無花果さんはいつも通り事務所の奥の『巣』へと何かを書き付けた紙を手渡すと、ソファにふんぞり返ってお茶を飲み始めた。すっかりリラックスモードだ。
一体、あの問答でなにがわかったのだろうか。少なくとも僕には、死体の行方なんてなにひとつわからなかった。
起こったかどうかもわからない殺人。行方不明の死体。夢遊病の殺人者。
こんな難事件を、一体どうやって解決するというのか。
しかし、無花果さんのことだからまたよくわからない思考回路で死体のありかを突き止めたのだろう。
……これでハズレだったら、小っ恥ずかしいだろうし。
「小生さあ」
ふと世間話でもするような口調で、無花果さんが口を開いた。
しかし、次に出てきた言葉は世間話の呑気なそれではなかった。
満面の笑みでタブンくんに視線を向けると、
「君のこと、大っ嫌いだなあ」
いきなり嫌悪をあらわにした無花果さんに、それでもタブンくんはきょとんとした顔をしていた。ぺこりと頭を下げると、
「……はあ、恐縮です……」
「ぎゃはは! そうそう、そういうとこ!」
手を叩いて爆笑する無花果さんは、ずいと身を乗り出してタブンくんに人差し指を突きつけた。
「ぽっかーんとした間抜け面しやがって、常日頃よりも夢遊病状態の方がしっかりしてるんじゃないかい!?」
「……それは……あるかもしれません……すいません……」
「そうやって頭かがめるポーズさえしときゃ万難丸く収まると思ってるところもね! なにについて謝ってんのさ!? こころない謝罪ほど頭に来るものはないね!」
「……いえ、これは……」
「まったくもって煮え切らない! なんの目的意識もない! 自意識もない、軸もない、はっきりとしたものがなにひとつない! いったいなんだって君は生きてるのかね!?」
「……そういうことは、考えるだけ無駄だと思ってるので……」
「ぼんやりと生きていることの方が、時間と酸素とボキャブラリの無駄使いだよ! 知ってるかい? そういうのを『無責任』と言うのだよ! 君は自分がしたクソを他人に拭かせて生きてるんだよ、恥を知れ!」
「ちょ、ちょっと!」
あまりに言葉が過ぎてきたので、僕はヒートアップする無花果さんを慌てて止めた。
「なんだよう?」
口を尖らせて不満気な無花果さんに、
「いくらなんでも言い過ぎです。誰もが無花果さんみたいに強く生きてるわけじゃない」
「強いとか弱いとかの問題じゃないんだよなあ、これが! とにかく、小生はこいつが大嫌いなんだよ!」
「三笠木さんとだっていつも喧嘩してるじゃないですか」
そう指摘すると、ちらりと事務デスクの方を見やる。こっちの声は丸聞こえのはずなのに、三笠木さんは身じろぎひとつせずにキーボードを打ち続けていた。
その様子を確認した無花果さんは、ぎゃははと笑って、
「ああ、こいつはただのケンカ相手だよう! おちょくるのにちょうどいいんだよねえ!」
どうやら、ケンカはするけど別に嫌っているというわけではないらしい。その線引きの基準がよくわからないけど、無花果さんの中では『嫌い』のカテゴリには入っていないようだ。
そんな無花果さんに『大嫌い』とまで言わせたタブンくんは、よほどカンに障る人物なのだろう。
たしかに、僕もずっと違和感を抱いている。無花果さんのように面と向かって『大嫌い』とは言わないが、なにかとてつもなく不気味な気配を感じ取っていた。
「……それにしても、どこのだれかもわからない死体を、あんな適当な質問で探せるんですか? さすがに今回は不安なんですけど……」
話題を変えようと、僕は無花果さんに問いを向けた。
無花果さんは豊満な胸を、どん、と叩き、
「安心したまえ! 小鳥ちゃんには少々無理を言ったが、小生の思考トレースは間違っていないはずだ!」
「けど、夢遊病患者の無意識のトレースなんてできるんですか?」
「モチのロンよ!」
自信満々の様子に、ますます頭がこんがらがってくる。
記憶にない無意識をトレースするなんて、いくらなんでも無茶すぎる。なにせ、何も考えていない状態での犯行なのだから、そこには追うべき思考が存在していないのだ。存在していないものをトレースすることはできない。
……それとも、無花果さんは別のなにかをトレースしたのだろうか?
