しばらく間を持たせたあと、所長はゆっくりと配信画面に向き合った。
「塩乱さん、もしかして君なのかなー? 死体送り付けてきたのはー」
呼びかけると、ややあってチャット欄に『塩乱』の名前で返信があった。
『よくわかりましたね』
「ビンゴだっ!」
無花果さんが指を鳴らす。
しかし、仮想空間の住人たちはどこまでも懐疑的だった。
『なりすましじゃね?』
『そんなうまくいくかよ』
『てかわかりやすすぎて引く』
『これは罠だ!』
『証明できんのかよ?』
『できますよ』
その『塩乱』の発言に、にわかにチャットはざわついた。
『今から私がなにか書きますから、その筆跡と手紙の筆跡が合っていれば証明になりますよね?』
たしかにそうだった。筆跡なんて、一朝一夕でマネできるものではない。表面上は取り繕ったって、無花果さんやネット民の観察眼があればすぐにボロが出る。
それに、『塩乱』は主張したがっているのだ。
自分こそが、もうひとりの『死体装飾家』だと。
……ややあって、配信画面に画像が共有された。
そこには、『私はとある虚無主義者』という一文と、『塩乱』の名前が書いてあった。
「……これは……」
画面を覗き込んでいた無花果さんが目を細める。ぐしゃぐしゃにした『挑戦状』に視線を落とし、もう一度画面に目をやり、
「……間違いないね!」
『イチジクが認めた!』
『うん黒だな』
『俺も賛成』
『俺も』
ネットの住人たちの意見も出そろった。
ということは、この配信に参加している『塩乱』は、間違いなく『模倣犯』だということだ。
『殺人鬼降臨!』
『神!』
『やべー祭だ!』
『スクショ撮りました』
『通報する?』
『余計なことすんなよ』
『祭にヤボは必要ねえ!』
『みんな踊れー!』
チャット欄に目まぐるしくネットの声が流れ込んでくる。目で追えなくなるほどだ。このままでは『塩乱』の声が埋もれてしまう。
「はい、みんなー、ちょっとワンオンワンチャットに切り替えるねー。内容はみんなにも見えるから、『塩乱』さんとサシでお話させてー」
そう告げると、所長は『塩乱』を一体一のチャットに招待した。とはいえ、このやりとりは五万人にも見えている。余計な茶々が入らないなら、『塩乱』と対話ができるだろう。
衆人環視の中、匿名の『模倣犯』と直接対決。
果たして、この『模倣犯』はしっぽを出してくれるのだろうか?
……いや、出すに決まっている。
見つけてもらいたくて仕方がないから。
チャットルームに入室した『塩乱』は、まずこう言った。
『あなたたちなら、きっと私を探し当ててくれると思っていました』
「あららー。もしかして、期待してた?」
『ええ、とても』
あっけなく認めた『塩乱』は、やはり頭の良くない承認欲求のかたまりらしかった。
「どう? 僕たちのプロファイリングは合ってたかなー?」
『だいたい正解です』
「じゃあ君は、シオランに心酔するいじめられっ子の女子中学生ってわけだ」
『否定はしません』
画面の向こう側では大興奮で首を縦に振っていることだろう。そんな光景が見える気がした。
「見つけてほしくて、こんなことしたのー?」
所長の呼びかけが核心に迫る。ひとひとりを殺し、その死体を『作品』にし、事務所に送り付けてきた。『塩乱』は、そんな『模倣犯』なのか。
ややあって、チャット欄に返信があった。
『私は師匠に認識してもらいたかっただけです。自分の他にも『死体装飾家』が存在していると。そして、迎え入れてほしかったんです。弟子として。私は、いつか師匠を超える『死体装飾家』になります。だから、私を弟子として迎えてください。きっと立派な後継者になれます』
ずらっと並んだ長文はネットの住人らしくない。私のことをわかってほしい、私の話を聞いてほしいという情念めいたものを感じた。
チャットにまた返信が届く。
『写真の個展があったでしょう、そこにあった無花果さんの写真に衝撃を受けました。あまりにも美しかったんです。すぐにその写真から無花果さんのことをたどりました。世界的に有名な『死体装飾家』、春原無花果さん。あなたは私のあこがれなんです。死を思って、虚無の縁に立って、物質も存在も超えた作品を生み出すあなたを、私は尊敬しています。だから、師匠になってほしいんです。私に本当の死を教えてほしいんです』
またしても長文だ。どこまでもべらべらと語り倒す気らしい。
それにしても、僕の個展の写真からたどったということは、あの来場者の中に『塩乱』は紛れ込んでいた……?
