「帰れじゃねぇって。兄ちゃんには帰るトコねぇの! わかる?」
ウィンクして何が「わかる?」だ。ぶっとばすぞ。
スキャンダルで頼れる人が居ない東京に帰れるわけもなく、最後の賭けとして仙台に来ては俺の家を頼る。
良くも悪くも人のいい俺の両親は、学を憐れんで快く迎えいれた……と。
「100歩譲って家に居るとはいいとしよう。だが俺の部屋に来るな、荒らすな、ここで息すんな!」
「わぁ、すっごい無茶苦茶言う」
無理だ。コイツと話したくなさすぎる。従兄弟というのも御免被りたい。俺の全身の血を入れ替えてくれ。
壁に頭を何度も打ちつけてないと正気を保てない。
学がやめろと止めてくるが、お前がいるからこうなってんだろうがと俺が出せる最大の低音で圧してやった。
「そんなに嫌なら消えますよぉだ。じゃ、兄ちゃんは洋ん家行こうかな。洋はゲーム好きだったろ? 暇つぶしに対戦でも誘ってみっか」
「ちょっと待てハゲ」
思わず平手打ちをかましてしまった。頬を叩くべちん、というつきたての餅を落としたような音。
学は言語化しがたいオノマトペを一言叫んだ。
フローリングに倒れ込み、悲劇のヒロインのように頬を抑えた学は状況が飲みこめないと言う目で見てくる。
「痛……え……おれ、仮にもイケメンで通ってんだけど……全然ハゲてないし……」
だからなんだ。お前の顔がどうだろうと関係ない。ゲーム機から垂れるコードを引きずり、人の部屋を強盗のように荒らして散らかしたまま沖田の家に行くだと?
これがイケメンで通ってきた俳優のやる事か? そのキャラで売るなら中身も伴え。コイツがそんな奴でないとわかっていても、せめてモラルは持ち合わせていろ。
従兄弟だからなんだ。従兄弟は家族じゃないだろ。年に1度会うかわからない親戚がアテにして訪ねて来れる図太さが恐ろしい。
「俺が沖田の家に行く。お前はこの部屋から出るな。そしてなるべく早く出ていけ。本気で」
「部屋から出るなって言いながら、早く出てけって矛盾して――」
「してない。消えろ」
「言葉選んでぇ……?」
下唇を噛みながら前歯を出し、目をきつく瞑って顔芸するやつのどこがイケメンなのか。
大人しく諦めたかと思うと、学はハッと何かを思い出した顔をし、そしてすぐ悪巧みを企む悪魔の笑みを浮かべた。
「自分は洋ん家行って、おれをここから出したくないなんて……ついに洋をモノにしたのか……」
黄昏んな。何をどう解釈したらそんな思考になる。あぁ、そうか。そんな思考だから、職を失くしそうになってるんだったな。このピンクの脳が。
「小さい頃から守は洋、洋って、金魚のフンみたいにくっついてたもんなぁ。兄ちゃんは弟と妹の微笑ましい関係が発展したようで嬉しく思うよ……いや、見ない間に大人になった!」
「誰が金魚のフンだ!」
「いつも一緒って意味だろ? ちげぇの?」
「お前、名前変えた方がいいんじゃないか」
じゃあなんて言うんだよとムッとしている。そんなの自分で調べろ。お前が持っている電子板はディスプレイ用のダミー機なのか?
「まあまあ、そりゃ付き合ってる女の家にこんなイケメンが行ったら嫉妬もしちゃうよな。で? 何、付き合ってどんくらいなのよ」
「そんなんじゃない」
「……ん?」
傾げてるその首を折ってやろうか? 自分の事をイケメンだの、ナルシストにも程がある。
「じゃあ、コレは?」
学は手で狐を作り、その尖らせた口先部分を何度も離しては合わせた。
何の事か理解するのに時間がかかったが、キスの事だろう。どいつもこいつもすぐ色恋に持ち込ませようとする。酒に酔ってすぐ結婚話をする親戚のような絡み方だ。
「……してない」
「してない!? 振られた!?」
「振られてねぇわ!」
「だって2人で何年いるんだよ! 20年以上だろ!? だってよぉ、そのくらい居れば普通よぉ、何かしらのハプニングとかで……あぁだこぉだなるだろ!」
「だから俺と沖田はそんなんじゃ……」
そんなんじゃない。以前は強く否定していたのに、最近はそれが出来ない。
そんなんじゃなければ何だと聞き返されたら言葉に詰まる。
幼馴染、お隣さん……は言葉弱く、じゃあ恋愛感情かと言われたらまたそれは別な話だし、しっくりくる言葉がない。
「いいっていいって、兄ちゃんにはお前の気持ちがよぉくわかるからな!」
右肩を強く叩かれ、答える暇も与えない。ダメだ、早く殺そう。
「は? 何もわかってないが?」
「顔怖ぁい……」
さすが、腐っても俳優。怯える素振り、表情は大変お上手で。
怯えた演技をしたまま、部屋を出ていこうとする。部屋に居座られるのも嫌だが、出ていかれるのも腹が立つ。
「どこ行くんだよ」
「トイレ。兄ちゃんと行くか?」
「マジで消えてくれ……」
気持ち悪いことを平然と言える神経。どうせトイレも荒らされる。自分の家なのに落ち着かない。荒らされた部屋を片付ける気にもなれない。
両親も両親だ。どうしてあんなバカを受け入れたんだよ。日頃からリビングで流しっぱなしのテレビは飾りなのか?
