込み、床の魔法陣を指差した。


 しかし、リリアは集中した様子で目録教書の魔法陣を見続けている。蒼い瞳は先程より光が強くなっているようだ。


 おもむろにリリアがページを捲る。そして『万療樹の杖』とは関係の無いページを開いた。

 そこにも同じような魔法陣が描かれている。


「ヨハンさん、正しい魔法陣はこちらのようです」

 リリアは開いた目録教書を差し出しながら告げた。


「え? ど、どういうことだ」

 ヨハンは目録教書を受け取り、開かれたページの魔法陣を見る。


 そして、そのページと『万療樹の杖』のページとを行ったり来たりとしながら、魔法陣の紋様を見比べる。

 するとヨハンの口から息を飲む音が聞こえた。


「……そういうことか」


「なんか分かったのか、オッサン?」


「ああ、嬢ちゃんの言う通り、正しい魔法陣は、こっちのページに描かれている方だ。あのまま術式を起動していたら、失敗して材料がみんな駄目になっていただろうな」


 それを聞いて、ライアンとリリアが揃って息を吐いた。二人ともあの材料に掛けた金額の大きさを知っていたので、当然の反応と言える。


「危なかったな……。しかし、その本にも間違いってあるんだな」


「いや、これは俺のミスだ」

 ヨハンはそう言うと、本棚から一冊の本を持ってきて開いた。


「やっぱりだ。こっちの方の『アルカナス目録教書』を使うべきだった」


「こっちの方?」


 怪訝に問うライアンにヨハンは頷く。


「前にも言ったかと思うが、『アルカナス目録教書』はその弟子が編纂したものだ。そして後世に受け継がれていく中で、その時代ごとの錬金術師によって新しい解釈が書き加えられている。つまりは明確な間違いは修正されてきているんだ」


「ということは……」


 リリアが手もとの本と、ヨハンの持つ本を見比べる。


「俺が持っているこっちの方は、嬢ちゃんが持っている本よりも、約百年後の物だ。つまりはこっちに描いてある方が新しくて正しいんだ」


「そ、そういうことですか」


「すまねえ二人共。俺が迂闊だった。古い方も新しい方も変わらねえって思い込んでいたよ。しかし、助かったぜ嬢ちゃん。今までのが全部台無しになるところだった」


「い、いえ、それほどでも」


 面と向かって褒められたリリアは赤らめた顔をうつむかせる。


「よし、じゃあ、書き直すかな。じゃあ、また頼むぜ嬢ちゃん」


「は、はい!」



*************


 しゃがみ込むヨハンの肩に手を置くリリア。


 ヨハンは魔法陣に手を置いた。そして、目を閉じて意識を集中させる。


 すると、ヨハンの指先がかすかに光を放ち始めた。


 その光は灯火が燃え移るように魔法陣にも移り、魔法陣の紋様も発光しはじめた。


 まずはじめに、一番外側の外円が光を放ち始めて、その光は紋様を伝って中心へと向かっていく。ゆっくりだが確実に魔法陣は外側から内側へ光の勢力を広げていく。


 ヨハンは魔法陣に魔力を注ぎながらも、その魔法陣の挙動を凝視している。魔力の制御や魔法陣の正否についてはリリアの力で保証されているが、それでも何か瑕疵が無いかを疑っているのだ。


 やがて魔法陣の光は床からかすかに浮き上がった。


 そして、そのまま中央の杖を中心として緩やかに回転をし始めた。魔法陣は周りながら、その形を小さくしていく。それにつれて光の密度は高くなる。


 最後には杖に吸い込まれるように、魔法陣の光は消えてしまった。


 その代わりに突き立てられた杖が今度は輝く。木の柄も宝玉もそれ自体が発光体として光を放っている。


 ろうそくの炎が消える寸前のように、光は大きく揺らめいた後に静かに消えた。


 ヨハンは光が収まった杖を手に取って、窓の光にかざした。


「手応えありだ。どうだい嬢ちゃん? 出来たか、判るかい?」


 リリアは爛然と輝く蒼い瞳で杖を見据えながら答える。


「はい、間違いなく、完成しています」


 『万療樹の杖』の完成の瞬間だった。

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