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#2

 まるで帰って来るのを待っているかのような兄の部屋。

 そこを小さく開いた扉の隙間から見つめる愛里は複雑な表情をしていた。

 そのタイミングで玄関の扉が開く音が聞こえる。


「ただいま」


 両親が帰宅したようだ。

 何やら重苦しい空気を感じる。


「……おかえり」


 玄関に顔を出し両親に挨拶をする愛里。

 彼らが行っていた場所は見当が付く。


「お兄ちゃんどうだった……?」


 俯いている両親に兄の事を問う。

 すると両親は気まずそうに答えた。


「あぁ、あんま調子は良くないな……」


「今日も癇癪起こしちゃってね……」


 一体兄は今どこにいるのだろうか。

 何とか暗い雰囲気を変えようと愛里はある話題を出す。


「ねぇ、来週学園祭あるんだけど来る?」


 しかし両親は一切表情を変えないまま申し訳なさそうに答えた。


「ごめんな、仕事があるんだ」


「私は勇気の事とかあるし……」


 勇気とは兄の名前だろう。

 両親は学園祭には来てくれないようだ。


「そう、分かったよ……」


 そのまま愛里は悲しそうに静かに自室へ戻った。

 その際に通りかかった兄の部屋を見て愛里は物思いにふける。


「(全部私のせいだから……)」


 そう考え愛里は自らの罪、つまり過去を振り返るのだった。


 ___________________________________________


 愛里は物心ついた頃から両親と少し距離を感じていた。

 その理由は兄である勇気の存在だ。


「あぁ〜〜っ!!」


 兄は重度の自閉症を患っておりよく癇癪を起こしていた。

 その度に両親は兄につきっきりとなる。


「大丈夫、大丈夫だからね……っ!」


 妹であり歳下の自分の方が可愛がられるべき存在のはず、だと言うのに両親が構うのは歳上の兄ばかり。


 ある時、愛里は幼稚園で両親の絵を描いた。

 先生にも褒めてもらえたためきっと喜んでもらえると思いその絵を持ち帰り両親に見せようとしたのだ。


「ねぇぱぱまま!」


 自慢げに絵を持ってきた愛里。

 その時は両親はまだ興味を持ってくれていた。


「お、俺たちの絵を描いてくれたのか?」


「上手じゃない〜」


 珍しく兄より自分を見てくれている両親に嬉しさが溢れていた。

 しかし最悪にもこのタイミングで兄が癇癪を起こしたのだ。


「うぅ〜〜っ、あぁっ!!」


 兄の叫び声が聞こえた瞬間、両親の表情は豹変した。


「勇気⁈」


「どうしたの⁈」


 手に持っていた愛里の絵を投げ捨てて兄の所へ駆け寄って行く。

 この出来事により両親にとって自分の優先度が低いという事を思い知らされた。


「うぅぅがぁぁっ!!」


 家の中で暴れる兄。

 気がつくと両親に投げ捨てられた愛里の絵を思い切り踏みつけていた。


「ぁ……」


 ぐしゃぐしゃになる愛里の描いた両親の笑顔。

 そんな事が起こっても両親は気にせず兄の介抱ばかりしている。


「(ぱぱとままはあいりがきらい……)」


 この事がきっかけで愛里は両親が自分を嫌っていると思い代わりに好かれている兄を憎むようになるのだった。


「くぅ〜ん……」


「ロン……」


 寄り添ってくれるのは愛犬のロンだけ。

 自分と年の近いロンは唯一心許せる家族だったのだ。


 そして愛里は小学校へ上がったが両親との関係は良くならなかった、何も変わっていないのだ。

 そんなある時、癇癪を抑えるためか両親が兄にたくさんのおもちゃを買ってあげているのを見つけた。

 自分には殆ど何もないと言うのに。


「(お兄ちゃんばっかずるい……!!)」


 愛里は遂にストレスを爆発させてしまった。

 小学校四年生にして絶望を覚えたのである。


「(どうしたらもっと構ってもらえるだろう?)」


 ある日、愛里は大きくなったロンの散歩を終え帰宅。

 そんな時、兄が見ていたテレビ画面が目に入る。

 それはヒーロー番組だった。

 丁度流れているのは火事になった家に取り残された娘をヒーローが助けるというシーン。


『まだ中に娘が!』


 泣き叫びながら心配する母親の様子。

 そして見事にヒーローによって救い出されると娘の無事を泣きながら喜ぶ両親の姿が映された。


『よかった無事でぇ〜っ!!』


 そのシーンを見た時、愛里は"これだ"と思ってしまった。

 両親の目を自分に惹かせる方法、もうこれしか浮かばないほどに追い詰められていたのだ。


