青空の下、穏やかな日差しが降り注ぐアイゼンフェルの街並み。
大通りは人々の活気で溢れていた。
通りの両脇には露天がひしめき合っていて、売り子の声と客たちの話し声で賑わっている。
リリアは棒付きの揚げ菓子にかじりついた。
香ばしい匂いが鼻腔を満たして、まぶした砂糖が味覚を刺激する。思わず頬を緩めてもう一口とかじりついた。
「――それにしても、錬金術の実演披露が無くなっちゃって残念だわ。折角、楽しみにしていたのに」
テラス席でカップを手にしたシェリーが呟いた。
「そうですね。ですがこうやってお祭りだけでも続いて良かったですね」
隣の席でトリシアもカップを口につけながら言う。
「まぁ、実演披露の中止はしょうがねえよ。色々あったからな」
ライアンは両手を真上に上げて、軽く伸びをしながら言った。
リリアは棒付き揚げ菓子をたいらげて、次はタルトに手を伸ばしている。
「ねえ、今回の中止ってイグナシオが言い出したんでしょ? アイツって妨害工作の罪を暴露したの?」
シェリーがライアンに聞いた。
「ああ、市長や錬金術師のギルド長の前で自白したらしいぜ。しかも、自分から牢屋に入るって言い出したらしい」
「へぇ、でも牢屋に入ったって話は聞かないわね」
「牢屋送りにはならなかったみたいだ。だが全く何も無かったわけじゃない。今後は競技会には出られないというのと、損害を受けた錬金術師への賠償金の支払い。あとは色々と細かいことがあるらしい」
「それだけなんだ」
「まぁ、今までこの街の錬金術を引っ張ってきた功績は大きいからな。文句を言う錬金術師もいたらしいが、市長とギルド長がうまく宥めたって話だ――」
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錬金術師ギルド本部、ギルド長室。
ギルド長のアルゲリックは長いあごひげをいじりながら、前に座る男を睨む。
「――工房をたたむだと?」
「ええ、そうです」
アルゲリックの前にはイグナシオが座っていた。
髪は短く切り揃えられ、口ひげもさっぱりと無くなっている。
「工房をたたんでどうする? お前は錬金術しかできぬであろう」
「一からやり直します。もう一度、見習いからやり直そうと思います」
「馬鹿な、今さら誰に何を教えてもらうつもりだ」
「……私はまだまだ未熟です。人から教わることなど、山程ありますよ」
にこやかにイグナシオは答えた。
以前のようなプライドに固められた雰囲気は削ぎ落とされていた。
「お前がそう言っても、弟子を取る側はそう思わないだろう。あてはあるのか?」
「ええ、友人の工房が弟子を募集していまして、そこに行こうと思います」
イグナシオはそう笑顔で答えた。
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「ぶえっくしょん!」
ヨハンは大きなくしゃみをした。
おかげで背負っているカゴの中から中身が飛び出そうだった。
「お父さん。大丈夫?」
「ああ、やっぱり山はちょっと冷えるな」
ヨハンはハルの頭を撫でる。
彼女は一丁前に大人用の大きいカゴを背負っていた。
「今日はいっぱい採れてよかったね!」
「だから言ったろ? 俺の知っている穴場はすごいって」
「うん!」
「これを売ったら祭りに行こうな、ハルディア」
「ねえ! お母さんとお婆ちゃんも一緒でいい?」
その言葉にヨハンは渋い顔をする。
「うーん。それは、どうなんだろうな……難しいかな」
「えー、まだ仲直りしていないの?」
「大人は難しいんだよ」
その回答にハルは頬を膨らませた。
その顔をヨハンが真似すると、ハルはすぐに笑い出した。
ヨハンはハルの笑顔に目を細めた後、木々に囲まれた森の中を見渡す。
前に来た時にもう見納めだと思っていた景色が目の前に広がっている。
この前の時よりも木々や葉の色彩は鮮やかに見える。
大きく息を吸い込んだ。草木や土の匂いがした。
