永禄十一年(1568年)九月。
近江国、観音寺城。
北西の風が、容赦なく吹き荒れ、冷たい雨が、容赦なく大地を打ち付けていた。
稲穂が黄金色に輝く田園風景は、灰色に染まり、戦の気配が、あたり一面に重くのしかかっていた。
信長の上洛に向けた最初の戦い。
柴田勝家の軍勢は、六角氏の拠点・観音寺城を攻略する命を受けていた。
勝家は、宗則を軍師として、共に観音寺城へと進軍する。
「宗則、観音寺城を攻略するには、いかようにすればよいか?」
勝家は、宗則に問いかけた。
彼の声は、豪雨の音にかき消されそうになりながらも、力強く、戦場を生き抜いてきた男の凄みがあった。
宗則は、地図を広げ、観音寺城の地形を指さしながら、答えた。
「それがしは、この風を利用し、豪雨を呼び起こし、奇襲攻撃を仕掛けることを提案いたします。観音寺城は、南東に面した斜面に築かれており、守りは堅固ですが、この豪雨であれば、敵の視界も動きも鈍るはず。さらに、佐々木殿にもご協力いただき、城門を開け放つことで、敵の混乱に拍車をかけましょう」
「ほう」
勝家は、宗則の言葉に、目を輝かせた。
「確かに、この風は、天の助けかもしれぬ! しかし、豪雨を呼び起こすとは…流石は、宗則。わしは、お主の知略と、陰陽師としての力に、大いに期待しておるぞ!」
「はっ! 必ずや、ご期待に応えさせていただきます!」
宗則は、深く頭を下げた。
しかし、彼の心は、穏やかではなかった。
天候を操り、雨を降らせる。それは、自然の理に反する行為であり、大きな代償を伴うかもしれない。
(本当にこれで良いのだろうか?)
宗則は、自問自答した。
その夜、宗則は、八咫烏の導きを感じ、観音寺城を見下ろす丘の上に、ひっそりと建てられた祠へと向かった。
そこは、古来より、天候を司る神々が祀られていると伝えられる場所だった。
宗則は、祠の前に立ち、夜空を見上げた。
厚い雲が空を覆い、星々は、その光を隠している。
空気は、重く、湿っており、今にも雨が降り出しそうな気配が漂っている。
(あの時、わしは、天候の力を、自らの意志で、操ることに、成功した)
宗則は、鞍馬山での「天候の試練」を思い出した。
燃え盛る炎に包まれた祭壇、激しい雷雨、そして、自らの生命力を燃やし、天候を制御した時の感覚…。
(今こそ、あの時、得た力を使う時だ!)
宗則は、深呼吸をし、心を落ち着かせた。
彼は、両手を天に向かって掲げ、目を閉じ、精神を集中する。
彼の背中のあざが、熱を帯び始め、淡い光を放つ。
(雨よ…風よ…雷よ…我が力…となれ…!)
宗則は、心の中で、強く念じた。
その時、彼の周りで、風が渦を巻き始めた。
木々の枝が、激しく揺れ、落ち葉が、舞い上がる。
黒い雲が、空を覆い尽くし、稲光が、空を裂くように走る。
そして、ついに、大粒の雨が、地面を打ち始めた。
雨は、瞬く間に激しさを増し、滝のように降り注ぐ。
「これで道は開けた」
宗則は、呟いた。
彼の声は、豪雨の音にかき消されそうになりながらも、力強く、そして、どこか寂しげだった。
翌日、夜明け前。
北西の風が、さらに勢いを増し、冷たい雨が、激しく地面を打ち付けていた。
空は、どんよりと曇り、稲光が、空を裂くように走った。
「佐々木殿、夜明けと共に、織田軍が攻めてきます。準備はよろしいでしょうか?」
綾瀬は、佐々木義重に、静かに尋ねた。
彼女は、昨夜、密かに観音寺城に潜入し、義重と会っていた。
「ああ、準備はできている。信長様との約束通り、わしは、城門を開け放つ」
義重は、決意を固めたように、力強く言った。
彼は、自らの運命を、信長に託すことを決めたのだ。
「しかし、殿、本当に信長様にお仕えするおつもりで…?」
義重の側近が、不安そうに尋ねた。
「他に道は無い」
義重は、静かに答えた。
彼の瞳には、迷いはなかった。
「六角家に未来はない。信長様こそが、近江を、そして、この国を、救う唯一の希望じゃ…」
その時、遠くから、鬨の声が聞こえてきた。
織田軍が、観音寺城に、攻め込んできたのだ。
「時は来た」
義重は、刀を抜き、城門へと向かった。
「開門せよ!」
義重の命に従い、兵士たちが、城門を開け放った。
豪雨の中、織田軍の兵士たちが、怒涛のように、城内へと流れ込んできた。
「敵が城門を開けたぞ! 突入するぞ!」
勝家は、兵士たちを鼓舞し、先頭に立って、城内へと突入した。
「隼人! お前が先陣を切れ!」
勝家は、隼人に命じた。
「はっ!」
隼人は、燃えるような闘志を胸に、城門を駆け抜けた。
彼の後を、織田軍の兵士たちが、次々と続いていく。
城内では、激しい戦いが繰り広げられた。
六角軍は、必死に抵抗するが、織田軍の勢いは、凄まじく、次第に、劣勢に追い込まれていく。
隼人は、先陣を切って、敵陣に斬り込み、鬼神の如き強さで、敵兵を薙ぎ倒していった。
彼の槍は、稲妻のように速く、敵兵たちは、次々と、彼の前に倒れていった。
「敵将、六角義賢を討ち取れ!」
勝家は、兵士たちに、命じた。
六角義賢は、本丸で、戦況を聞いて、激怒した。
「何事だ!? なぜ敵が城内に…!」
「殿! 佐々木義重が裏切り、織田軍を城内に引き入れたようでございます!」
家臣が、震える声で、報告した。
「義重が裏切りだと!? 」
義賢は、怒りで、身体が震えるのを感じた。
「あの裏切り者…が…!」
義賢は、刀を抜き、城門へと向かおうとした。
「殿! 危険です!」
家臣たちが、義賢を止めようとした。
「わしは六角の当主じゃ…!」
義賢は、家臣たちを振り払い、城門へと向かった。
しかし、すでに、城内は、織田軍に制圧されつつあった。
「もはやこれまでか…」
義賢は、諦めと共に、城を脱出し、敗走した。
戦の後、信長は、宗則を呼び出した。
「宗則、よくやってくれた。お主の策が、この勝利をもたらしたのだ」
信長は、宗則に、褒美の言葉をかけた。
「はっ! これもひとえに、信長様のお力のおかげにございます!」
宗則は、頭を下げ、信長への感謝と敬意を込めて、そう答えた。
「わしは、お主の知略と、陰陽師としての能力に、大いに期待しておるぞ」
信長は、宗則の肩を叩き、力強く言った。
「必ずやご期待に応えてみせます」
宗則は、信長の言葉に、決意を新たにした。
(続く)