ふと思い出すのは、無花果さんが祈る写真の前で立ち尽くしていた、セーラー服の女の子だ。取り憑かれたように見入っていたあの少女は、もしかして『塩乱』だった……?
なおも返信は続いた。
『私も、あなたみたいになりたい。自分の作品で世界を変えたい。世界に訴えかけたい。ここにはこんな作品があるんだ、こんな作者が作り上げたんだ、って。みんなを驚かせて、思い知らせてやりたい。死とはこんなものなんだって。
だからいのちに意味なんてないんだって。生きてたってしょうがないんだって。私の作品に感化されたひとはみんな、死に魅せられる。世界中で自殺者が増える。社会現象になる。虚無主義者として、こんなにうれしいことはありません』
……おぞましい誤解だった。
完全に履き違えている。
無花果さんの『メメント・モリ』と『塩乱』の主張は、永遠に続く平行線のように交わらない。『塩乱』は、『死』を単なる道具としてしか扱っていない。向き合っていない、直視していない。
そして、『死』をなによりも尊重しない限り、『死体装飾家』なんて名乗ってはいけないのだ。
吐き気がするほどの思い上がりだった。
『だから、早く私を見つけて、迎えに来てください。私はいつまでも、師匠が迎えに来てくれるのを待ってます。ずっとずっと、待ってます。ふたりで世界に挑戦すれば、きっともっとたくさんのひとが作品を見てくれます。私は師匠の最高のパートナーになれます。だから、早くたどりついてください』
「ふうん、宣戦布告とはいい度胸だ、哲学ガール!」
「あ、ちょっといちじくちゃんー」
所長を押しのけ、無花果さんがカメラに向かって不敵に笑いかけた。ただ、目は笑っていない。
肉食動物のように歯を見せて、
「この落とし前はきっちりつけてもらうからな! 小生が責任持って迎えに行ってやんよ、首洗って待ってろ! 震えて眠れ、エセ虚無主義かぶれが!」
『うれしい。迎えに来てくれるんですね。無花果さんならきっとたどりついてくれるって信じてます。ずっとずっと、待ってます。どうかお願いしますね』
見え見えのよろこびをにじませた発言を残して、『塩乱』はワンオンワンチャットからログアウトした。
……とりあえず、直接対決はこれで終わりらしい。
なんだか気が抜けてしまった。
あまりにも幼稚すぎる。ヘタをすれば小学生の可能性さえ出てくるほどに。
この『塩乱』は、決して無花果さんにあこがれているわけではない。
未来の『認められた』自分に酔いしれているだけだ。
そこにはなんのリスペクトもなく、『死』はその踏み台に過ぎない。『師匠』なんて言ってるけど、『弟子』として終わる気はさらさらないみたいだ。
そのために、ひとをひとり殺した。『塩乱』にしてみれば、自分の『作品』の素材になれるんだから光栄でしょう?くらいの気持ちだったに違いない。
……怒りよりも先に、気味が悪くなった。
僕たち『モンスター』とは別種の、『承認欲求のバケモノ』。世の中に認められるためなら、なんだってする。あくまでも自分自身に害が及ばない範囲で、だけど。
エゴイズムも、ここまで来るといっそおそろしかった。
知らぬ間に肌を粟立たせながら、僕は『塩乱』が消えたチャットルームの画面を見つめるのだった。