耳を済ますとどこかで野鳥がさえずっている。
大事に味わっていこう。今、このかけがえのない瞬間を。
ハルの横顔を見ながら、ヨハンはそう心に誓った。
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リリアは空を見上げて満足気に大きく息を吐いた。その顔は至福そのものであった。
「満足したか? リリア?」
「え、は、はい!」
甘い菓子たちの余韻に包まれていたリリアだったが、ライアンの言葉で我に返った。
見るとライアンだけでなく、シェリーとトリシアもこちらを見ている。
リリアはなんだか恥ずかしくなって、俯いて膝に拳を置いた。
「で、これからどうするの? アナタ達」
シェリーが頬杖をつきながらライアンに聞いた。
「そうだなぁ。競技会が終わると自警団の仕事も無くなるし、リリアもメイドの仕事は辞めちまっているし、どこか別の街でも行くかな。というかお前はどうするんだ? これが終わったらリアンダールに帰るのか?」
「そうねえ。考え中よ」
その言葉にトリシアが反応する。
「考え中ではありません。帰るって話でしたよ。アンジェリカ様」
「あれ? そうだっけ?」
シェリーはペロッと舌を出してとぼけた。
「まぁ、俺が言うのも何だが、あんまり周りに迷惑かけるなよ」
「ホント、どの口が言うのかって話よね」
シェリーは笑顔で言う。トリシアは呆れ顔だ。
「帰るといえば、あの二人、奇跡監査官の二人は帰ったのかしら?」
「ああ、フランツとエマか――」
************
「……絶対に怒られます。絶対に怒られます。絶対に怒られます……」
エマはぶつぶつと呪文を唱えるように呟きながらフランツの後を歩く。
フランツはその呪詛のような言葉に苦笑いを浮かべながら振り返った。
「大丈夫だって、エマちゃん。怒られるのは僕なんだから」
「そう言って、この前も一緒に怒られました」
「そうだっけ?」
疑念の眼差しで見るエマに、フランツは笑顔で返す。
「悪魔を見逃しただけでなく、奇跡の一つも持ち帰れないとは、職務怠慢も甚だしいです」
「でも、教団の使徒は捕まえたじゃないか。それだけでも大手柄だよ」
フランツは杖を失ったショックからは立ち直っているらしく、素直な気持ちで答えた。
「それは、そうですが……」
エマの方は取り逃がした獲物に未練があるらしく口を尖らせている。
「それに、奇跡は見られただろう?」
「確かに杖の奇跡は見られましたが。持って帰らなければ……」
「そっちじゃないよ」
「?」
「見せてもらったのは、ある親子の愛の奇跡だ」
フランツは空を見上げて微笑みながら言った。
エマは苦笑いしながらため息をついた。しかし彼女も緩く笑いながら空を見上げた。
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「――フランツたちには世話になったのに、何の土産も持たせられねえのは申し訳無かったけど、しこたま酒を奢ってやったから大丈夫だろ」
「そんなこと言って、教会に目を付けられても知らないわよ」
ライアンの言葉にシェリーは呆れ顔で返す。
「まぁ、またどこかで会いそうだがな。その時はその時だ」
ライアンは空を見上げた。
どこまでも青い空には雲一つ無い。
風が頬を撫でていく。
隣ではリリアが微笑みながら通りを眺めていた。
「さて、そろそろ見回りに戻るかな」
ライアンが立ち上がると、上目遣いのリリアと眼が合った。
何か言いたそうな顔をしている。
「リリア、どうかしたのか?」
「ラ、ライアンさん」
「なんだ?」
「ご、ご一緒してもいいですか?」
リリアがうつむいて顔を赤らめながら言う。
「見回りにか?」
リリアはこくこくと頷く。
「ああ、いいぜ」
ライアンは微笑んでそう答えた。
悪魔と騎士は二人連れ立って、通りに向かって歩いていった。
~~~ Episode:2 [完] ~~~