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第42話 久遠の朝

 玄関で靴を履きながら、僕は軽く伸びをした。


二月にしては少し暖かい。


澄んだ青空が広がっていて、春の訪れを感じさせる陽気だった。

外へ出ると、心地よい風が僕の前髪をさらさらと揺らす。


そんな穏やかな朝。


だが、次の瞬間、僕の目の前には予想だにしない二人の姿があった。


「……え?」


玄関先に立っていたのは、雅と葵だった。


二人ともどこか気恥ずかしそうな表情を浮かべている。こんな時間に、こんな場所で二人がそろっているなんて、まるで待ち伏せされていたような気分だ。


「えっと、二人とも……どうしたの?」


驚きながら問いかけると、雅は少し視線を逸らしながら口を開いた。


「久しぶりに……一緒に登校なんてどうかなって思って……。あ、もちろん嫌じゃなければだけど」


その横で、葵がこくこくと頷く。


いつもなら、こんな誘い方をするタイプじゃない二人が、どういう風の吹き回しだろうか。


――僕は一瞬戸惑った。


このまま「うん」と答えていいのか?それとも、何か言うべきなのか?


しかし、そんな僕の思考を遮るように、突然背後から扉が勢いよく開いた。


「啓、置いてかないでよ~!」


「待って、神楽!」


振り向くと、神楽と真凛が玄関の扉から顔を出した。


……しまった。


僕は「やばい」と心の中で呻きながら、もう一度雅たちの方を見た。


案の定、二人は驚愕の表情を浮かべている。


「ちょっ……啓? どういうこと?」


葵が僕をまじまじと見つめる。


「え、ちょっと、まさか……」


雅も言葉を失っていた。


そんな二人の反応を見て、すぐに察したのだろう。神楽と真凛は顔を見合わせると、スッと雅と葵の前に立ちふさがった。


「こんなところまで押しかけて、何の用?」


神楽がじろりと雅を睨む。


「啓君をいじめにきたんですか?」


真凛が両手を腰に当てて威勢よく言う。


いや、待て待て待て。


僕がすぐに否定しようと口を開いた瞬間、葵が呆れたように言った。


 「ていうか、なんで二人が啓の家から出てくるのよ?」


 「ど、どういうこと?」


雅も驚きを隠せない。


――しまった。


どう説明したものかと焦る僕をよそに、神楽がニヤリと笑う。


「そりゃあもちろん、お泊りに決まってるでしょ」


その言葉に、雅と葵の顔が一瞬にして赤くなった。


「ななななっ!?」


葵が真っ赤になりながら神楽と真凛を指さす。


「はい……啓君のお家で一晩お世話になりました」


真凛もほほを桃色に染め、恥ずかしそうに微笑む。


……嘘ではない、が、誤解を招く言い方すぎる。


「ストップストップストーップ! 誤解だから!」


僕は両手を振って必死に制止する。


「え~? ご誤解じゃないですよーだ」


神楽がむくれた顔で僕を見上げる。


「そうですよ、啓君のお母さまだってノリ気だったじゃないですか」


真凛まで乗っかってくる。


「いやいや、昨夜は二人が『やっぱり帰りたくない』って駄々こねだしたんでしょ! 確かに母さんはノリノリで僕の部屋に布団運び込もうとしてたけど……」


「ほらね、聞いた? 私たちは啓のお母さん公認で一緒に夜を明かした仲ってわけ」


神楽が得意げに言う。


「わ、私はまだ早いかな~って思ってたんですけど、せっかくお母さまがすすめてくださったわけですから……」


真凛はもじもじと指を弄りながら言う。


雅と葵は開いた口がふさがらない。


「いやだから!」


とどめを刺すように僕は叫んだ。


「結局その後、酔いが醒めた響姉が部屋に入ってきて、『百年早い』って言いながら二人とも響姉の部屋に連行されていったでしょ!」


神楽と真凛は一瞬固まり、それから白々しく目を逸らす。


神楽は頬を指で軽く掻きながら、気まずそうに笑った。


「……あはは、そ、そうだったわね」


真凛もそれに続くように、わざとらしく咳払いをする。


「え、ええ、そうでしたね……」


雅は額に手を当て、呆れたように深いため息をついた。しかし、その顔には怒りの色はなく、どこか安堵したような気配が漂っている。


そのやりとりの間、僕は妙な違和感を覚えた。


……雅と葵の態度が、いつもと違う?


いつもなら、こういう状況になれば僕に怒りをぶつけてくるのに、今の二人はどこか落ち着いていて、むしろ僕を優しく見るような眼差しを向けている気がする。


葵も、腕を組みながらちらりと僕の顔を見て、それからふっと微笑んだ。その笑みはどこか含みのあるもので、今まで見たことのないような柔らかさがあった。


神楽もそれに気づいたのか、じっと雅と葵を見つめた。


「ふ~ん……」


その視線の意図を読み取ったかのように、雅が一歩前に出る。


「それで、啓……一緒に行ってもいいかしら? 少し話したいこともあるし……」


僕は一瞬言葉に詰まる。


すると、背後から神楽がクスッと笑った。


「ほら、昨日言ってたでしょ? ちゃんと話をしなきゃって」


そう言って、ウィンクしてくる。


「い、いいの?」


申し訳なさそうに葵が聞く。


「私たち今日は転校試験と面接で、少し遅く出ても大丈夫なんです。だから、今日はお二人に譲ってあげます」


真凛が微笑む。


「……そう。ありがとう」


雅は素直に頭を下げた。


僕はそんなやりとりを見ながら、ようやく決心する。


今なら、ちゃんと話ができるかもしれない。


「……行こうか」


こうして、僕たち三人は並んで歩き出した。


久しぶりに並んで歩くこの感覚。

かつては何気ない日常だったはずなのに、今は妙に胸が締めつけられる。


幼いころの記憶が蘇る。


朝日が差し込む道を、無邪気に笑い合いながら歩いていたあの頃。

何も考えず、ただ一緒にいるだけで楽しかった。

だけど、気づけばすれ違い、互いに距離を置くようになっていた。


雅がふと僕の方を見た。葵も同じように。


言葉はない。ただ、目が合うだけで、胸の奥に何かがこみ上げてくる。


「ねえ、啓」


雅がぽつりとつぶやいた。


「うん?」


「やっぱり……この感じ、懐かしいね」


「そうだね……」


気づけば、葵が微笑んでいた。


「なんか子供の頃に戻ったみたい」


柔らかな声でそう言う葵に、僕は小さく頷いた。


――あの頃とは違う。それでも、また三人で歩けている。


胸の奥が少しだけ温かくなった。

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