◇
仙台から帰って、1週間が経つ。
私は荷解きも出来ずに、部屋に篭っていた。パパは心配して扉越しに声をかけてくれる。
あんなにうっとおしかったのに。洋に会ってから自分が恵まれていて、贅沢で我儘なんだってわかった。
確かに洋は我儘よ。でも違うの。あの子の我儘は「こっち見て」って言ってるように聞こえるの。私の考え過ぎなのかな。深読みしてるだけなのかしら。
私、これからどうしたらいいんだろう。嫌でたまらなかった神社を継いでみる? この部屋でずっと暮らしていく?
それでいいやと思うのは、楽な方に流されたいから。住み慣れた街から出ないでいるのは楽だもの。挑戦なんて疲れるし、何やってんたんだろう。
専門学校のカタログは埃をかぶっている。あんなにキラキラしていて見えていたのに、どうしてあんなにお金が欲しかったんだろうとか、なれっこないのにとマイナスな考えが全身を巡るの。
そうして考えているうちに、1日が終わる。
「祈、置いておくよ」
パパはノックと共に、夕飯を置いていってくれる。少ししょっぱい味噌汁、小さなおにぎりと出来合いの唐揚げが1つ。私はこれを食べ切ることもできない。
ご飯を目の前にすると、洋の顔が浮かんでくる。今日は何食べたのかなぁとか、片付けはしてるかなぁとか、母親のような心配ばかりしてしまう。
唐揚げを一口齧り、携帯で撮ったあの子の写真を眺めた。ノーマルカメラでも綺麗な顔。
特に私の施したメイクで綺麗になっている写真は格別よ。
傷なんかなかったみたいにしてあげたの。ぎこちなく顔を逸らして言われる「ありがとう」を思い出せば、口元が緩む。
今夜は少しだけ元気が出た。そろそろキャリーケース達を開けないと、だらしがないもの。洋にあれだけ言ったのに、自分が出来ないんじゃあね。
服や日用品を取り出し、クローゼットやファンシーなシールが貼られた箪笥に入れていく。
大方片付けが終わり、寝かせておいたキャリーケースを立ててやる。きちんと閉めていなかったから、蓋がバカりと開いてしまった。
ファスナーで締めようとするけれど、何がひっかかって閉まらない。
もう一度キャリーを寝かせて原因を探すと、薄いピンク色の封筒がファスナーが噛んでしまっている。入れた覚えがない。けれど、気になって封筒に貼られたテープを爪で剥がす。
中にはお世辞にも綺麗とは言えない文字が書いてある。まさかと思い、嫌いな物を噛むように恐る恐る目を動かした。
――
祈へ
手紙を書いたことがあんまりないから、下手だと思う。
祈に会ってから、ありがとうとごめんなさい、いただきます、ごちそうさまが言えるようになった。
ちょっとだけ、周りの人と同じになった気がする。ありがとう。
祈がメイクで傷を目立たなくしてくれたり、怪我で出来ない髪の毛をちゃんと結ってくれたり、手当をしてくれて、本当に嬉しかった。
自分の顔見るのがヤだったから、綺麗にしてくれて助かった。話すのも楽しかった。
祈はアタシのことを好きじゃないだろうけど、アタシは祈のことが好きだと思う。
祈の作ってくれた唐揚げが、この世界で1番好きな食べ物になった。
祈の夢がちゃんと叶うように応援してる。
迷惑かけてごめんなさい。ありがとう。
沖田より
――
本当に下手くそ。拙すぎるわ。バカじゃないの。21歳にもなって、ありがとうとごめんなさいが言えるようになりましただなんて、笑わせないでよ。
バカね。私は仕事だからやっただけなの。洋の為じゃなくて、仕事なの。私は友達じゃないの。お金の為、全部仕事だったの。
「ずるいよ……こんなの……」
手紙は涙で濡れる。膝を抱えて声を出さないように泣いたのに、パパは嗚咽を聞きつけて部屋へ飛んできた。
私の心は今どこにあるのかもわかっている。ずっと自分らしさを追い求めていた窮屈な心が、熱を持って溶けていく。
◇
――そしてまた数日が経ち、夏の日差しが眩しいカラッと暑い日曜日。
天気がいいと理由をつけて、部屋を出てみた。洋の手紙を読んでから、自分がどうしたいかをまた見つめ直すことにしたの。
