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9勝手目 過去戻りの禁忌(3)

 そして、街は再生ボタンが押されたように再び動き出した。


 僕の体は致命傷ではなく、擦り傷や打撲のみのあり得ない回復を遂げていた。

 背中や腰に鈍痛はあるものの、洋ちゃんを抱えて歩けそうなぐらいの変化がある。


 近くにいた歩行者数人から、洋ちゃんが跳ねられたので救急車を呼んだと声をかけられた。

 洋ちゃんは変わらず倒れたままで、僕だけが止まった時間の中で生きていたのだと再確認する。

 八十禍津日神との対面は夢なんかじゃない。


 僕は周りを見渡した。悲鳴の合唱は僕が歩いてきたアーケードの中まで広がっている。

 洋ちゃんが立っていた横断歩道前の入り口からトラックが猛スピードで侵入し、歩行者を跳ねていく――


 僕の小さい時、ニュースでそんな事故を報道していた記憶が蘇った。

 おばあちゃんが「おっかねぇねぇ」とテレビに手を合わせて、亡くなった人の救いを願っていたんだ。

 この人たちのことも口寄せするのかなぁと思いながら、子供の僕は車に轢かれて死んじゃったくらいの認識だった。


「洋ちゃん、洋ちゃん」


 誰かを救うなら、今なんじゃないか。

 手足が関節では曲がらない方向を向く洋ちゃんに呼びかけた。死ねない呪いがあるんだから、死なないのはわかってる。

 でもそれは無敵の体を手に入れた訳ではなくて、本当に死なないだけの体になったんだ。


 彼女の口元に掌を当てて呼吸を確認してもヒュー、ヒューと虫の息。眉間に皺が寄ったのを見るところ、意識はあるようだ。


「大丈夫!? 今救急車が来るから、頑張って!」

「痛い……こわい……」


 洋ちゃんは絞るような声で悲痛の思いを呟いた。

 そして目からツーと雫が一つ垂れると、それはカランカランと軽い玉が転がる音を立てて落ちていく。

 続けて同じように幾つか転がった。


 それは、確かに彼女から出たものだ。透明なビー玉のように綺麗な宝物みたいだ。

 落ちたもの全てをてのひらに集めてみると、背中にぞくぞくと霊の気配を感じる。

 今までいろんな霊と対話してきたけど、背筋が曲がるような寒さと共に声をかけられる場合は大抵が「事故」で亡くなった方だったりする。


 ゆっくり首から順に体を振り向かせた。魂が3つ、漂っている。気持ちが悲しくなるような、灰色のオーラを纏って浮遊していた。

 そして僕の掌にそれらは集まり玉を眺めるようにして魂を揺らめかせる。


『ホシイ、コレ、ホシイ……』


 目玉はついていない。だけど、その魂がこの涙を羨んでいる。洋ちゃんのただの涙だとわかっていた。

 両手で水を汲むように玉を集め、魂にゆっくりと差し出した。


 魂はそれぞれが1つひとつの玉に触れると、玉が電気の様に発光した。

 あまりの眩しさに目が開けられない。ナイター用の照明を目の前で点灯されたような眩しさだ。

 けれどLEDのような鋭い明るさじゃなくて、ほわっと、柔らかい雲の様な温かさがある。


『イタクナクナッタ』

『アタタカイ……』


 光が空へ向かって上昇していく。徐々に目が開けられる明るさになり、4月の空を見上げる。

 光が雲より上に行き、すっかり姿がみえなくなると、布がアスファルトに擦れる音がした。


「痛てぇ……」

「あ、あ! 洋ちゃん大丈夫――」


 僕は目を疑った。目が乾くほど大きく見開いて、空いた口が塞がらない。

 だって、洋ちゃんが起き上がったと思ったら、さっきまで肘や足が逆方向へ折れていたのに、治っているんだから。

 浅葱色のパーカーには黒い筋がいくつか付いていて、轢かれた時にアスファルトとの摩擦で焼き切れた箇所が無数にできている。

 そこから覗く肌には怪我一つない。


 立ちあがろうとする洋ちゃんに手を貸し、洋ちゃんの右腕を僕の首にかけて少しずつ歩いた。


「大丈夫……じゃないよね」

「左腕が痛い」


 洋ちゃんはなんとか歩けるものの、歯を食いしばり、痛みに耐えている。左腕はだらんと垂れて、折れているのがわかる。

 あれだけの怪我を負っていたのに、とてつもない回復速度だ。


 これが、死なない呪いなんだ。


 アーケード内部には、転んだ人や轢かれた人など、悲鳴と泣き叫ぶ声が入り混じり、当事者であるはずなのにどこか人事に感じる。

 僕らがいた場所にも血溜まりはあるものの、血が出るような怪我はすっかり治っていた。


 どこか休める場所に移動しようと、少し歩き出す。

 歩き出してすぐ、ブティックの中にある鏡が揺らいでいるのが見えた。洋ちゃんも見ていたようで、動かない左手の人差し指だけを鏡に向けながら、震えた声を出す。


「土方ん所、帰ろう」


 迷いはなかった。ここにいてもどうしようもできない。洋ちゃんは何かを救えたのかもわからない。

 僕の自信の事だってそうだ。


 けれど今は帰る以外の選択肢がなくて、鏡の中に足を踏み入れた。


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