日曜日。今日は禁忌を冒す日だ。
場所は秋田県鹿角市。晴太の提案で祈の母親の事件を訪ねることにしたが――俺は乗り気ではなく、そしてあまり機嫌が良くない。
食害などで検索してはあまりのグロさに気分が悪くなり、沖田がこんな目に遭うとなると朝が来るのが恐ろしかった。
ついに来たという気持ちでいっぱいだが、沖田は普段通りだ。
沖田はただで熊に食われるのはごめんだと言って、
国家資格の猟銃免許が必要なのに、金持ちだからなんとかなるだろと言ってきかなかった。
伊東はどんな手を使ったのか、猟銃を2丁持って来てわざわざ秋田まで届けに来たのだ。
「免許がないのに猟銃なんて使っていいのかな。僕、禁忌は冒しても法は犯したくないんだけど」
「あはは、意外と真面目なんですね」
「笑ってる場合じゃないですからね! 僕が捕まる時、銃をくれたのは伊東さんだって言いますからっ」
晴太はオドオドしながら猟銃を肩にかけた。伊東は私は脅されたのでとヘラヘラ笑う。何も知らない奴はお気楽でいいな。
2人の会話には入らず、鏡や蝋燭の準備をする。沖田は俺の隣にしゃがみ、猟銃をガチャガチャと動かした。絶対に引き金引くなよ。
「土方ァ、これで熊殺しちゃったらどうなんの? アタシ戻ってこれる?」
「殺さないで帰って来い」
「だってさ、晴太くん」
伊東と話す晴太に大声で声をかけた。
「守も簡単に言うよねぇ。僕は熊に怯えながら傷だらけの洋を連れて帰って来なきゃいけないのにさ。僕は熊なんて会いたくないんだ」
「食害、でしたっけ。そもそも禁忌を犯して無事で帰って来れるんですか?」
伊東も加わると、鏡や蝋燭を興味深そうに眺める。この鏡は何処で? と聞かれ、安いのを駅前の店で買ったと伝えるとなるほどと流された。
なんだ、ちゃっちいの買ってんなって思ったのか?
晴太が一通り「過去戻りの禁忌」について説明する。が、リアクションが薄い。神霊庁の重鎮とやり取りする伊東クラスになれば、特に驚くことでもないのだろうか。
年齢が近いという割には肝が座っている。年齢を聞けば23歳だと答えるから、俺たちとほとんど変わらない。禁忌を前にして余裕でいられるのは今のうちだろう。
晴太も今回は今までの中でも傷が酷いだろうから、耐えられなくなったら離れてくださいねと注告した。
「夜ぐっすり眠るために禁忌を犯す……ですか。それで、きちんと眠れるんです?」
「寝れるわけねぇだろ! あちこち痛くて仕方ないし……でも
八幡宮の修繕費に対しての恨みつらみが止まらない。給料からそこそこの額が天引きされている沖田は、これから自分の生活費も確保していかなくてはいけない。
晴太はこの禁忌が終わったら一緒に住もうと話そうと思うと言っていた。俺も早く神霊庁入りしなくてはと焦るのだが、入庁理由に納得してもらう自信がないまま日にちだけ経っていく。
伊東は晴太の給料からも天引きしているのだから、総額から減額されたことに感謝するべきだと沖田を笑顔で圧した。
晴太も支払っているなら、俺も入庁して支払うということには出来ないだろうか。
名案だと思ったが、晴太の場合は個人の仕事もこなしている。俺ができるのは学校で習う勉強と翻訳くらい。神霊庁で何の役に立つんだ。
「でも、大変な思いをしているというのは伝わりました。個人的にはなりますが、今日の頑張り次第で慰安旅行を手配しますよ」
「いいのか!?」
「いいですよ。土方さんと近藤さんも、3人で是非」
「伊東も来れば? 金出すの伊東じゃん」
「予定があえば、ですね」
伊東の提案に沖田は目を輝かせた。しれっと伊東まで誘ってやがる。
今からボロボロになりにいくのに、旅行に連れて行くってだけではしゃぐな。
「だから、頑張ってくださいね」
沖田の頭を横髪の毛先まで滑り落ちるように撫でた。毛先は指先で名残惜しそうにゆっくりと手を引く。
「え? 何ですか? 伊東さんもそういう感じですか?」
これに反応しないわけがないのが晴太だ。伊東に容赦なく銃口を向けるから恐ろしい。
伊東はポケットに手を入れてから、手を挙げた。なぜ無駄な動作をしたからわからないが、部下を労うボディタッチの多い上司くらいにしか見えなかった。あぁ、そうか。セクハラか。
沖田はまんざらでも無さそうな顔というか、両親だった人達にも頭を撫でられたことがないからか、ポカンとマヌケに口を開けている。
また胸がモヤァ……っとして、不機嫌を助長させる。
「そういえば祈も、撫でてくれたな……」
沖田はボソッと小さな頃で呟いた。恐らく俺だけが聞き取っていて、撫でられた部分を自分でも撫でている。
自分から人が離れて行ってしまう傷はまだ癒えていないんだな。
「おい」
「なんだよ、びっくりした」
頭を撫でる手の上に手を重ねた。だってここで頭を撫でてしまったら、まるで伊東に対抗しているみたいじゃないか。
「必ず帰ってこいよ」
俺を見上げる目は潤んでいるように見えた。何を思っているかはわからない。
時々素直に感情を出すようになった沖田には、泣けないというのは酷なことだ。
「土方はアタシがいないと寂しいもんな」
悪戯な笑顔が眩しい。
「ああ、寂しいよ」
夏の陽気な日差しと蒸し暑さ。そしてこれから冒す禁忌の内容。全てが重なると、思っていることを吐き出してしまう程のぼせてしまうらしい。
沖田は顔を逸らし「待ってて」と囁くように言った。
「さて、行きますか!」
沖田は猟銃、ナイフを数本を作業用の腰袋に入れて、5月中旬の日付が書かれた紙を燃やす。
晴太も頬を叩いて気合いを入れる。
「待ってろ土方、美味い筍採って来てやる!」
今から死に行くようなもんなのに、何が楽しくて歯を出して笑ってんだ。
突風が吹くと、2人は鏡の中へ入って行った。