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赤毛の天使

「なるほど、そういう結末ですか」


 工房に戻ってきたフランツが事の顛末を聞いて呟いた。


 彼は悪魔であるリリアを前にしても落ち着いた表情をしている。しかしそれとは対照的にエマは張り詰めた表情をしている。


「フランツさん、のんびりお話している場合じゃありません。目の前にいるのは悪魔です」

 エマの身体からは殺気が漂っている。


「うーん、どうだったかな?」


「フランツさん!」

 とぼけるフランツにエマの怒号が飛ぶ。


「はは、そんなに怒らないでよエマちゃん。そもそも悪魔だという証拠はあるのかい?」


「証拠?」


「そうだよ、彼女が悪魔だという証拠だ。魂を刈り取る瞬間でも目撃していれば断定できたけど、それもできないしね」


「しかし!」


「エマ・ラクロワ補佐官。君の上官は誰だい?」


 エマは刃物を突き付けられたように固まる。


「…………で、出過ぎた事を言いました。申し訳ありませんでした」


 素直という訳では無いが、不承不承と従うエマを見て、フランツはうんうんと頷いた。


「とはいえ、奇跡監査官としての仕事はしないといけませんね。ヨハンさん『万療樹の杖』と、あなたの身柄は、教会がもらい受けますよ」


 その言葉に反応したのはライアンだった。


「おい、杖はともかく、オッサンの身柄を貰い受けるってのはどういうことだ?」


「それは仕方無いでしょう。奇跡ともいえる錬成を成功させた錬金術師です。教会に迎い入れて保護しないと、いつ危険が及ぶか判りません」


「そりゃ、そうだが……、ようやくオッサンは生きたいと思えたのによ。街を出ないといけないなんて……」


「ここで、私が見逃したとしても、教会は見逃してくれませんよ?」


 ライアンは腕組みをして苦い顔をする。


 それを見たリリアが、うーんと言いながら同じように腕組みをした。

 すると、何かを閃いたようにぱぁと顔を明るくした。


 リリアはこそこそとヨハンに近づく。

 そして彼の耳元へ口を近づけて密やかに何かを告げた。


「……え? どういうことだ?」

 聞き返すヨハンにリリアは尚も耳元で説明を続ける。


「……そ、そういうことか」

 ヨハンも顔を明るくして笑う。


 その様子をフランツが怪訝な表情で見ている。


 それにヨハンが気づくが愛想笑いで返した。


「うーん、そうだなぁ。じゃあ、俺をしばらくの間でいいから酒嫌いにしてくれるかい?」

 ヨハンが言った。


 リリアはにこりと笑う。

「はい、分かりました」


「よし、じゃあ、ちょっと待っていてくれ」


 ヨハンはそう言うと作業机の引き出しを開けて水晶の塊を取り出した。


 それは最初に錬成に成功した『願人の聖水晶』だった。そしてそれをリリアに手渡して手に持っていた『万療樹の杖』も一緒に手渡した。


 リリアはその二つを受け取るともう一度微笑んだ。


「では、宜しいですね?」

 リリアが聞くとヨハンは鷹揚に頷きながら答えた。


「おう、頼む」

 そのやり取りにフランツはいっそう怪訝になる。


「なんですか? なにをしようとしているのですか?」

 身構えるフランツの肩にライアンの手が置かれた。


「黙って見てな」

 笑顔でライアンは言う。しかしその顔とは裏腹にフランツの肩を掴む手には力が込められていて、言外に動くなと言っていた。


 突如としてリリアの手もとが光った。


 そして空中に蒼い魔法陣が出現した。その中央には『願人の聖水晶』と『万療樹の杖』が固定されたように浮いている。


 ひときわ魔法陣が輝いた。すると魔法陣の中央に浮いていた物がゆっくりと飲み込まれるように消えていく。そして『願人の聖水晶』と『万療樹の杖』が消えてしまうと魔法陣も淡くなり消えていった。


