一人暮らしのための引越し作業を終えた快は早速買い物のために外を歩いていた。
天気は曇り、幸先はあまり良くないように思えた。
「……ん?」
すると視線の先に何か見覚えのある存在が。
野良犬のようだが首輪をしているため人に飼われている犬だという事が分かる。
「与方さんの犬……?」
間違いなくそれは愛里の家で飼われているシベリアンハスキーのロンだった。
何故こんな所にいるのだろうか、愛里と散歩中に逃げ出したのだろうか。
「おいで、家に帰ろう」
逃げたのだとしたら帰してやらなけらばならないと判断しこちらに来るように手招きする。
するとあり得ない事が起こった。
『愛里の心が危ない、精神が崩壊を始めている』
なんとロンの方から脳に直接声が聞こえて来たのだ。
快は戸惑ってしまう。
「え、何で声が……」
まさかロンから聞こえているとは思わなかった。
しかしこちらをジッと見つめて来る目には強い意思を感じていた。
「与方さんがどうしたって……?」
その声に質問を返してみる。
すると返事が来た。
『愛里の心を救うんだ、私にはもう出来ない』
そう快に伝えたロン。
丁度そのタイミングで彼の背後、街中に巨大な影が現れた。
「……っ⁈」
それはまるで巨大な犬のような姿をしていた。
罪獣なのだろうか、しかしあの体躯で動いていると言うのに周囲に全く被害はない。
むしろ建物などを擦り抜けて触れる事は出来ないようだ。
『…………』
巨大な犬のような罪獣は何も攻撃をする事なくただ歩いている。
更には被害がないだけでなく周囲の誰も反応を見せない。
「まさか見えてないのか……?」
戸惑う快にロンは更に伝える。
『さぁ創 快、ゼノメサイアに選ばれた君の真価を見せてくれ。アレが絶望をばら撒く前に』
まだ完全に状況を理解できないまま快はロンと見つめ合うのだった。
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『XenoMessiaN-ゼノメサイアN-』
第18界 キエナイ
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そのままの足で快はロンに誘われ近くの公園に来ていた。
誰もいないベンチに腰掛けロンの話を聞く。
しかし視界の隅にあの巨大な犬のような罪獣がいるため気が気でなかった。
『この公園、昔家が火事になった時に愛里に寄り添った場所だ』
その話を聞いて快はやはりロンの声が聞こえているのだと改めて実感する。
それまではまだ信じがたかったのだ。
「火事になったって確かに言ってたな……」
初めて会った時に愛里は以前火事を経験していると言っていた。
その時に英美が助けてくれたのだという事も。
「英美さんが助けてくれたんだっけ……?」
『あぁ、彼女は愛里のヒーローだった』
そう言うロンだったが空を見上げて残念そうに言葉を繋げる。
英美が死んでしまった事を無念に思っているのだろう。
『本来ならば彼女が愛里のヒーローで在り続けるはずだった、それが君に頼る羽目になるとは……』
「どういう事……?」
そこでロンは快の目をジッと見てキッパリと言い放った。
『正直私は君をヒーローだと認めてはいない。君の存在が愛里を余計に苦しめているからだ』
いつもロンは会う度に快には懐かなかった。
それも愛里を苦しめていると思っていたからなのだろうか。
『愛里は君に無理に歩み寄ろうとし必要以上の苦しみを味わっている』
思い返す快。
言われてみれば快が引き金となり苦しめてしまった事が多くあった気がする。
『英美ならこんな事はなかった、何かある度に彼女は愛里を救っていただろう』
「う……」
『対して君は傷つけてばかり。少し救いを与えられたとて帳消しには出来ていない』
その言葉を聞いた快はロンに聞いてみる。
「英美さんはそれだけデカいものを与えてたのか……」
『あぁ、家族が与えてくれなかった愛を初めて感じさせてくれたのだ』
「え、家族って……?」
初めてこの話題が出た気がする。
彼女の家族についての話は全くと言っていいほど知らない。
『それも知らない君に愛里は救えない。だが私から勝手に話していいような内容ではない』
