「あたしはいく子。花子ってだあれ? 呼んだお兄ちゃんと違うよ?」
「ご、ごめんね! いく子ちゃん! 君はどうして此処にいるのかなッ――お父さんやお母さんは?
子供がこんな時間に外に出てちゃダメだぞ……?」
ビビらず、優しく驚かせないように。相手が霊なのか、妖なのか、それとも生身の人間なのかわからない。
僕は穏やかな口調でいく子ちゃんに尋ねたけど、彼女は僕を舐めるように見てから歯を剥き出しにして吠えた。
「いない! あんなの、死んだ!」
「え、ええっと……ならね、僕お母さんかお父さんとお話させてあげられるんだけどね……よかったら話してみるかい? 僕イタコって言う――」
「この人嫌い!」
いく子ちゃんが僕を嫌がる。すると首がぎゅうっと絞まった。息ができない。顔の血が熱くなって、頭が痛い。細い指が首の骨に食い込んでくる。
とても人間の子供とは思えない力で、僕の首を絞める。
「いく子! アタシと遊ぼうぜ!」
洋の焦る声が興味を逸らしてくれると、手はパッと離れた。咳き込む僕から逃げるようにして体育館の中へと入っていく洋は、鬼ごっこだと言っていく子ちゃんの気を引く。
僕も着いていかなきゃと、まだ苦しい首をさすりながら体育館へ入った。いく子ちゃんを鬼にして逃げ惑う洋と戯れる。さっきの形相は嘘のように笑顔だ。
けれど、安堵するのも束の間。僕の気配を感じ取ったのか、再び僕に襲い掛かってきた。
首を絞めてこようとする腕をかわし、逃げ惑う。
そして体育館にある窓の前に追い込まれてしまった。僕は首の苦しさと息苦しさに視界が上手く定まらず、ぐわんぐわん揺れる景色を把握するので精一杯になっていた。
「あっち行って!」
「うあ――!」
「晴太くん!」
洋の声を最後に、触れられていないのに押し倒されたようにして窓ガラスを破る。僕の体はガラスを壊し、校庭へと投げ出された。
はずなのに。
「晴太!?」
「え――」
地面に体が投げ出される時、見えた景色は禁忌の世界ではない現実世界。
距離はあるけど、守の声がした。
体が地面に擦り付けるように倒れた。すごい勢いだ。最初の禁忌でトラックに轢かれた時のような凄さがある。
下になっている右足や右手は絶対に折れてる。
足なんて見なくても曲がってはいけない方向を向いているんだ。
痛みは限界を超えると感じないのかい?
目だけを動かし、自分が出て来た場所を探した。普段は鏡から出て来たのに、体育館の窓ガラスが割れているんだ。
「晴太、大丈夫か!?」
「僕、体育館の窓ガラスから出て来たのかい……?」
守や皆が駆け寄って来てくれた。割れた窓ガラスを見つめて唖然とする。
あんな小さな女の子に投げ飛ばされて、僕は元太に戻されたっていうの?
経験した事のない、初めての怪奇現象に言葉がつまる。
そして再び、警告音のようなけたたましい黒電話の着信が遠野の夜空に響いた。
学さんは息を呑んで受話器を取り、静かな声でもしもしと呼び掛けた。
相手は誰なのか。きっといく子ちゃんだ。電話のお兄ちゃんと何度も言っていたから、学さんを呼んでいるに違いない。
「あぁ、遊びに行くぜ――だから迎えに来てくれよ!」
学さんの表情は不安でいっぱいそうだ。勢いで行くしかないと腹を括り、僕が投げ出された窓ガラスへと受話機を耳に当てたまま走る。
「学! 気をつけなさいよ! 晴太だってこんなんなってるんだから――」
祈が僕の手当をしながら学さんへ声を掛ける。
「大丈夫だ! この顔で解決して来てやんよ!」
解答になっていないお返事に皆やれやれと小さくため息をついた。
僕は骨の折れた痛みに悶えながら、この怪奇現象の解決策を模索する。
洋は良くて僕はダメな理由って何だろう。いく子ちゃんは洋を見て、ずっと遊べる……って言ってなかった? ずっと、遊べる? それっていつまでで、どこで遊ぶつもりなんだい?
「もしかして……」
想像した事は起こり得ない事を願いながら、祈と守の手を借りて鏡の前と連れて行ってもらう。
手足に走る激痛に耐えられるのは、きっと嫌な予感の方が恐ろしいからだ。
「こんな体じゃ戻ったって何も出来ないぞ!」
「そうよ! 晴太は大人しく病院に行きなさいって!」
2人の心配もわかる。僕は言葉を発さず、鏡に触れてみた。いつもなら面に溶けるように入り込める。
「入れ……ない!」
鏡は鏡のまま。ひんやり冷たい感覚が指先を伝う。
次は窓ガラスの方へと運んでもらい、割れたガラスに触れる。きっとここが入り口なんだ。
心臓が嫌な高鳴り方する。
割れたガラスに指先が触れれば血が出る。目視では粉々に割れているガラス。空間には何もないはずだ。しかし、ガラスが僕の侵入を拒むかのように冷たくつっぱねる。
学さんが入っていたばかりなのに何故? 守の携帯が鳴った。非通知の表示に顔を顰めけれど、苛立ちながら往々にする。
「もしもし――なっ、お前ッ」
守の苛立つ顔から察するに、学さんだ。僕はスピーカーにしてと頼むと、学さんの焦る声が音割れする程大きく響く。
『おいガラスから出られねぇ! しかも――』
そして間も無く、バリンと破裂させるような音に皆一斉に振り向く。
『同じ建物じゃねぇ!』
その音は学さんの言葉とほぼ同時だった。
そこは僕らからはかなり距離のある場所で、他の誰かが故意に破らない事には難しい割れ方に見えた。
まるで見えない何かが、内側から割っているように。
怪奇現象や心霊現象という言葉では片づけ難い、呪いがこの学校にはあるのかもしれない。