「ヨハンさん、貴方の願いを叶えます」

 リリアの手の平が再び光りヨハンに向けられた。手の平から閃光が迸りヨハンを貫いた。


「ヨハンさん!」

 フランツが叫ぶがヨハンは何食わぬ顔で立ったままだ。


「うん? 何も変わった様子はねえな……」

 ヨハンは自身の両手を眺めながら言う。


「これを見たらどうですか?」

 リリアが酒瓶をヨハンに差し出しながら言った。

 途端、ヨハンは険しい顔をして後ずさる。ひどく気持ち悪そうな顔をしている。


「うお、すげえ嫌な感じだ。嬢ちゃん、それを近づけないでくれ!」

 そう言われてリリアはにっこりと微笑んだ。


 その横でフランツは険しい顔をしている。何が起きたかはわからないが目の前で『願人の聖水晶』と『万療樹の杖』が消えたことは事実。

 それも恐らく姿が見えなくなっただけでは無く、この世界から消えてしまったことを直感していた。


「いい加減、なにをしたかを教えてもらいましょうか」

 フランツはライアンを睨みつける。


「オッサンの大事な物と引き換えに願いを叶えたんだ。ああ、もちろん悪魔の力とかじゃないぞ。ただの魔法だ」


「大事な物と引き換えに?」


「ああ、そうだ、そう言っている」


「もう、戻ってこないのですか?」


「そうだ」

 フランツの顔から血の気が引いた。

 隣でエマも青い顔をしている。


「なんてことをしてくれたんですか! あれは、世界を救う奇跡なのですよ!」

 珍しく大声を出すフランツだったが、ライアンはふてぶてしい顔で首を掻いている。


「俺じゃねえよ。そう決めたのはオッサンだ。オッサンに文句言えよ」


 フランツはヨハンに詰め寄る。


「ヨハンさん! どうして、こんな真似を!」


「まぁ、落ち着けって」

 ヨハンもふてぶてしい顔をして答える。


「これが落ち着けますか!」


「よく考えろフランツ。さっきお前は世界を救う奇跡と言ったがそれは本当なのか?」


 ヨハンは真っ直ぐにフランツの目を見ながら話し始めた。


「あれらは確かに奇跡の品だ。だが俺には世界を救うようには思えなかった。あれらは――『アルカナス目録教書』のモノは争いを生み出しかねない危険な品物だ」


「だから、教会で管理するのです」


「教会が絶対安全だとどうして言い切れる? もし治療を受けた奴が悪い奴らだったらどうする? さっきみたいに教団の奴らが押し寄せたらどうする?」


「それは……」


「だから、あれらはこの世界に無い方がいいんだ。分かってくれ」


 ヨハンの言葉にフランツは尚も何か言いたそうだったが諦めて項垂れた。


「――さて、どうするフランツ。証拠が無くなったぞ」

 ライアンは口角を上げながら言った。


「……証拠ですか?」


「ああそうだ、オッサンが奇跡の品を造ったという証拠だ。これでもオッサンを教会に連れていけるかい?」

 フランツはぽかんと口を開ける。


「ま、まさか、その為に……?」


「まぁ、気の毒とは思うけどよ。そういうことだ。なぁ、そうだろ、リリア?」


 ライアンに言われたリリアは、無言で満面の笑みを浮かべた。


 フランツは魂が抜けていくような大きなため息をついたのだった。




 ふふっとイグナシオが笑う。

 それを見てヨハンも笑う。


「まぁ、そういうことだ、ダミアン。これからも宜しく頼む」


 しかし、イグナシオは暗い表情に変わる。


「……無理だ。ヨハン。俺は罪を犯した。それは償わないといけない」

「……ダミアン」


「なぁ、罪ってなんだ?」

 ライアンが横から聞いてきた。


 それに対して、イグナシオは自身が妨害工作を行っていたことを余す所なく説明をして聞かせた。


「――ふーん。そんなの、あの教団の使徒のせいにしちまえばいいじゃねえか」

「何?」

 ライアンの言葉にイグナシオは驚く。


「イグナシオだっけ? 何も裁かれることだけが償いじゃねえだろ。そりゃ怪我人は出ているが死人は出ていねえみたいだし、別の形で償いをすればいいだろ」


「だ、だが」


「アンタもオッサンと同類だな。頭が固え。まぁとりあえず、俺はアンタを引き渡さねえ。ゆっくりと自分しかできないことを考えな」


 ライアンはわずかに微笑みながら言った。


 イグナシオは少し涙ぐみながら目を伏せた。


「よし! 全部片付いたな!」

 大きな声で言うライアン。

 しかし彼の足元には赤毛の少女が佇んでいる。


「ライアンにーちゃん。お父さんはもう良いの? どこへも行かなくていいの?」


「ん? そうだな、そういう事はお父さんに聞きな」


「お、俺はお父さんじゃねえ」

 ヨハンは顔を背けながら言う。


「はあ、ここまで来てまだ言うか。いい加減照れてないで、抱っこの一つでもしてやれよ。まぁオッサンもゆっくり考えな。時間はたっぷりある」

 ライアンは言う。隣でリリアもハルの頭を撫でながら微笑んだ。


「じゃあ、みんなでメシでも行くか。おい、フランツ、飲みに行くぞ!」

「よく、そんな誘いができますね……」


「なんだよ。折角、慰めてやろうと思ったのによ」

「誰のせいですか」


 ライアンは大きく笑う。


「お、おい、飲みに行くなら俺も……」

 ヨハンが言う。


「オッサンは、酒を飲めなくなったんだろ?」

「あ、そうだった」


「あと、子供も連れていけねえから、オッサンはハルを送って行けよ。じゃあな」

 ライアンは快活にそう言うと先頭を切って出口へと歩いていった。一同もそれに続く。


 工房にはヨハンとハルが残された。



「……ねえ、お父さん。お父さんって呼んでいい?」


 赤毛の少女は尋ねる。

 ヨハンは照れ臭そうに頭を掻く。


 そしてハルの頭を撫でた。


「……ああ、分かったよ。ハルディア」


 少女は天使のように笑った。

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