「ねえねえまひろくん!」
ソファでぼーっとしていると、すすすーっと無花果さんが寄ってきた。またなにかよからぬ事を企んでいるらしく、ずっとにまにましている。
僕はちょっと投げやりぎみに答えた。
「なんですか、セックスはしませんよ?」
「そうじゃなーい! 小生が発情するのは『創作活動』のあとだけだから! そうじゃなくて、モンハンしようぜ! 小生ハンターになりたいでござる!」
なんだ、ゲームの話か。ちょっとだけ気を抜いた僕は、つい無花果さんの話に乗ってしまった。
「いいですよ。新しいの出たんですよね? 僕も気になって……」
「はい、これ!」
ひとの話も聞かずに無花果さんが差し出してきたのは、少食なOLさんのお弁当箱みたいな機械だった。
こ、これはもしや……
「……DS??」
だいぶ昔の、任天堂の出したハードだ。いまだに持っているひとを見たことがない。
怪訝そうにする僕をしりめに、無花果さんは満面の笑みでうなずいた。
「うん! 廃墟と化したDSのモンハンで過疎過疎プレイ! オッズオラ無双してやんぜ!」
まさかここでDSが出てくるとは……僕はまだまだ、無花果さんを甘く見ていたようだ。物好きにも程がある。
けど、そういう趣向も悪くないのかもしれない。僕はDSを受け取って、
「……まあ、いいですけど……」
「ヤッタネ! ハードオフのジャンクで一個五百円だったから二個買ってきた! ひとりでひと狩りしても面白くないからね! まひろくんとパーティ組んで無双するのだよ!」
うきうきともうひとつのDSを持ち出してくる様子は、まさに幼い少女のようだった。このひとはたまにこういう一面を見せてくる。
やれやれ、と苦笑しながら電源を入れて、ソフトを起動させると、無花果さんもまたゲーム画面に見入った。
「ふふふ、小生のモンハン初体験を捧げるよ……!」
タイトル画面からいろいろと選択をして、ようやくフィールドに出る。無花果さんも準備は出来たようだ。
「さあ、いざめくるめくハンターの世界へ!」
モニターの光が無花果さんの瞳に反射してぎらぎらしている。それにしても、本当にひとがいないな……
簡単なチュートリアルをこなして、早速最初のクエストを消化するためにバトルフィールドへ出た。
「おお、モンスターだよ、まひろくん!」
その言葉の通り、画面には小さくてかわいいモンスターが現れていた。多分二三回殴ったら狩れるやつだ。
まずは無花果さんに任せようと、僕は後方で見ていることにした。
「やあやあ我こそは春原無花果! いざ、尋常に勝負!」
大袈裟な名乗りを上げると、無花果さんはモンスターに攻撃を当てようとした。
が、見当違いな方向へ攻撃が入る。その隙に、小さくてかわいいモンスターが攻撃してきた。割とがっつりHPを持っていかれる。
「あれっ、あれぇ!? おっかしいなあ!? このっ、このぉ!!」
何回攻撃しても、明後日の方に向いてしまう。その隙に攻撃が入り、段々と無花果さんが死に近づいてきた。
「くそっ! くそっ!! くっっっっっそ!!」
そして、とうとう最初に出会った小さくてかわいいモンスターに殺されてしまった。
「くきいいいいいいいいいいいい!!」
無花果さんがDSを事務所の床に思いっきり叩きつける。DSは部品を撒き散らして大破し、二度と動かなくなった。
「なんで!! ジョイコンが!! 効かねえんだよおおおお!?!?」
「ジャンクで買ったからでしょう……」
僕が当然の事実を述べると、無花果さんは今度は駄々を捏ね始めた。
「ヤダヤダ! 小生モンスターをハンティングしたいの!! ハンターになりてえの!!」
「じゃあせめて、新品のDS買いましょうね……ていうか、新しいの出たんですから、そっちやりましょうよ……」
「やだァァァァァァァ! 小生DSの廃墟と化したモンハンやりたいの! しかもジャンク品で!」
「ジャンクなんて買うから、初手でつまずくんですよ」
「うるせー! ハードオフのジャンクには夢とロマンが詰まってるんだい!」
はいはい、となだめながら、僕は思った。
……ここは幼稚園か?
