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2.Sirius(シリウス)

 ピクリとも動かない女子高生の顔を、慌てて覗き込む。見たこともない青白い顔色、身に覚えのない頬にある擦り傷。それでも正真正銘、理莉本人に間違いなかった。


「……うそぉ!もしかして、私ってばっ、死んじゃったのぉおーーっ⁉︎」


 そして、すぐに心得る。――なるほど、今の自分は魂とか幽霊とかいうものに違いない。


 辺りを見渡すと、ガードレールに大型トラックが突き刺さっていた。

 悲鳴を上げる人、スマホをこちらに向ける人、救急車を呼ぶ人……。それなのに、その中の誰一人として自分と視線が合わない。

 駆け寄ってくる人々が、何の抵抗もなくスイスイと、自分をすり抜けていく事に愕然としながら、やはり、そういう事なのだろうと、妙に納得する。


「…死んじゃったぁ……」


 そのまま言葉を失い、鈍色にびいろの空を仰ぎ見た。

 だって、自分の死体なんか直視できない。


 これからどうなるのだろう。クリスマス・イブだけに、天使でも迎えに来てくれるのだろうか。それなら、ちょっとお目にかかってみたい気もする。

 ほんの少しの期待を込めて、それでも、まだ現実を受け止めきれない心は、祈るように降り続ける雪をただ見つめ続けた。…こと、数秒。


 ――ハッ……!

「いやいや、ダメじゃん!死んじゃ、だめデショ!」


 天使が舞い降りてくる気配は、とりあえず、まだ、ないっ!

 見知らぬ通りがかりの人も、必死に助けようと救助を頑張ってくれている。

 今のうちに、体の中に戻りさえすれば、何とかなるんじゃないかと思いつき、理莉はガバリと、自分の体に抱き着いた。ところが……。


 ぐいんっ!

「きゃあ⁉︎」


 体に触れる直前で跳ね返される。

 勢いよく道路にひっくり返る。

 磁石の同局同士が反発するように、体の中に戻れるどころか、触れることすら叶わない。


「な、なんでぇ⁈」


 理由など分かるはずがなかった。しかも、あせれば焦るほど、他にいい方法も浮かんでこない。

 とにかく、今度こそははじかれまいと、理莉は必死に、自分で自分を抱きしめ続けた。

 けれども、体と魂の間にある薄い斥力せきりょくの隙間を、どうしても押しつぶす事ができない。


 ――どれくらい、たったんだろう……


 ギュゥっと固く閉じていた目を薄く開ければ、降り止む気配のない雪がかそけし自分を通り抜け、意識のない体に薄く降り積もっていた。

 上に、上に…音もたてずにしんしんと、心の中に降り積もる、――絶望感のように……

 それを振り払う術が、理莉にはもう、到底わからなくなっていた。

 近づいてきた救急車のサイレン音。

 その響きに諭されたように、理莉はとうとう腕を緩めると、観念したかのように、ゆっくりと体を起こした。


「……はっ、あははは…は、(どおしよう…全然ダメだぁ……)」


 笑っているはずなのに、ハラハラと涙がこぼれた。手の震えが止まらない。

 寒さのせいではない。そんなものは、もうとっくに感じなくなっている。すでに今、頬を伝う涙の感覚さえ、はっきりしない。


 自分が存在するための大切な何か。

 それらが一つひとつ失われていくような感覚。その恐怖に、震え、吞み込まれそうになった時だった。


『泣くなっ!バカッ‼︎』


 そう、叱咤する声が聞こえた気がして、理莉は慌てて前を見た。

 涙で滲む視界に、未だ横たわる自分の肉体が映る。


 ――あれ…なに?


 うっすらと白雪積もる胸元に、何かがキラキラ輝いていた。

 雪かとも思ったが、どうも違う。その“何か”は、光の粒を集めながら、ひときわ銀色に輝きはじめる。

 くるくると渦巻きながら、雪合戦の雪球…というよりは雪うさぎ、そして、雪だるまの大きさにまで成長すると、どういう訳か理莉と目が合った。

 金色のボタンのような感情のない瞳が、白銀のウールバッツに付いている。

 そして、その空っぽの金瞳を理莉に固定したまま、ふわりふわり浮かび上がり、南の空に止まったのだ。

 まるで星座のよう。

 燦然さんぜんと輝くゲシュタルト。

 小学校の図書室で読んだ、“冬の星座”に出てくる『おおいぬ座』のイラストを思い出す。鼻先に光る一等星の名はなんだったか――。


「シリウス……?」


 理莉が呟くと、それに答えるように、あっという間に形を変えた。今度は白銀に輝く被毛を纏った巨大な子犬が現れ、空虚だった金色の瞳に意思の光が灯る。


「シリウス!いいね。ぼく、シリウス!」


 嬉しそうに、ひときわ響く遠吠えをすると、全速力で雪空を駆け回り始める。

 尻尾で雪を舞い上げては、クルクルと追いかけ、飛び回り、そして、いきなり急降下し始めたと思ったら、その勢いのまま、理莉の胸に飛び込んで来たのだ。


 ――ドォンッ!

「おふっう!」

「理莉ちゃん!スキすき!好き!超ぉ〜大好き‼︎」

「⁉︎……、ちょ、ちょっと、待っ……」


 頭をグリグリと押し付けて、撫でて、構ってと、圧がすごい。子犬とはいえ大型犬ぐらいの大きさなのだ。簡単に後ろに押し倒され、のしかかられる。

 湿った鼻を近づけ、クンクンと匂いを嗅ぎ、顔を舐める。首元で揺れるふわふわの毛……。

 そのあまりのかわいらしさに、理莉は思わず両手を広げ、大きな毛玉を抱きしめた。

 抱きしめることが、できたのだ。


 ――ギュゥううう……(暖かい……)


 その事実に、あやふやだった自分の輪郭がはっきりしていくような気がした。不思議と恐怖が和らいでいく。それなのに。


「ねぇ、理莉ちゃん。早く体の中に戻らないと死んじゃうよ?」

「……ん〜?(かわいい)」

「あのね、早く失くした記憶を思い出さないと、体の中に戻れなくなっちゃうと思うんだよ」

「んんっ?……え?な、なに?何のコト?」


 ホッとしたのも束の間。

 このキラキラと輝く銀色の子犬は、不思議そうに首を傾げ、理莉が想像すらしていなかったことを言ったのだ。


「理莉ちゃんはね、記憶喪失になっちゃったんだよ?わかってる?」

「え…?……ぇええええ〜〜ーっっ‼︎」



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