あれだけ騒がれ、しかもそれが甥っ子ならわかるだろ。
しかも俺とアイツの仲が悪いことを知りながら家に入れ、あげく俺の部屋を使うことを許しているんだからタチが悪い。
両親にも腹が立ち、文句を言うべく1階へ降りようとすると母親が2階へ上がってきていた。
「守、学くん出て行ったけどいいの?」
「俺には関係ないだろ」
俺の返答に、またそんな事言ってと眉を顰めた。
「でも、洋ちゃんとこ行くってよ?」
「は!?」
あのバカ、嘘つきやがった。
母親の体を押し除けて階段を駆け下り、レディース用サンダルに足を無理やり突っ込んで沖田の家へ走る。
施錠のされていない沖田家へ入り、廊下を滑るように走る。声がするキッチンには沖田と晴太、学が集まっていた。
「うええ!? 山崎学がいる!?」
採ってきた筍の皮を剥いていた晴太は、今にも目が飛び出しそうなほど驚いて腰を抜かした。
「おい守! 洋が知らん男連れ込んでるぞ!
お前これでいいのか!?」
そしてこのバカ。晴太を指差して、どこの馬の骨だと詰め寄る。
「え!? え!? 何、なんで!? なんでいるんだい!? どこかに隠しカメラとかあるのかい!?」
「おい! 赤のカラコンはダサいぞ! 厨二病か?」
「うわ――! 話しかけられた!」
話の噛み合わない2人。状況を把握できない晴太はしきりにカメラを探して、何かのドッキリだと疑った。
「洋も洋だ! 守がいるのに浮気はよくないぞ! 兄ちゃんはガッカリです!」
固まって声が出ない沖田。氷漬けにされたように動かない。持っていた筍は床に砕け落ちた。
「それで言ったら僕が浮気されてると思うんですけど!」
「なんだ!? お前が洋の彼氏か!?」
「一応! ちゅーしたんで! すんごいのを!」
ドヤ顔で何言ってんだコイツ。付き合ってないのに妄想を現実のように語る。
普段から沖田と付き合ったらだの、結婚したらだの妄想を語ってはくるが、まさか初対面の相手にまでするとは。
仙台駅で引き止められた時にされた頬へキスはなぜか膨張して伝わる。
すんごいのって何だよ。え……したのか?
「そうか……なら仕方ない。諦めろ、守。兄ちゃんは弟の味方だ……!」
「弟!? 守と山崎学って兄弟なの!? 何!? 洋!? 知ってた!?」
ウザイのと、落ちついてほしいのと、固まってるのと。一難去ってまた一難どころか厄災だ。
「兄弟じゃなくて、従兄弟な。でもアレだ、守も洋も弟と妹同然! な? おれの弟と妹、可愛いだろ?」
固まる沖田の肩を組む。そして沖田はスイッチを押されたように瞬きをしては動き出し、学から目を逸らした。
「近いんですけど……」
いつになくしおらしく、そっと学から離れる。ダメだこれ。確実に晴太の地雷を踏む。
だから来て欲しくなかったんだ。女たらしが沖田に触れないわけがない。
「そんな照れんなって。洋が兄ちゃんのこと大好きなのは相変わらずだな!」
「大好きじゃないんだけど!」
頬がじゅわっと桃のように赤くなる。それを晴太が見逃すはずがない。
「なんか……洋、照れてない?」
「聞いて驚け! 洋の初恋はおれだぞ!」
「初恋じゃない! ちょっと顔がいいと思ってただけ!」
両手の親指を自分に向けてウザめのウィンク。 沖田は強く否定するが、今回はモゴモゴと唇を噛ませて左肘をさすりながら下を向いている。
この金髪、目と目が合えば誰でも自分に惚れると思ってるのか?
「悪い
晴太がすかさず学に筍を投げてやる。つるんと剥かれた筍は学の金髪に直撃し、銃で撃たれたかのように床に倒れ込んだ。
さすが晴太。熊を撃ち殺して来ただけある。
「イケメンで通ってるのにぃ……!」
そんな戯言、通用すると思うなよ。筍があたって痛むと頭をさする。
「今日の晩御飯、
「それはもう殺害予告だよぉ……」
晴太の赤い目が蛇ならば、それに睨まれた学はカエルだろうか。