家にいるのだからせめてパパの手伝いくらいはしようと、朝のメールチェックなどを済ませていく。機械に無頓着なパパの古いパソコンは、起動するだけでとっても時間がかかる。
神霊庁からの一斉メールがほとんど。適当にスクロールして流し見、開いては閉じを繰り返していく。
個人宛や秋田県内の広報なんて特にないのだけど、今日ばかりは県内職員宛のメールが来ている。どうせ熱中症に気をつけろとか回覧板みたいな内容でしょ。
だけど件名には「【重要】注意喚起」とあって、なんだか物々しい。誰かの家の凶暴な犬でも脱走したのかしら。田舎の重要なんてそんなもんよ。
内容には期待しないでメールを開く。
「……秋田県
だらだらと長文が並ぶ。禁忌という言葉に反応し、デスクトップに顔を近づけて目を凝らす。
要約すると、洋達が秋田に来て禁忌を犯すから巻き込まれんなよ、ということらしい。
決行日をみると今日だった。メールの受信日は3日前。わざわざ秋田を選んだのかしら。
しかも鹿角市って言ったらママの実家があった場所。ママが亡くなった
まさか、ママの事件を
危険と見られる原因も記載されていて、まずは洋が呪われていることと、熊が関係していることが挙げられている。
私がママはいないような言い方をしたから調べたの? ううん、洋はそんなことしない。やるとすれば守か晴太。
わざわざ私のところに来る理由は何? それとも神霊庁の指示?
もし、ママの事件をやるなら――洋の体はただじゃ済まない。ママの遺体は損傷が激しかった。
腹を抉られて、耳を取られて、血まみれなんて生ぬるい表現じゃ足りないくらい血を流す。
それこそ、体の中の血が1滴残らず外に出てしまったみたいに。
バカ、バカバカバカバカバカバカ!
メールを未読に戻して見なかったことにした。
よかった、実家に帰ってきて。よかった、ママを2回みるような辛い体験をしなくて済んで。
本当神霊庁って嫌い。神霊庁じゃなくて洋の呪いのせいなのかもしれないけれど、人を救うんじゃなくて抉ってくるんだもの。
なのにどうして私、メイク道具や救急セットなんて準備してるんだろう。大きなボストンバックまで引っ張り出して、どうして部屋着から初めて洋達と会った日の服に着替えてるんだろう。
「パパ! 軽トラ貸して!」
「おぉ、部屋から出れたのか! パパ心配したんだ――」
「貸してね!」
パパの話を遮ってまで軽トラ借りちゃってさ。軽トラの荷台にタンクに入れた水やブルーシートを積む。運転席に急いで乗り込んで、カーナビを設定するの。
「祈! どこ行くんだ! マニュアル運転出来たのか!?」
心配したパパが袴を着ている途中だっていうのに、玄関から飛び出して来た。
昨日まで引きこもっていた娘が突然大荷物で軽トラ乗るんだもの、そりゃびっくりするわよね。
運転席のドアウィンドウを開けると、夏の暑さが車内を覆う。
「パパ、私ね、やりたいことは迷ってるの。神社も継ぎたくないし、神霊庁も嫌いなのは変わらない。メイクアップアーティストだって、本当になりたかったのかわからないの」
「なら暫くは神社の手伝いだけでいいから。パパ、昨日までの祈みたいなのはごめんだぞ」
パパはママも居ないんだからと言いたそうな顔をする。ママの代わりは私がして来た。だから居なくなられたら困るのよ。
でもね、と続ける。
「放って置けない子を見つけたの! 大嫌いな神霊庁も、すぐに辞めた看護師の仕事も、大好きなメイクも、ママの代わりにやって来たことも全部あの子のためだったんだって思ったら嬉しくなっちゃうのよ。不思議でしょ? 怖い事も目を背けたい事もあるけど、隣に居られないのが1番イヤ!」
パパに止められる前にギアを入れる。そして、軽トラに似合わないピンク色の厚底パンプスでエンジン吹かすの。
目指すは鹿角市。秋田市からは2時間弱ってところね。
「洋の体を守ってあげれるのは、私よ!」
自分の気持ちは自分でもわからないし、気づきにくい。だけど洋が私を好きだって言ってくれたから、もう泣かないの。