「じゃあどうすればいいんだ……⁈」
『愛里から直に聞くのだ、向こうから話すとなればそれは信頼の証だろうからな』
そのタイミングで巨大な犬のような罪獣が目の前を通り過ぎる。
それまで全く音も気配もなかったため快は驚いた。
『オォォォ……』
その罪獣に関して快はロンとの関連性を感じた。
ロンに直接聞いてみる。
「この罪獣、何か関係あるの……?」
するとロンはこの話題についてはあっさり答えてくれた。
『第拾壱ノ罪獣グレシアラボラス……私の心が生み出した存在らしい』
その話を聞いて快は驚く。
「何で君の心が罪獣を……?」
するとロンは悔しそうに答えたのだった。
『本当は私が愛里を救いたかった。しかし私の体は病に侵されまともに動けない、だからあのような罪獣として想いが具現化したのだと推察する』
「じゃあ今話してる君は?」
『ヤツと同じ実態のない思念体だ。体は愛里の自宅で弱っている』
その話を聞いて快は考えた。
「俺に出来る事は?ゼノメサイアとして何か……」
しかしゼノメサイアという言葉を出した途端、ロンは快に怒った。
『安易にその名を口にするな!……君はその力に頼りきりな所がある』
「だってようやく見つけた俺に出来る事だし、選ばれたのにも理由があるはずだから……!」
ロンは溜息を吐くような素振りを見せて更に言った。
『そうやって君は自分の存在意義を保つためだけにヒーローになろうとするのだな』
「え……?」
『まだ君には無理だ、愛里の心の平穏の為にもお願いする』
するとロンは衝撃的な事を快に願ったのだった。
『愛里と別れてくれ。そして金輪際近づくな』
まさかの提案に快は言葉を失ってしまう。
その様子を見てロンは呆れた。
『その迷いが彼女のヒーローでは無い証拠だ』
そう言い残しロンの思念体は快の前から姿を消した。
呆気に取られ立ち尽くしてしまう快。
「何で……」
しばらくその場から動けずただ一点を、罪獣グレシアラボラスの方を見つめていたのだった。
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一方で快たちの暮らす街では異変が起こっていた。
一般人には見えないグレシアラボラスが通り過ぎた土地にいた人々が突如として苦しみ始めたのである。
『オォォォン……』
建物や人々をすり抜けただ歩いているだけの神秘的な犬のような罪獣グレシアラボラス。
だがその本質は人々の心に苦しみを拡散するような存在だった。
「はぁ、はぁ……」
「なにこれ、苦しい……」
動機が速くなり過呼吸など精神的な疾患に襲われる人々。
視界も目眩のせいで歪み、気絶する者も現れた。
しかし誰もその者の心配はしない、出来ないのだ。
少しでも気を抜くと自分も気絶してしまうほど苦しいからである。
「消えたい……」
遂には建物の屋上に上りフェンスに手をかける者も。
風呂場で剃刀を手首に当てている者もいる。
「ダメ、抑えられない……」
決してそこから一歩踏み出してはいけないと頭では理解していても心が苦しい。
まだ死にたくないというのに今の苦しみから逃れる唯一の方法として自死を衝動的に選ぼうとしてしまっている。
「っ……!!」
そしてそのまま彼らは一歩踏み出してしまった。
「きゃああああぁぁぁぁっ!!!」
辺りでは悲鳴と血の海が広がる。
人々の絶望や苦しみが更に広がっていた。
その様子を眺める影が二つ。
「これが愛里の苦しみ……」
それはいつものように罪獣のアプリをスマホで開いた咲希だった。
隣にはロンの思念体もいる。
『本当にこれが私の望みだったのか……?』
ロンは目の前の光景を見てショックを受けていた。
「アンタが望んだからグレシアラボラスは共鳴してアンタの心を具現化させたのよ」
冷酷にも真実を伝える咲希。
しかしロンは否定した。
『私は愛里が苦しんでいると伝えたかっただけだ、ここまでしろだなんて……!』
それがロンの本心だった。
しかしグレシアラボラスはもう動き出してしまった。
『オォォォ……』
決して止まる事なく苦しみを拡散し歩み続けるグレシアラボラスが街の中を漂っていた。
つづく