 ___________________________________________


 その日、すぐに愛里は準備に取り掛かった。

 両親には外から心配してもらうため外出している隙を狙ったのだ。

 幸い家に愛里の大切なものは残っていない。

 唯一の友達である愛犬のロンは予め近くの公園のベンチにリードを繋げて巻き込まれないようにした。


「ロン、大丈夫だからね。すぐ終わるから」


 そう言って自宅に戻る愛里の背中に向かってロンは吠え続ける。


「ワン!ワン!!」


 その鳴き声はまるで心配しているようだった。

 これから愛里が何をしようとしているのか見透かしていたのだろうか。


 そして家に戻りマッチを手に取る。

 リビングにはまだテレビを見ている兄がいたため何とか外に出てもらおうとした。


「お兄ちゃん、危ないから出てて」


「やだ!まだ見る!」


 しかし兄はテレビの前から離れない。


「〜〜っ、もう知らないっ!」


 日頃から兄へのストレスを溜め込んでいた愛里は彼を無視して計画を実行する事にした。


「……っ」


 兄の部屋の中央に立ちたくさんのおもちゃに囲まれながら覚悟を決める。

 そしてとうとうマッチに火を点けカーペットに向かって放った。


 轟々と燃え上がる炎。

 愛里は身の安全のため火元から少し離れた自室のクローゼットに隠れた。


 すぐに鳴り響く火災報知器の音。

 段々と焦げ臭さと熱が同時に伝わって来る。


「(よし、後は助けてもらえば……!)」


 そこから暫く待つ事にした愛里。

 かなり火は燃え上がったようでかなり息が苦しい、ハンカチを持ってきていて良かった。

 消防車のサイレンが聞こえてもうそろそろだと悟る。


「(熱くて苦しいけど我慢できるもん……っ!)」


 そう思いながら苦しみに耐え咳き込んでいるとクローゼットの扉が勢いよく開けられた。

 そこに立っていたのは意外にも消防隊員ではなく自分と同い年くらいの少女だった。


「ほら、立てる⁈」


 その少女は勇敢にも愛里の手を取り立ち上がらせる。

 その握られた手は炎の熱さより遥かに温かかった。

 そして無事に外へ出ると消防隊員が少女に注意を促す。


「たまたま無事だったから良かったけど一人で突っ込んじゃダメだろ!」


「でも子供がいるって心配してたから……っ」


 その少女の言葉を聞いて愛里は自分が両親から心配されていたのだと喜ぶ。

 そして辺りを見渡してその両親の姿を探した。


「パパママ、どこ?」


 するとある光景が目に入る。

 救急隊員が必死に誰かを蘇生していた。

 その周囲に両親らしき姿が見える。


「え、何をそんなに見てるの……?」


 煤だらけで助かった娘がいるというのに何をそんなに見ているのだろうか。

 娘より大事なものがあるというのか。


「しっかり!」


「目を開けて!!」


 遂にその姿が見える。

 両親が注目していたもの、それは大火傷を負った兄である勇気の姿だった。

 意識を失っているようで救急隊員が必死に蘇生している。


「そんな……」


 まず兄を巻き込んでしまった事。

 そしてこの期に及んで両親は自分より兄に注目しているのだという事。

 それがあまりにもショックだった。



「うわぁぁぁぁぁぁーーーーっ!!!!」



 孤独な叫びが鎮火される家の周囲に響き渡った。


 ___________________________________________


 その直後に愛里はロンを置いてきた公園に一人でやって来た。


「くぅ〜ん……」


 ロンはお利口に待っており愛里の無事を喜んでいるようだ。

 リードを解放し駆け寄って来るロンの頭を撫でる。


「よしよし……」


 するとだんだん涙が溢れてきた。

 気が付くと抑えられないほどに流れている。


「何で誰も見てくれないのぉ?私はパパもママも大好きなのに……っ」


 ロンを強く抱きしめながら泣き叫んでいると先程愛里を助けてくれた少女がそこに現れる。


「ねぇ、三組の愛里ちゃんでしょ?」


 自分を知っている、つまり同じ学校だという事だろうか。


「私一組の英美。大丈夫……?」


 心配するように寄り添ってくれる英美。

 しかし愛里にはまだその有り難みが理解できなかった。


「パパもママも私を見てくれないの、火事になったら心配してくれると思ったのにまたお兄ちゃんばっかり……っ!!」


 その言葉を聞いて英美は事情を察した。


「っ……!!」


 そしてただ優しく愛里を抱きしめる。

 震える小さな体を撫で続けていると少しずつ落ち着いていくのが分かった。


「大丈夫、私は見てるよ君の事」


「くぅ〜ん」


