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№8 匿名の対話

 しばらく間を持たせたあと、所長はゆっくりと配信画面に向き合った。


「塩乱さん、もしかして君なのかなー? 死体送り付けてきたのはー」


 呼びかけると、ややあってチャット欄に『塩乱』の名前で返信があった。


『よくわかりましたね』


「ビンゴだっ!」


 無花果さんが指を鳴らす。


 しかし、仮想空間の住人たちはどこまでも懐疑的だった。


『なりすましじゃね?』


『そんなうまくいくかよ』


『てかわかりやすすぎて引く』


『これは罠だ!』


『証明できんのかよ?』


『できますよ』


 その『塩乱』の発言に、にわかにチャットはざわついた。


『今から私がなにか書きますから、その筆跡と手紙の筆跡が合っていれば証明になりますよね?』


 たしかにそうだった。筆跡なんて、一朝一夕でマネできるものではない。表面上は取り繕ったって、無花果さんやネット民の観察眼があればすぐにボロが出る。


 それに、『塩乱』は主張したがっているのだ。


 自分こそが、もうひとりの『死体装飾家』だと。


 ……ややあって、配信画面に画像が共有された。


 そこには、『私はとある虚無主義者』という一文と、『塩乱』の名前が書いてあった。


「……これは……」


 画面を覗き込んでいた無花果さんが目を細める。ぐしゃぐしゃにした『挑戦状』に視線を落とし、もう一度画面に目をやり、


「……間違いないね!」


『イチジクが認めた!』


『うん黒だな』


『俺も賛成』


『俺も』


 ネットの住人たちの意見も出そろった。


 ということは、この配信に参加している『塩乱』は、間違いなく『模倣犯』だということだ。


『殺人鬼降臨!』


『神!』


『やべー祭だ!』


『スクショ撮りました』


『通報する?』


『余計なことすんなよ』


『祭にヤボは必要ねえ!』


『みんな踊れー!』


 チャット欄に目まぐるしくネットの声が流れ込んでくる。目で追えなくなるほどだ。このままでは『塩乱』の声が埋もれてしまう。


「はい、みんなー、ちょっとワンオンワンチャットに切り替えるねー。内容はみんなにも見えるから、『塩乱』さんとサシでお話させてー」


 そう告げると、所長は『塩乱』を一体一のチャットに招待した。とはいえ、このやりとりは五万人にも見えている。余計な茶々が入らないなら、『塩乱』と対話ができるだろう。


 衆人環視の中、匿名の『模倣犯』と直接対決。


 果たして、この『模倣犯』はしっぽを出してくれるのだろうか?


 ……いや、出すに決まっている。


 見つけてもらいたくて仕方がないから。


 チャットルームに入室した『塩乱』は、まずこう言った。


『あなたたちなら、きっと私を探し当ててくれると思っていました』


「あららー。もしかして、期待してた?」


『ええ、とても』


 あっけなく認めた『塩乱』は、やはり頭の良くない承認欲求のかたまりらしかった。


「どう? 僕たちのプロファイリングは合ってたかなー?」


『だいたい正解です』


「じゃあ君は、シオランに心酔するいじめられっ子の女子中学生ってわけだ」


『否定はしません』


 画面の向こう側では大興奮で首を縦に振っていることだろう。そんな光景が見える気がした。


「見つけてほしくて、こんなことしたのー?」


 所長の呼びかけが核心に迫る。ひとひとりを殺し、その死体を『作品』にし、事務所に送り付けてきた。『塩乱』は、そんな『模倣犯』なのか。


 ややあって、チャット欄に返信があった。


『私は師匠に認識してもらいたかっただけです。自分の他にも『死体装飾家』が存在していると。そして、迎え入れてほしかったんです。弟子として。私は、いつか師匠を超える『死体装飾家』になります。だから、私を弟子として迎えてください。きっと立派な後継者になれます』