いや、それよりも地獄じみている。なにせ相手は成人女性だ。僕より年上のクセにこんなみっともない駄々を捏ねているのだ。
改めて、マトモじゃない。
重々承知していたこととはいえ、こうしてお世話係をしていると痛感した。このひとは常軌を逸している。
……まあ、普通の人間にはできないことをやっている以上、ちょっとくらい狂っていてもそれはおかしいことではないのだろうけど。
この無花果さんこそが、この事務所の探偵であり、死体を素材に使った現代アートの世界的な権威なのだ。
にわかには信じ難いことだけど、僕は一か月前にその活躍をこの目で見ている。狐につままれたような気分だけど、事実だ。
無花果さんはたしかに僕の兄の死体を探し出し、その死体を素材としてこころを殴りつけるような『作品』を作り上げたのだ。
そのときの様子は、他ならぬこの僕がしっかりとカメラに収めている。その現場に立ち、当事者としてゲロまで吐いたのだ。
忘れられようもない。
それはたしかに僕の人生においてのマイルストーンとなり、写真家としてのキャリアにおいても欠かせないものとなった。
芸術とはなにか、自己表現とはなにか、その正体の一端を見た気がしたのだ。
それを理解できてしまった僕もまたモンスターであることが証明されたけど、この際どうでもいい。
モンスター同士でしか分かり合えないことだってあるのだから。
「あーもう、小生超ブルー入りましたー! はいかなしんでー! ハンターなんて野蛮な仕事だよ! 小生やっぱり働きたくないザマス! 労働は敵ザマス!」
「あなたは働くべきです腐れニート」
「さてはおめー、誘われなかったからってひがんでんな!? おめーとは遊んでやんねえ!」
「もしもあなたと遊べば私の脳は腐るでしょう」
「はあ!? もうだいぶ発酵進んでんだろ! ほらほら、人間のマネしてみろよこのAI!」
「私は人間です」
「AIはだいたいそう言って人類を支配しようとすんだよ! わースカイネットこわーい!」
「君たちまた喧嘩してー。ほら、ハッカ油鼻の下に塗れば落ち着くよ?」
「いや、メン中は呼んでないから……」
「いきなり真顔で拒絶するのやめてくれるいちじくちゃん!?」
仲裁に入ろうとした所長が逆にショックを受けている。それでも鼻の下にハッカ油を塗ると、深呼吸をしてとろんとした目をするのだ。
こうなってしまっては、僕の出る幕はない。
喧々諤々の口喧嘩をする無花果さんと三笠木さんを横目に、事務所の奥へと向かう。『巣』というプレートがかかった扉から伸びてきた手が、お盆にお茶を載せていた。
「……小鳥さん、ありがとうございます」
まさか、こんな手だけの存在に癒しを感じてしまう日が来ようとは。お茶を受け取って飲みながら、僕はふと、その手に向かって呼びかけてみた。
「……小鳥さんは、外、出てこないんですか……?」
その手はあからさまに、ぎくり、とすくむと、そのままさっさと扉の奥へと引っ込んでいった。
どうやら、この部屋に引きこもって出てくるつもりはないらしい。
小鳥さんにも何らかの事情があるのはわかるけど、一ヶ月たっても落ち着かない。
お茶を飲みながら、ここ一ヶ月のことを思い返す。
……だいたい、掃除かお使いをしていた。
あとは無花果さんの『子守り』だ。
これで給料が出るとは到底思えない。
お金は腐るほどある、と所長は言ってたけど、雇われの身である僕にしてみれば、事務所の財務状況は気になるところだ。その辺は三笠木さんがきちんと管理しているんだろうけど。
「……なんだかなあ」
まだ飽きずに喧嘩をしている三笠木さんと無花果さんを身やりながら、僕はこっそりとため息をついた。