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18勝手目 過去戻りの禁忌:秋田県鹿角市(3)


 沖田と晴太が過去へ行ってしまうと、伊東と2人になる。


 夏の日差しが眩しい。目を守るためにかけたサングラス、自宅にあった古くて大きいパラソル。そして毎度お馴染みキャンプ椅子。

 待つ準備は整った。秋田は宮城より北にあるが、なぜか蒸し暑く感じる。

 じっとしているだけで毛穴から汗が吹き出してくるのだ。


 伊東も持参したブランド物のキャンプ椅子を出すと、足を組んで席についた。まるでキャンプだなんていう、祈のようなツッコミもない。鏡の中へ入って行った事に関しても、恐ろしいくらいすんなり受け入れている。


「いつもどのくらいで戻ってくるんです?」

「時による。1日かかることはないな」

「それでも、ここで待つのも大変ですね。帰ってくるまで退屈でしょうし」

「待つのは慣れた」


 待つというのは時間が何倍にも感じる行為だ。特に禁忌中はどんなに暇を潰しても、2人の無事が気掛かりで集中出来ることはない。

 退屈と言われると少し違うのだが、2人に何の思い入れのない伊東ならそう思うのだろう。


「沖田が無理言って悪かったな。銃なんてさすがのアンタも苦労したろ」

「いえ?」


 伊東はきょとんとする。いやいや、国家資格が無いと使えないんだぞ。手に入れるなんて苦労するだろ。


「法やルールも金さえあればなんとかなりますよ。まあ、かかった金額はお2人に請求しますけど」


 スーツの内ポケットから待ってましたと請求書を取り出した。沖田は伊東に会うたびに取り立てに合わなきゃならんのか。

 請求書の数字は八幡宮の修繕費と比べれば可愛いもんだが、普通に暮らしていれば相当な額だ。


「沖田はこれから1人で生活していくんだ。その……経費でなんとかならないのか?」

「なりますよ。私がハイと言えば、ですけどね」

「例えばでいい。どんな理由なら経費が降りる? 今は晴太が快く出してくれているからいいが……交通費もバカにならないし、俺としても心苦しい」


 学生という肩書きが経済的支援を出来ない理由になるかはわからない。晴太はどうせお金使うところないからと言って、色々出してくれているのが申し訳ないし、恥ずかしかった。


 もし経費でなんとかなるのであればそうして欲しいのが本音。


「今日次第……ですね。禁忌がどんなものかもわからない。呪いがどんなものかわからない。ただ神霊庁が過剰に騒ぎ立てているだけなのかもしれない。何も知らずにポンポンお金は出せませんよ」

「さすが金庫番。しっかりしてるな」

「――まあその分、敵ができたり、恨まれることも多いですけどね」


 金を持つ者故の悩みか。金の切れ目は縁の切れ目と言うが、伊東は若いながら色んな人間を見てきたのだろう。

 シャツまで真っ黒なスーツのせいか、きっちりしているように見えて他人と線を引いているような気がする。


 いつも口角は上がっているが、作り笑いに愛想笑い。仕事用の笑顔。旨い労いの言葉も見つからず、想像力の足りなさと社会経験のなさを痛感する。


「でもわかりませんよ? 私だって好きな女性が出来れば見境なくお金を出すかもしれませんし」

「そんな風には見えんがな」

「はは……好きになれる人なんて出て来ないでしょうけど」


 会話が終わった。静寂が微妙な気まずさを生む。

 え? もしかして好きなタイプはどうなんだとか聞いたほうがいいのか? 聞いて欲しいのか? 聞いてみるか?

 でも聞いたら答えなければならない。勿論好きなタイプはいないし、返されても困る。

 会話を膨らませる自信もないので、口は閉じて本を開く。


 伊東もアイマスクをして首を傾けて眠っている。なんだ、会話終了が正解か。


 沖田と晴太の無事を祈る。しかし、伊東との距離感が掴めず、感情はぐちゃぐちゃだ。



「立たなきゃ……」


 僕が無事でなければ現世へ戻れない。だけど、洋1人に熊の相手をさせたくない。だけど体はぶるぶる震える。


 今から食べられてしまうとわかりながら、どうして物怖じせずに立ち向かえるんだい?

 催涙スプレーとかナイフでどうにかなる相手じゃないだろう?

 自分は猟銃とナイフだけ持っていって、僕のことはまるで当てにしてないじゃないか。


 また、銃声が遠くから聞こえた。熊が吠える声も遅れてやってくる。


 人の味を覚えた熊は人を食糧として認識する。洋は今、食べ物として追いかけられているんだ。僕だって食べ物と同じ。僕ら、生きてるんだよ?

 なのに呆気なく殺されて食べられるなんて嫌だよ。過去ここに来てるってことは、それが原因で亡くなった魂を救うために来てるんだ。


 身が引き裂かれそうだよ。あんなの見たら怖くて助けに行けないよ。禁忌中は死ななくたって、怖いものは怖いよ。


 僕は身を潜めながら、亀より鈍く、匍匐前進するように洋が走った方へ体を進めた。

 動きやすいジャージで来たのに、体が強張って関節が言う事を聞かないんだもん。


 背負っていたナップザックに無理矢理入れたスプレー缶が転がってしまう。熊に所在を知らせるようにわざわざ跳ねるように音を立てるんだからヒヤヒヤする。

 急いで手を伸ばして缶を押さえつけた。音を立てたら死ぬ覚悟でいなきゃないのに。


 ホッと一息つく間も無い。長く、長く、恐怖は続く。


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