しばらくすると、独特な香りが漂ってきた。
この香りには憶えがある。紛れもなくこれはドンドンニの香りだ。
「ララ、いい匂いしてきたぞ」
「……ん」
まだフキゲンですよこいつァ。
「ドンドンニだぞ〜? ほら、この甘いような辛いような香り! たまらんよなぁ!」
「……」
ララは返事をしなかったが、次の瞬間盛大に腹が返事をした。
「んあっ! 」
「そうかそうか。楽しみか」
「うぅ……」
「別に何も気にしてねぇよ。お前の母ちゃんが誰だろうと俺にはなぁんもわかんねぇ。それにそういうのは、お前が話したい時に勝手に話してくれんだろ?」
「……うん」
いくらか顔が明るくなったララは、足をぱたつかせはじめる。
「楽しみか? ドンドンニ」
「うんっ!」
やっと元気になったか……。
「はいはぁい、お待ちどうさま」
良いタイミングでおばさんがドンドンニを持ってこちらに来た。
それを見たララは目を輝かせる。
「ほわあっ!」
「ふふ、おいしいわよ」
「いただきますっ!」
スプーンを受け取ったララは、早速ドンドンニのピンク色の沼にその先端を沈める。
「お兄さんはちょっと待っててくださいね」
「お願いします」
おばさんは再び厨房へ戻っていった。
「あーん」
ララは構いもせずにドンドンニを口に運んだ。
「んっ……んーー!!」
目をぎゅっとつむりその味を噛み締めている。
それからはやはりというか、ドンドンニの魔力に取り憑かれたララははぶはぶと言いながら皿にがっつきはじめた。
「ひぇ……」
これ外で食うべきものではないだろ。
「はいお兄さんお待ちどうさま」
そして遂に俺の分の料理もやってきた。
お盆には魚の干物と青菜の漬物、味噌汁を思わせる汁物にご飯が乗っている。
素朴ながらどこか温かさを感じるそれは、俺の故郷のものによく似ていた。
「和食だ……」
「んに?」
こちらの料理が気になったのか、ララが顔を上げて目線を送ってくる。
「おいしそ」
そう言うとララは容赦なくメインの干物に手を伸ばそうとしてきた。
「お待ち!」
「ぎっ……!」
危なかった。俺が声を上げるとララはすぐさまその手を引っ込める。
「くるるる……」
ドンドンニのせいで野生化してません?
「落ち着けよ。食いたきゃ分けてやるからよ……」
「ふしゅう……」
深呼吸をすると、ララは少し理性を取り戻したらしい。
「おいしそうだね」
「だろ? これさ、俺が元いた世界の料理と似てるんだ。なんか嬉しいな」
「そうなんだ。よかったね!」
そう言いながらもララは再び俺の干物を奪取すべくその手を伸ばし始めていた。
「待てってこら」
「だめなの?」
「いいって言ってるけどちょっと待ってろよ。一枚しかないのにお前丸ごと取ろうとしてるだろ」
「……してないよ」
してた間。
「ほら、すぐ分けるから」
取られては叶わないので俺は適当に魚の身をほぐしララ用に取り分けてやった。
「ありがとうおにいちゃん!」
さぁ俺も一口……。
口に含むと柔らかい身がほろほろと口の中で解ける。
濃すぎず薄すぎない上品な味わいが広がり、ご飯が進む。
「うお〜美味い! これだよこれ!」
俺が懐かしの味に興奮している隣で、ララは微妙な顔をしながら身を噛み締めている。
「……なんか、しなしなしてる」
あげなきゃよかったね。
ふたりともすっかり料理を食べ尽くして、膨れた腹をさすっていた。
「おいしかったなぁ」
口の周りをピンク色に染めたララは、ぺろべろとそれを舐め取りながら呟く。
「ほら拭けよ」
ララのおしぼりを差し出して拭くように促すと、それを受け取ったララは顔ごとごしごしとおしぼりで擦った。
「ごちそうさまでした!」
手をぱちりと合わせて大きな声でララが叫ぶ。
それを聞いておばさんが飛んできた。
「ララ様、こちらサービスです」
ララの前に真っ赤なソースのかかったアイスクリームが置かれた。
「わぁ!」
「よかったなぁ」
「ありがとう!」
「いえいえ。よろしければまた来てください。美味しそうに食べてくださって、あたしも嬉しいですよ」
「うん! またくる!」
そう言うとララはアイスクリームを食べ始めた。
「じゃあ先に勘定を……」
ララが食べているうちに会計を済ませてしまった。
会計が終わる頃、丁度ララもアイスクリームを食べ終えたようだった。
「おいしかったぁ」
その口の周りは血のように真っ赤に染まっている。
「おぉいまたか」
おしぼりでそれを拭ってやってから改めておばさんに礼を言った。
「ありがとうございました。俺の故郷の味で、とても美味しかったです」
「あらそうなの! よかったわぁ。あまり主流の料理ではないからお口に合わない方も多いのよね」
隣の子とかね。
「俺も是非また来たいと思いましたよ。じゃあ行こうかララ」
「うん! ごちそうさまでしたっ!」
ララはぺこりと頭を下げるとすぐに身を翻して外に駆け出していった。
「あ、こら。そそっかしいやつめ。すみませんね」
「うふふ、いいのよ。気をつけて帰ってね」
「ありがとうございます。それでは」
俺も一礼して店を出た。
すると、既にララは数十メートル離れたところまで歩いていってしまっていた。
「待てよぉ、腹痛くなるぞ」
俺も小走りでララを追いかけた。
「ドンドンニ、おいしかった!」
「もうそれはわかったから……」
「かえろ! おにいちゃん!」
ララは俺の手を取って引っ張っていく。
「はいはい。あんま引っ張んなよ〜」
昼下がりの穏やかな陽気の中、満腹感に包まれながらふたりで帰路に着いた。