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№1 拝啓、

 拝啓、みなさま益々ご清栄のことと存じますが、いかがお過ごしでしょうか?


 僕はといえば、わけのわからない魔窟みたいな探偵事務所で、今日もいいようにこき使われております。


「……あっしたー」


 やる気のないコンビニ店員から袋を受け取ると、僕は自動ドアをくぐった。花冷えの季節の冷たい風に背筋をぞくりとさせて、コートの襟を立てる。


「……ええと、これでそろってるはずだよな……」


 買い忘れがあったらうるさい連中だ、そこはしっかりしておかねば。ビニール袋の中を覗き込んで、たしかに頼まれた品がそろっていることを確認する。


 ……要は、パシリだった。


 事務所のメンバーがこれを買ってこいあれを買ってこいと言っては、僕にお使いを頼んだのだ。アルバイトとして働き始めてからというもの、毎日毎日そんなあんばいで、正直本当に雑用以外のなにものでもなかった。


 ……おかしいな。たしか、カメラの腕を見込まれてアルバイトに雇ってもらったと思うんだけど……


 当然のようにカメラを使う機会などなく、お使いやら掃除やら、子供でもできるようなことしか任されていない。


 ……おかしい。なにか、だまされているような……?


 しかし、雇用契約を結んでしまった以上、はい辞めますとはいかない。まだ一ヶ月しか経っていないのだ、早急に辞めることはないだろう。


 それにしても、一ヶ月だ。


 探偵事務所としてあるべき依頼が舞い込んでくる気配は一向になく、この一ヶ月間なにをしていたんですかと聞かれると、遊んで暮らしていましたと言うよりほかない。


 そう、一ヶ月の間、あの『作品』を見る機会もなかった。


 素材となる死体がないのだから当たり前なのだけど、あの『作品』のインパクトに直撃された僕としては、禁断症状のようなものに悩まされていた。


 もっと見たい。次の『作品』を見たい。カメラに収めたい。


 そればかり考えて、はや一ヶ月だ。


 ……もしかしたら、もう依頼人は来ないかもしれない。


 僕がそうだったように、不安しか感じなくて引き返してしまうかもしれない。


 となれば、僕が唯一マトモな人間として振る舞い、依頼人を逃さないようにしなければならないのだ。


 他の連中にはとてもじゃないが任せておけない。


 事務所の命運は僕の双肩にかかっているのだ。


 ……そんなことを考えながら帰路をたどっていると、やがていつものボロい雑居ビルへと戻ってきた。


 相変わらずうさんくささしか感じられないこの世の地獄のようなビルの階段を上り、『安土探偵事務所』という黄ばんだプレートのかかったドアを開ける。


「戻りましたよ」


「ああっ! ジェーン・ドゥー! 小生もう我慢できないよ!」


 おかえり、の言葉もなく、事務所には大声が響き渡っていた。見れば、無花果さんが骨格標本をソファに押し倒している最中だった。


 ……帰ってくるなり、イヤなもの見たなあ……


「愛している、愛しているよ! 君はこの世で一番美しい! 小生だけのジェーン・ドゥー! 身も心も小生のものにしたい! だから、こわがらないで、こころとからだを開いて! 小生やさしくするから! 先っちょだけだから!」


「ああ、悪いねー、まひろくん」


 何事もなかったかのようにいつもの調子で出迎えてくれる所長も、自撮り棒を携えている。一ヶ月観察していたけれど、本当に一日中ライブ配信している。


「いえ……銘柄、これで合ってますよね?」


「うんうん、ばっちりだよー。ちょうど電子タバコ切れちゃってさー、助かったよー」


 最強メンソールの電子タバコの箱を受け取ると、所長はひとなつこく笑って見せた。


 そして、流れるような手つきで本体に差し込むと、そのまますーはーし始めた。圧倒的メンソールを吸い込んで、とろんとした目で恍惚の表情になる。完全にキメてはいけないものをキメている顔だ。