 ずらっと並んだ長文はネットの住人らしくない。私のことをわかってほしい、私の話を聞いてほしいという情念めいたものを感じた。


 チャットにまた返信が届く。


『写真の個展があったでしょう、そこにあった無花果さんの写真に衝撃を受けました。あまりにも美しかったんです。すぐにその写真から無花果さんのことをたどりました。世界的に有名な『死体装飾家』、春原無花果さん。あなたは私のあこがれなんです。死を思って、虚無の縁に立って、物質も存在も超えた作品を生み出すあなたを、私は尊敬しています。だから、師匠になってほしいんです。私に本当の死を教えてほしいんです』


 またしても長文だ。どこまでもべらべらと語り倒す気らしい。


 それにしても、僕の個展の写真からたどったということは、あの来場者の中に『塩乱』は紛れ込んでいた……?


 ふと思い出すのは、無花果さんが祈る写真の前で立ち尽くしていた、セーラー服の女の子だ。取り憑かれたように見入っていたあの少女は、もしかして『塩乱』だった……?


 なおも返信は続いた。


『私も、あなたみたいになりたい。自分の作品で世界を変えたい。世界に訴えかけたい。ここにはこんな作品があるんだ、こんな作者が作り上げたんだ、って。みんなを驚かせて、思い知らせてやりたい。死とはこんなものなんだって。

だからいのちに意味なんてないんだって。生きてたってしょうがないんだって。私の作品に感化されたひとはみんな、死に魅せられる。世界中で自殺者が増える。社会現象になる。虚無主義者として、こんなにうれしいことはありません』


 ……おぞましい誤解だった。


 完全に履き違えている。


 無花果さんの『メメント・モリ』と『塩乱』の主張は、永遠に続く平行線のように交わらない。『塩乱』は、『死』を単なる道具としてしか扱っていない。向き合っていない、直視していない。


 そして、『死』をなによりも尊重しない限り、『死体装飾家』なんて名乗ってはいけないのだ。


 吐き気がするほどの思い上がりだった。


『だから、早く私を見つけて、迎えに来てください。私はいつまでも、師匠が迎えに来てくれるのを待ってます。ずっとずっと、待ってます。ふたりで世界に挑戦すれば、きっともっとたくさんのひとが作品を見てくれます。私は師匠の最高のパートナーになれます。だから、早くたどりついてください』


「ふうん、宣戦布告とはいい度胸だ、哲学ガール!」


「あ、ちょっといちじくちゃんー」


 所長を押しのけ、無花果さんがカメラに向かって不敵に笑いかけた。ただ、目は笑っていない。


 肉食動物のように歯を見せて、


「この落とし前はきっちりつけてもらうからな! 小生が責任持って迎えに行ってやんよ、首洗って待ってろ! 震えて眠れ、エセ虚無主義かぶれが!」


『うれしい。迎えに来てくれるんですね。無花果さんならきっとたどりついてくれるって信じてます。ずっとずっと、待ってます。どうかお願いしますね』


 見え見えのよろこびをにじませた発言を残して、『塩乱』はワンオンワンチャットからログアウトした。


 ……とりあえず、直接対決はこれで終わりらしい。


 なんだか気が抜けてしまった。


 あまりにも幼稚すぎる。ヘタをすれば小学生の可能性さえ出てくるほどに。


 この『塩乱』は、決して無花果さんにあこがれているわけではない。


 未来の『認められた』自分に酔いしれているだけだ。


 そこにはなんのリスペクトもなく、『死』はその踏み台に過ぎない。『師匠』なんて言ってるけど、『弟子』として終わる気はさらさらないみたいだ。


 そのために、ひとをひとり殺した。『塩乱』にしてみれば、自分の『作品』の素材になれるんだから光栄でしょう?くらいの気持ちだったに違いない。


 ……怒りよりも先に、気味が悪くなった。


 僕たち『モンスター』とは別種の、『承認欲求のバケモノ』。世の中に認められるためなら、なんだってする。あくまでも自分自身に害が及ばない範囲で、だけど。


 エゴイズムも、ここまで来るといっそおそろしかった。


 知らぬ間に肌を粟立たせながら、僕は『塩乱』が消えたチャットルームの画面を見つめるのだった。

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