 英美とロンは優しく愛里に寄り添ってくれた。

 その日、愛里は英美という親友が出来た。


 ___________________________________________


 その後、兄は何とか目を覚ましたが火事がショックで精神崩壊を起こしてしまった。

 そのまま火傷の治療を終えた後、精神病院へ入院する事となってしまう。

 その事により家族はより一層暗くなり愛里は余計に孤独を感じていた。


 しかし英美という親友が出来て学校での生活は一変。

 愛里は家から出ている間は楽しい時間を過ごせていた。


「はぁ、帰りたくないな」


「両親は今日もお兄さんの面会行ってるの?」


「うん、ずっとつきっきり」


 もう全てを諦めたような愛里の表情。

 作り笑いを見せてはいるが目の奥に輝きはなかった。


「はぁ、こんな時でも自分の事ばっか考えちゃうな……」


「どういう事?」


「火傷したお兄ちゃん見た時ね、"またそっちばっか構われちゃう"って思ったの。心配するより真っ先にね……」


 あの時の自分の気持ちを語り出す愛里。

 その声は震えていた。


「そんな風に考えちゃう自分が怖くなった、私のせいで火傷させたのにこんな事ばっか考えちゃって……自分がもう嫌だよぉっ」


 とうとう泣き出してしまう愛里。

 あの時、いやそれ以前から心がかなり不安定になっていた。


「愛里……」


 そんな愛里の震える背中を優しく摩る英美。

 そしてこんな言葉を伝えた。


「じゃあさ、私と同じ事しよう」


「え……?」


「人を傷つけた事で苦しんでるならその分人を救えば良い、そうすれば罪悪感からも救われるよ」


 明るい屈託のない笑顔で言う英美だが愛里はどうすれば良いのか分からなかった。


「でも誰をどうやって救うの?全然わかんない……」


 すると英美は少し考えるような素振りを見せる。


「うーん、何から始められるかな?」


 そしてある事を閃いた。


「そうだ、お兄さんと同じ境遇の人を救うんだよ!」


「何で……?」


「罪を償いたいなら傷付けた人の事を理解しなきゃ。だから同じような人を見つけて救うんだよ」


「うーん……」


 そう言われるが正直兄が何に苦しんでいるのかなどよくわからない。

 愛里によって怪我をさせられた事以外に何かあるのだろうか。


「ほら、だから理解する所から始めるんだよ。そしたら自分に出来る事が分かるよ」


 そう言うと英美はポケットから何かを取り出し愛里に手渡す。

 それは彼女が身につけている水晶のネックレスと同じものだった。


「これ何なの……?」


「ヒーローの証」


 そのグレイスフィアを受け取り愛里は少し考えた。

 そして次の日から英美に言われた事を実践してみる事にしたのだ。


「あ……」


 翌日学校で見つけたのは兄と似たような自閉症を持った子供が虐められている姿。

 英美に言われた事を思い出し勇気を出して彼に歩み寄ろうとする。


「……大丈夫?」


 手を差し伸べた愛里を自閉症の少年は不思議そうに見つめている。

 そして彼は愛里の手を取りここから罪滅ぼしが始まったのだ。


 ___________________________________________


 そして現在、愛里は高校生になり快を見つけた。


「(一目で分かったよ、快くんもお兄ちゃんと同じだって……)」


 愛里が快と関わる理由、それはかつて傷付けた兄への罪滅ぼしだったのだ。

 それが交際する関係にまで発展してしまい少し複雑な気持ちを抱いてしまっているのだ。


「うぅ……っ」


 歯を食いしばり快との関係をどうして行けば良いか深く悩む。

 だがそこで脳裏に浮かぶのは死んだ親友の英美。


「英美ちゃん、私このままで良いのかな……?」


 首から掛けたグレイスフィアを握りながら愛里は英美に向かって語りかける。

 しかし当然ながら返事が来る事はなかった。


 今日も快を救うために話を聞こうとした、しかし彼は悩みを話すのを拒否したのだ。

 つまり自分は彼を救う事が出来ない、罪滅ぼしが出来ずに存在している価値がないと思えてしまうのだ。


「(こんな時でも自分の気持ちを優先しちゃうなんて、失格だよ……)」


 快の悩みを心から心配するより自分の罪滅ぼしを優先して考えてしまう事に嫌気が刺している。

 とにかく今の愛里の精神状態は普通ではなかった。


「私どうすれば良いの……?」


 しかし誰も応えてはくれない。

 小さな呟きが虚空に響くだけだった。






 つづく

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