 しかし、極度のメンソール中毒であることを知っているので、今更驚くこともない。毎回ちょっと引くけど。


 ヴェポラップの香りを漂わせている所長から離れ、僕は事務所の奥へ向かった。『巣』というポップなプレートがかかった扉から、手だけがにゅっと伸びてきた。


 その手だけの存在にクーリッシュイチゴ味を載せると、手は即座に扉の奥に引っ込んでく。本当に、本体は一体なにものなんだろうか。一ヶ月過ごしてきて、ついぞ見ることはなかった。


「三笠木さん、おつかれさまです」


 今度は事務デスクへと向かうと、買ってきた缶コーヒーとラムネ菓子を差し出した。喪服姿の男は、一瞥することもなくかたかたとキーボードを打ちながらパソコンの画面から目を離さず、


「どうもありがとうございます。私はカフェインとブドウ糖を欲していました」


 口から出てくるのは、やっぱり一昔前のGoogle翻訳みたいな文言だった。それでも、マトモに感謝されただけありがたい。


「知ってるまひろくん? こいつマジメに仕事してるフリして、実はエロ画像検索してんだぜ!」


 骨格標本とのいちゃいちゃに飽きたのか、無花果さんはぎゃはぎゃは笑いながら三笠木さんを指さした。


「それは事実無根の中傷です。私は仕事をしています。私は忙しいです」


「ウソつけよ! どうせお気に入りのAV女優の新作でもチェックしてんだろ! このむっつりドスケベ!」


「私はあなたをいつか侮辱罪で訴えます。法廷で会いましょう」


「おーやってみろや! 法廷で『CLANNADは人生』って話二時間くらいして追い出されたことあるからな! 今度は『エンジェルビーツ』語ってやんよ! 俺が結婚してやんよ!」


「あなたの発言は意味不明です。あなたは脳神経外科にかかるるべきです」


「もうかかってるしィ! この人工無能! バーカバーカ!」


「あなたは早急に頭の薬を飲むべきです」


「薬なんかじゃ小生の勢いは止まらないぜ! ヒャッハァ!」


「もう、君たちちょっとは仲良くしなよー、同僚なんだからさー。ってことで、視聴者のみなさんにクイズ! いちじくちゃんに一番刺さる悪口はなんでしょう?」


「それは浣腸さんです」


「くきいいいいいいい!! 殴る!! 殴り回す!!」


 金切り声を上げながら、無花果さんは長い髪を振り乱してじたばたと暴れた。ちなみにやっぱりシスターの格好をしている。


 ……相変わらず、カオスな面々である。


 こんな事務所に依頼しに来る人間がいたら見てみたい。


 ……かく言う僕がその人間だったのだけど。


 兄の死体を探してもらって、その死体を『作品』の素材にされて、僕はイニシエーションを終えた。


 今思うと、あれは事務所のメンバーになるための通過儀式のようなものだったのかもしれない。


 僕もまた、モンスターであると自覚するための、あれは確認だったのだ。


 一ヶ月いっしょに過ごしてきたけど、いまだにこの連中の深いところの話は聞いたことがない。これだけユニークな面々だ、それぞれにそれなりの物語があるはずだけど、その点については誰もが黙して語らなかった。


 それはそうだ、胸の奥深くに秘めた物語なんて、もっとも脆弱でやわらかい急所でしかない。入りたての僕になんて、そんな部分さらしたくないものわかる。


 それに、ともすれば露悪趣味的になってしまうような話だろう。あまりすすんで話したくないのもうなずける。


 ……それにしても、謎なひとたちだなあ。


「まひろくん! 君はきのこの山派かい!? たけのこの里派かい!? なにい里のものだとう!? よろしいならば戦争だ!」


「私も里派です」


「あ、僕もー」


「ああ、ここは敵地か! 山派に人権はないのか!? いいもん小生山のチョコ部分ををちゅーちゅー吸ってただの細長いビスケットにしてやるもん!」


「いちじくちゃん、それポッキーでもやってるよねー」


「あたぼうよ! アポロは分解する派!」


 どうでもいい話で盛り上がっている中、僕は買ってきたスポーツドリンクの蓋を開けてソファで飲み、ため息をついた。


 このロクでもない連中が探偵だなんて、本当に世も末だ……


 仕事が来ない探偵事務所、果たして今月のお給料は払ってもらえるのだろうか?


 一抹の不安を抱えながら、僕は肩を落とすのだった。

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