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第40話 背負い続けた孤独と、差し伸べられた手

 家族全員で囲んだ晩御飯の食卓は、笑い声が絶えなかった。


母さんの作る料理は相変わらず絶品で、父さんはお酒を片手に上機嫌。

響姉はそんな父さんを軽くあしらいながらも、楽しそうに会話を交わしていた。


そして、僕の隣には真凛と神楽。


二人とも、母さんの料理を「美味しい!」と大絶賛しながら食べていて、母さんも嬉しそうに頬を緩めていた。


「啓君、毎日こんな美味しいご飯食べてるの? ずるいなぁ」


神楽がそんなことを言いながら、器用に箸を使って煮魚を口に運ぶ。


「母さんが毎日ご飯を作ってくれるんだ。でも今日は真凛と神楽も手伝ってくれたから、ちょっと特別な感じがするよ」」


「本当に?、じゃあ今度、神楽ちゃんが啓君に手料理作ってあげよっか?」


僕が返事をする前に、真凛が小声でぼそりとつぶやいた。


「……あんまり期待しないほうがいいですよ」


真凛が小声でぼそりとつぶやく。


「ちょっと、聞こえたんだけど! ひどくない!?」


「だって、神楽、前に“卵焼き”作るって言って、スクランブルエッグもどきになってたでしょ」


「うっ、それは……でも、ちゃんと味は美味しかったもん!」


そんな掛け合いに、響姉が「ふふっ」と笑う。


「啓は幸せ者だな。こんな可愛い二人にご飯まで作ってもらえて。でも、こいつは私の大事な大事な弟だ、そう簡単に落とせると思うなよ」


「な、なんでそうなるんだよ……!」


僕が慌てて否定すると、父さんが「まあまあ」と朗らかに笑い、母さんも優しく微笑んでいた。


そんな賑やかな食卓も、やがて食べ終わる頃には落ち着きを見せ、食後のお茶を飲みながら談笑が続いた。


母さんが食器を片付け始めると、真凛と神楽も立ち上がり、一緒に皿を運ぶのを手伝っていた。


僕も手を貸そうとすると、神楽が軽く手を振った。


「啓君は座ってていいよ。せっかくだから、今日は私たちが最後までやるからさ」


「いや、さすがにそれは……」


「遠慮しなくていいですよ。私たちに任せて、ゆっくりしてください」


真凛がクスリと笑いながら、台所へと向かう。その後ろ姿を眺めながら、僕は少し気まずそうに席についた。


そうして後片付けが終わると、団らんの雰囲気も一段落し、ゆっくりとした時間が流れ始めた。


「じゃあ、そろそろ啓君の部屋行こっか」


食後の団らんが落ち着くと、神楽がそんなことを言い出した。


「ちょっ……部屋って、もう見たよね?」


「だって、今日泊まるんでしょ? どうせ夜更かしするんだから、先に場所を確保しないとね」


「えっ、泊まるって……」


「えっ、泊まるの?」


 父さんと母さんが同時に反応する。僕は慌てて「違う!」と否定した。


「ふふ、冗談ですよ。映画のことで確認したいことがあるので、啓君の部屋でシナリオについてちょっと話そうと思っています」


「私も啓君の意見とか聞きたいし」


真凛と神楽がさも当然のように言うものだから、両親も「なるほど」と納得してしまった。


「じゃあ、いいじゃない。啓の部屋で仲良くお話ししてきなさい」


「母さん!? 」


止めてほしかったのに、まさかの公認とは……。


「……ん、お前らどこに行く気だあ……ふわぁ」


響姉はそう言いながら、大きく伸びをしたかと思うと、そのままソファにどかっと座り込んだ。


「お父さん、飲ませすぎですよ」


母さんがクスリと笑いながら、響姉の肩を軽く揺するが、すでに反応がない。


「まったく……こうなると起きないんだよな」


響姉なら確実に止めに入るはずなのに、今日は静かに寝息を立てている。


こうなったら素直に諦めるしかない


「よし、じゃあ行こう!」


神楽は満面の笑みで立ち上がり、真凛も「お邪魔します」と微笑んだ。


……逃げられない。


結局、僕は二人を連れて自分の部屋へ向かった。


二人と並んで階段を上がる。夜の静まり返った廊下を抜け、部屋のドアを開けると、いつもの自分の空間が目に入った。

ベッドや机、本棚の配置は変わらないが、今は違った緊張感が漂っていた。


中に入るや否や、神楽がベッドに飛び込んだ。


「ふわぁ~、啓の部屋、落ち着く~」


「ちょっ、神楽、勝手に……!」


「えー、いいじゃん。ベッド、ふかふか~」


そう言いながら、ゴロゴロとベッドの上で転がる神楽。その拍子に、スカートの裾がふわりとめくれ上がった。


「わっ!ちょ、神楽!」


僕が思わず視線を逸らすと、真凛が慌てて神楽の足元に駆け寄る。


「ちょっと、動かないで!」


真凛が必死にスカートを押さえようとするが、その勢いで自分のバランスを崩し、前のめりになってしまう。


「あっ……!」


真凛が倒れ込む瞬間、僕は反射的に手を伸ばす。しかし、彼女のスカートも同じようにふわりと舞い上がった。


瞬間、空気が凍りついた。


「……」


神楽がベッドの上で大爆笑しながら、僕と真凛を見下ろしていた。


「な、何も見てないですよね!?」


真凛が真っ赤な顔で僕を睨みつける。


「いや、僕は何も……」


「……ホントに?」


