レントレントのあるネストまで戻ってきた俺たちは、螺旋階段を昇りクレピスの待つ小部屋へ向かう。
ようやく階段を昇りきろうとしたところで、違和感に気づく。
『……おい、ここには扉があったよな?』
小部屋の入口の部分の木は、鍵のかかる扉になっていた。
……はずなのだが、そこにはぽっかりと大きな穴が口を開けていた。
よく見るとそれは扉の真ん中から開けられた穴のようで、扉が開け放たれているわけではなく、何者かが木を穿ち部屋に入ったように見える。
「クレピスッ!!」
状況を察したシオンが一目散に部屋に入る。
だが、そこには誰もいなかった。
部屋の壁や床には無骨な傷跡があり、それをあの幼いクレピスがつけたとは思えなかった。
「そんな……!」
がくりと項垂れるシオン。
ただしかし、ひとつ気にかかることはある。
『……シオン。落ち込んでる暇は無さそうだ』
「な、何言ってるんですか! クレピスが……!」
『そうだ。クレピスが危ない』
「この部屋を見てくださいよ! クレピスは……殺されてしまったんだ……!」
床を叩きながらシオンが声にならない叫びを上げる。
『いいや、よく見ろ。この部屋の中、傷はついているが、血はついていない。おそらくクレピスは何者かに拉致されたんだ』
「なんでそんなことを……普通はその場で……」
「さっきも言った通り、理性のあるような魔法生物じゃないとこの階段を昇りきって扉を開けるなんてことはできません……意図的に何者かが拉致した可能性は高いかもしれません」
「じゃあどこにっ! クレピスはどこにいったんですか!」
『それは……』
正直手がかりはない。だがこいつの剣幕に押されてそれを明言するのははばかられた……。
「ご主人様、オレなら」
フィーナが俺の方を見る。
『……そうか! わかるんだな? そのニオイを辿れば』
「任せてください! 絶対見つけますから!」
そう言ってフィーナは獣の姿に変化する。
「うわっ! フィーナさんって……!」
『感謝しろよ〜エキスパートだぞ』
「行きましょう!」
すぐさまその場をかけ出すフィーナを追って俺たちはその場を後にした。
……階段は走っちゃダメだよ。
そのままフィーナを先頭に、いくつものネストを駆け抜ける。
目に入る魔法生物やものなんかはとりあえずスルーして進む。
幸いにもつっかかってくるような凶暴な魔法生物はいないようで、比較的スムーズに通り抜けることができた。
「……このあたりです」
そしてついにフィーナが立ち止まる。
再び人の姿に戻り周囲の様子を伺う。
「こ、この方が高い場所が見やすいんですっ」
……まぁどっちでもいいけど。
『それで……一体クレピスはどこに……』
「にいちゃあああぁぁあん!」
俺が言い終わらないうちに頭上から声が聞こえた。
「クレピスッ!」
反射的にシオンが上を見上げて声を上げる。
そしてその瞬間、その顔を戦慄させる。
「なん……で」
クレピスは、案の定魔法生物に捕まっていた。
しかしクレピスをシッポに巻き付けてその木の上にいたのは……。
「お前はさっき死んだはず……!」
そう、先程俺が殺した巨大な齧歯類の化け物だった。
「……あいつはネズゥ……貪欲にして凶暴な魔法生物です。他者の縄張りを荒らしまわる侵略的な性質を持つことに加え、特筆すべきはその狡猾さ。高い知性を持ち獲物を追い詰めます。その習性は個よりも集団において発揮されるため、ネズゥの周囲には仲間がいると見てまず間違いないです」
『……ってことは、いたんだな! あそこに!』
「……おそらくは」
「よくもにいちゃんを殺したな」
ネズゥが甲高い声でこちらに声をかけてくる。
「にいちゃん……?」
「お前たち、許さないぞ」
そう言うとネズゥはシッポで捕らえていたクレピスを手元に引き寄せる。
「な、なにを!?」
「に──」
クレピスが手を伸ばし叫ぼうとした瞬間、その言葉は最も残酷な方法で遮られた。
