「セミうるさ……全部黙りなさいよ……焼き殺すわよ……」
夏休みの終わりを感じさせる8月末、セミの鳴き声はまだまだ続く。祈は汗だくになりながら、セミに苛立っていた。冷静さを欠き、伊東との集合場所である道の駅で買った地ビールを浴びるように飲みまくる。
この道の駅は宮沢賢治の銀河鉄道の夜のモデルともなり、SLが見られる場所で有名な眼鏡橋はすぐ側にある。
駅などに貼られているポスターでよく見る観光名所としての認識は高いだろう。
「祈、飲みすぎじゃね?」
と、学は缶を取り上げようとした。しかし祈は緊張するだのなんだの喚きながらグダを撒く。
神霊庁の職員になるために必要な講義や試験を乗り越え、最後に沖田のサポート役としての適正を見られる。その試験が今回の禁忌らしい。
監査は先輩職員の晴太だが、神霊庁の仕事に誇りを持っている彼の赤い目は忖度しない。
意欲はあっても実力が無ければ入庁させないならば、俺にはハードルが高すぎる。
祈も学もこの試験に落ちれば無職。即ちニート確定なのだ。
だから酒を飲まないとやってられないのはわからなくはないが、やることやってから飲め。
そもそも沖田の治療をする為に同行してるの忘れてないか。
荷物は持って来ているものの、それが使われる事はないかもしれない。この様子だと止めても飲むだろう。勝手にしろ。
「今日の禁忌はよくわかんねぇや。アタシどうなんの?」
沖田は晴太が神霊庁宛に提出する報告書を隈なく読んでいる。他人より沖田の方が真面目だなんて初めてだぞ。
「ネットで調べたがヒットしなかった。行ってみないとわからん」
「小学校で何すんだかねぇ。ニュースじゃ首絞められてるって言ってたけどさ、熊に耳引きちぎられてんだから首絞めぐらいどうって事ないな」
「どうってことあるよ! 死んじゃったらどうするのさ!」
どうせ死なないし、と沖田は晴太に笑って返す。不思議な妖、怪異、昔話が残る岩手県遠野市では、沖田の特異な体質はありえなくもない話になる。
沖田は肝試しに行くような気分で陽が傾くを待っていた。夏は一日が長い。
晴太は道の駅の休憩スペースでひたすら仕事をこなし、その向かい側で俺も作業をする。祈は酒に飲まれて爆睡をかまし、学は神妙な面持ちで電話を見つめたり、本を読んだりしていた。
意外と真面目な所もあるのかと感心してしまうが、中身は俳優の山崎学。あれだって演技かもしれない。騙されるな。
――そして夕方に差し掛かる時。
その辺を散歩して来ると出かけた沖田が、見慣れぬ黒塗りSUVの高級車から降りて来た。
一瞬、まさか裏社会の人間に喧嘩でも売ったのかと疑った。最近は"死なないから"が口癖なので、今ならやりかねない。だってアイツは沖田だもの。
しかし運転席から降りて来たのは、伊東秀喜。暑いっていうのに相変わらず真っ黒なスーツで現れる。表情は憎たらしいほど涼しげだ。
「伊東に拾ってもらった!」
「あんなところに居たら目立ちますからね」
「何処に居たんだよ」
浅葱色の半袖パーカーは自然の中でよく目立つ。道路を歩いていたか、どこかの公園にでも居たのだろう。
しかし伊東は苦笑いで後部座席から新品の釣竿を取り出す。
……なんで釣竿?
「めがね橋の下の川できゅうり垂らしてたんだよ。カッパが釣れたら一攫千金って言ったろ? 伊東に声掛けられた時はマジでカッパ来たかと思ったのにさ」
「拾わなきゃよかったですね。川に戻りましょう」
カッパ扱いされた伊東はこめかみに漫画のような怒筋を浮かべる。見えるわけないのだが、俺には見えた。
沖田は伊東を無視し、酒で酔い潰れた祈のいるテーブルに座って、隣に座る学の食べ物を盗み食いする。学はそれに気づかず、酔った祈を慣れた手付きで介抱していた。
さすが女たらし。
「カッパって怖いんだよ? 泳いでる人の手足掴んで溺れさせたり、案外知られてないけど相撲とって精神異常にさせてきたりとか、女性はカッパの子を妊娠させられたりするんだから。僕は嫌だよ、洋がカッパの子供産むの」
「カッパにも性欲あるのか……」
俺の一言の後に皆がシンとすると、向く方向は同じ。打ち合わせもしていないのに、自然と学を細目で見ていた。
「なんでおれを見んだよ。カッパじゃねぇわ!」
顔を真っ赤にして言い返す。変装のために被っていたキャップとサングラスは傾いた。
「遠野出身、違約金払わなきゃいけないほどのプレイボーイですからね。ぴったりな異名じゃないですか。お振り込み、お待ちしてます」
伊東はくすくすと笑いながら、さらっと金の話をする。学は一度目を点にさせたあと、携帯の画面を急いでスライドさせた。
「……もしかして、コンビニのCMの違約金?」
「えぇ、私の父親の会社なので」
「やだぁ……おれってば、億単位の請求されちゃってるう……」
世間は狭い。伊東の会社は信じられない程デカい。様々な事業の中の1つにコンビニチェーンの運営あり、そのCMのイメージキャラクターとして学が起用されていた。
だから俺はそのコンビニには行かなかったし、こんな奴を起用するなんてセンスのない会社だと思っていたが、まさか伊東の会社だったとは。
人の飲んでいるコーヒーを不味いとぶう垂れるのだから、やはりセンスはない。
「下半身で考え事してるからそうなるんだよ。隣町は野球選手で街ごと盛り上がっているのに、学さんが遠野市から応援されていないのは下半身に原因があるんじゃないですか? 神霊庁に勤務したら、僕は先輩、そして上司として容赦ないですからね! エロガッパさん!」
「晴太くぅん……わるぐちよくないよぉ……」
ボロクソ言われたい放題。晴太だって仕事なんだから真面目なのだ。
それにしても、エロガッパは学の為の悪口だと言い切っていい程よく似合う。
「うっさいわねぇ、頭に響くんだからやめなさ――オボェ!」
眠りから覚めた祈は人を殺めた後のような厳つい顔し、文句を垂れた後すぐに嘔吐した。
祈の隣に座っていた学、そしてその隣にいた沖田にキラキラと小麦色の液体が弧を描きながら降りかかる。
「ア――ッ!!」
沖田と学の悲鳴は道の駅にいるおおよその人間の視線を集めた。アルコールと消化しきれなかった食べ物が胃酸を纏うもんだから、すえた匂いが夏の蒸し暑い夕方を支配する。
勿論、その匂いは暑さに酔って広がっていく。
ヒグラシのカナカナという鳴き声が普段よりも大きく聞こえたのは、きっと山に囲まれているからだろう。と、思いたい。