疑いの眼差しを向けられ、僕はただ必死に首を振るしかなかった。


「もう……」


真凛はため息をつきながらスカートを整え、椅子に腰掛ける。


「啓、意外と整理整頓してるんだね。もっと本が散らかってるかと思った」


先ほどの気まずさを吹き飛ばすように、何事もなかったかのように話題を変える。


「そりゃまあ、仕事場みたいなもんだから、ある程度はね……」


「ふーん」


真凛は本棚を眺めながら、少し嬉しそうな表情を浮かべる。


「じゃ、ここでゆっくりお話ししよっか」


神楽が僕の枕を抱きしめながら、いたずらっぽく微笑んだ。


「話?」


神楽が枕を抱きしめたまま僕を見つめる。


真凛も静かにこちらに視線を向けた。その瞳は、普段の柔らかさを残しつつも、何かを探るような色を帯びている。


「啓君と雅さん、葵さんのこと……私たちもずっと気になっていました」


真凛の言葉に神楽も頷く。


「二人とも、啓に対して明らかに他の人とは違う態度だしね。あの雰囲気、どう考えても何かあったでしょ?」


心臓が締めつけられるような感覚に襲われる。


もう誤魔化すことはできないと悟った僕は、静かに息を吸い、全てを打ち明ける覚悟を決めた。


「……そうだね。話すよ」


僕は幼い頃に交わした約束、雅と葵のために書いた小説のこと、そしてそれが二人にどうしても伝わらず、誤解されてしまったことを、言葉を選びながらゆっくりと話し始めた。


話しているうちに、胸の奥にしまい込んでいた感情が少しずつ溢れてくる。

どれほど努力しても、どれほど必死になっても、その想いは届かなかった。

雅と葵に拒絶されたときのことを思い出すたび、胸が締めつけられるような感覚が蘇る。


僕はただ二人のために書き続けていた。


幼い頃の約束を果たすために、彼女たちが願った物語を紡ぐために、ひたすらペンを握り、すべてを継ぎ込んだ。でも、それが伝わらないどころか、雅と葵の間に誤解を生み、距離を作ってしまったことが何よりも悔しかった。


言葉を紡ぐごとに、僕の声はわずかに震え、指先がかすかにこわばっていく。


まるで、その感情まで見透かされてしまいそうで、目を伏せた。


「それでも……僕は、あの約束を守りたかったんだ」


やがて話し終えたとき、部屋には静寂が満ちていた。


話しながら、胸の奥に沈めていた痛みが徐々に押し寄せる。


どんなに努力しても、どんなに雅と葵のために頑張っても、その想いは伝わらなかった。


言葉にするたびに、今までの辛さが蘇ってきて、声が震えた。


沈黙が流れた後、ふいに温かいものが僕の身体を包み込んだ。


「啓君……今まで、一人で……」


真凛の小さな嗚咽混じりの声が聞こえた。


彼女の肩が震え、涙がぽろぽろと落ちていく。


「なんで……なんでこんなに苦しいこと、一人で背負ってきたの……」


神楽の声も震えていた。


「バカ……ほんとバカ……。何でもっと早く言わなかったのよ……私たちに愚痴ればいいじゃん!もう!本当に……」


真凛も神楽も、涙を拭おうとするけれど、それは止まることなく流れ続ける。


「大丈夫だよ……もう、一人じゃないからね」


真凛がぎゅっと僕を抱きしめる。

神楽もその腕を伸ばし、僕を包み込むように抱き寄せる。


「これまでよく頑張ったね、啓……」


神楽の手がそっと僕の背中を撫でる。


優しく、慈しむような手のぬくもりが伝わってくる。


その優しさに、今まで張り詰めていた心がほどけそうになった。


もし泣いてしまったら、ずっと自分を支えてきた強がりも、耐え続けた孤独も、一気に溢れ出してしまいそうだった。だから、今は涙をこらえることで、僕はかろうじて自分を保とうとした。


「じ、実は、さっき雅と葵から話したいって連絡が来たんだ……」


二人は涙を拭きながら顔を上げた。


「啓君、どうするの?どうしたい?」


「……正直、もう関わりたくないと思ってた。でも、やっぱりちゃんと話さなきゃいけないと思う」


言葉を絞り出すように、心の奥にある想いを口にする。


「本当は……怖い。でも、このままだと、ずっとこの傷を抱えて生きていくことになる」


真凛と神楽は微笑みながら、しっかりと頷いた。


「うん、ちゃんと話したほうがいいです。後悔しないように」


「啓、頑張れ。私たちはずっと味方だから」


二人の言葉が、僕の胸にじんわりと染み込んでいく。


今までずっと独りで耐えてきた苦しみ、報われることのなかった努力、全てを飲み込んで、それでも歩き続けてきた。だけど、今、こんなにも温かく、こんなにも真剣に僕のことを思ってくれる人たちがいる。


この優しさに触れたことで、今まで張り詰めていた心が少しずつ解けていくのを感じた。


「……ありがとう」


その言葉が自然とこぼれた。


真凛と神楽は静かに微笑みながら、僕の肩を優しく叩いた。


「大丈夫、啓君ならきっと乗り越えられるよ」


「うん、これからは私たちがずっと側にいるから」


その言葉が、僕の心の奥深くに灯る小さな炎を強くする。


背中を押され、僕は静かに、けれど確かに、前に進む決意を固めた。

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