「あ……あああぁぁぁああぁぁああぁあ!!!」
慟哭。目の前で起きたあまりに悲惨な光景に、理性の糸がぷつりと切れたかのようにシオンは叫び声を上げる。
「ふ、ふひ……」
鮮血に染まった口許を醜く歪めながらネズゥは笑う。
「なんてこと……!」
目の前にぐしゃりと音を立てて落ちてきたものが、ありありと現実感を突きつける。
既視感のある絶望に目を覆いたくなるが、今の俺は目を背けるわけにいかない。
『クレピスを……』
俺は未だにクレピスの胴体を弄ぶネズゥを睨みつける。
「なんだよ……にいちゃんを殺したのは……お前だろッ!」
ネズゥは憎悪の表情でこちらを睨み返してくる。
話は通じない。
話し合う余地はない。
俺が殺したから。
こいつにとって俺はレベッカを殺したネズゥと同じであり、シオンの住処を襲ったネズゥと同じでもある。
……認めたくはないが、この復讐の連鎖を引き起こしたのは、俺なのだろう。
怒りに身を任せて事実確認も無しにこいつの兄を殺した。
それがもし本当にシオンの住処を襲っていた個体だったとしても、それは変わらない事実だ。
『あぁ、俺だ。……俺だよ』
「お前が手を出さなければこいつの弟は死ななかったのになぁ」
「違う! 殺したのはお前だろ! マークさんは俺を助けてくれたんだ!」
「いいや違わないね!」
「違いますよッ!」
フィーナが一際大きな声でそれを否定する。
「ご主人様のせいじゃない……! じゃああなたたちは他の生き物を食べてこなかったの!?」
「…………」
ネズゥはわかりやすく沈黙する。
「おい! 答えてみろよ!」
「うるせェ! うるせェうるせェ!!」
駄々をこねるように手を振り回し、その度にクレピスの死体から血が飛び散る。
「クレピスを離せッ!」
「"これ"?あぁ、もういらない」
そう言うとネズゥは乱雑にクレピスの胴体を打ち捨てられた頭部に重ねるように投げる。
「クレピスッ!」
シオンがそこに駆け寄る。
それを予見していたのか、ネズゥがその頭上から降ってくる。
「バカかっ!殺し合いの最中だぞ!」
ネズゥはシオンの首筋に喰らいつこうとした。
『させるかよ!』
間一髪のところで俺はシオンの首筋に腕を突っ込み、その牙を代わりに受ける。
そしてグイグイとネズゥを引っ張りやっとのことでシオンから引き剥がす。
「なんだお前……ほんとにお前みたいなやつがにいちゃんを殺せたのか?」
ネズゥはじろりと俺の方を見る。
「あの時のチカラがまるで感じられない……今なら俺も……!」
そう言うとネズゥは俺の首筋に牙を押し当ててきた。
「くか……っ!」
チカラを解放しなくとも俺の硬質化した骨皮はこいつの牙など通しはしない。
あまりの硬さに悶絶している隙に、俺は外套を脱ぎ捨てた。
『見たかったんだろ?』
周辺の空気が歪むほどの圧が瞬時に巻き起こる。
もはや逃げ場は無いことを悟ったネズゥは呆然と立ち尽くす。
「な、なんだよ……それ……」
『……お前の兄を殺したことについては、悪いとは思っているよ。だが、お前らも生きている他者を喰らって生きてきたんだ。自分だけが被害者面することはできない』
「なら死ね! 死んで詫びろ!!」
『だったら、お前も死ななきゃな?』
「はっ?」
『……クレピスは、誰に殺された? クレピスはお前の兄を殺したか?』
「うぎ……」
俺は拳を振り上げる。
「ま、待て! 待って!死──」
命乞いを聞いてやる程の情けはかける必要も無い。
俺は拳を真っ直ぐに出してネズゥの頭部を打ち抜く。
瞬間、弾け飛んだ首から大量の血飛沫が上がる。
雨のようにその身を穢す真紅を覆い隠すようにフィーナが俺に外套を着せる。
「……かっこよかったですよ」
それだけ言うと、フィーナは俺の腰を抱擁した。
シオンはクレピスの亡骸の前で泣き崩れたまま動かない。
しばらくの間、死の漂う空間に言葉が生まれることはなかった。