1973年 6月頃
東京中の不良を震撼させた「チョーコーvsサカン 新宿決戦」から二カ月が過ぎた。
世間は国士館バッシングの波が押し寄せ、サカン達は、昔の様な大っぴらな朝鮮人狩りが行えなくなっていた。
それでも、都内各地で小競り合い含め、チョーコーとサカンによるぶつかり合いは頻発していた。
横浜駅西口 改札前
今日も、神奈川チョーコー生による、日本人不良狩りが横浜駅西口改札前で行われていた。
そんな時・・・・・・。
「お前らどうした!?」
神奈川チョーチュー生2名が、それぞれ鼻と口から血を流しながら、横浜駅西口改札に現れた。
驚いた神奈川チョーコー生3人組が2人に駆け寄る。
鼻血や口を切った血がシャツに飛んだのか、制服の白いシャツは血が所々ついて一部真っ赤になっていた。
「サカンの奴らが急に現れて・・・・・・」
「なに!?サカンの奴らだと!?」
この日から、サカン高校生たちによる、神奈川チョーチュー生への電車・ホームなどでの無差別攻撃が始まった。
サカンたちは、新宿・高田馬場決戦での敗北からチョーコーに対する敗北感・劣等感が植え付けられ、都内のチョーコー生たちに対し、前の様な過激な攻撃ができなくなっていた。
そこでサカンたちが思いついたのが、日ごろから日本人不良狩りを集団で行っている神奈川チョーチュー生たちへの襲撃である。
東急東横線など沿線の各駅にランダムでサカンの集団が待機し、神奈川チョーチュー生を見つけたら、見境なく襲撃していった。
もちろん、これに激怒した神奈川チョーコー生は、サカンが現れそうな駅にチョーコー生を分散配置。
サカンを見つけ次第、反撃しようとするが、サカンは神奈川チョーコー生をみるや否や即逃亡。
完全にサカンたちによる対神奈川チョーチューゲリラ戦が展開されていった。