「おっと、小鳥ちゃんの準備ができたようだ! 相変わらず仕事が早いねえ!」
いつの間にか、扉の隙間から軍手の小さな手が紙切れをひらひらさせていた。どうやら無花果さんの言う『調べ物』が終わったらしい。
紙切れを受け取った無花果さんは、しばらくの間目を細めてそれを見つめていた。それから、ぱっと顔色を明るくすると口笛を吹き、
「ひゅう! なるほどねえ!」
「なるほど、って、なにがなるほどなんですか?」
「いちいち細々とうるさい男だね君も! 行けばわかる! ということで、早速行くぞまひろくん!」
「行くって、どこに行くんですか!?」
「君は小生の言う通りに車を走らせればいいのだよ! さあ飛ばせ奴隷! 馬車馬のごとく働け!」
「奴隷呼ばわりいい加減やめてもらえます!?」
「ヤダ!!」
きっぱりと断言されてしまった。このまま僕は無花果さんの奴隷としてこき使われるさだめにあるのだ。
がっくり肩を落としてため息をついていると、無花果さんは僕の腕をぎゃんぎゃん引っ張りながら、
「とにもかくにもゆくぞ! 今回は山梨だからね! さあ飛ばせやれ飛ばせ!」
「山梨!?!?」
聞いてないぞ!? 高速を使っても、一体何時間かかるやら……それでも、無花果さんがそこに死体があると言っているのだから、僕に選択権はない。
生殺与奪の権利を握られた気分になって、仕方なしに軽トラのキーを手にして無花果さんに付き従った。
事務所から飛び出した僕たちは、そのまま薄汚れた階段を一気に駆け下りる。そんなに急がなくても相手は死体だ、逃げも隠れもしないというのに。
魔窟雑居ビルの裏手に停めてあった軽トラに乗り込むと、いつもの助手席に座った無花果さんはがんがんグローブボックスを蹴りつける。
「飛ばせ飛ばせえ! チキり運転なんてしたら速攻で喝入れてやっかんな! 右車線を右ウインカー出しながら走れ!」
「なんでそんな煽り運転しなきゃならないんですか。とにかく、出しますよ」
軽トラのエンジンをかけると、僕はハンドルを握って駐車場とも呼べない駐車場から車を出した。
右に左に隘路をを曲折しながら、国道まで出る。そこから案内に従って、山梨方面への高速に乗った。
「ようし、いっちょ景気のいいやつをかけようじゃないか! ゴキゲンなナンバーを頼むよDJ!」
夜の高速を飛ばしながら、無花果さんは今どき珍しいレトロなラジオの電源を入れた。街宣車かと思うような大音量で音楽が流れてくる。
「……うるさっ……」
「えーなんだい!? なにが言ったかい!? ひゃっほうSum41だ! 小生大好きさ!」
がんがんにかかっている洋楽ロックは、たしかに無花果さんが好みそうではあった。
めちゃくちゃにうるさい車内でノリノリで歌う無花果さんを乗せて、僕たちは一路山梨県へと向かう。夜の下り高速は比較的空いていて、そんなに時間をかけずに到着しそうだった。
途中、もっと飛ばせと文句を言われたけど、ラジオのうるささでほとんどなにを言っているか聞き取れない。それをいいことに、僕は無花果さんの言葉を無視することにした。こんなのいちいち聞いてたら、覆面パトカーに捕まってしまう。
そんなはちゃめちゃな珍道中を繰り広げながら、僕たちは夜の高速をボロい軽トラで疾走するのだった。