一方的な暴力から早四時間がたちました。
今はちょうどお昼休み、私ともる子さんは机を向かい合わせて一緒にご飯を食べているところです。
「江戸鮭ちゃんはどうして転校してきたの?」
なんて、のほほんとした質問ばかりしてくる彼女ですが、私はそれどころではありませんでした。
朝に目撃してしまったあれが脳裏に焼き付いて離れないのです。
もちろん出会いの話ではありません。
風紀委員を名乗る
迅速かつ早急に相手をねじ伏せることだけを考えた無駄のない圧倒的制圧力はもはやきらら系のそれではありません。
多分ドラゴンボールです。
まるで白昼夢のような惨劇がくるくると頭の中を巡りに巡り、私は上の空でした。
「...はい」
「え?江戸鮭ちゃん?はいってなに?」
「...はい」
「も〜!」
業を煮やしたかに見えた彼女に私は意識を取り戻します。
そこで眼前にはヤバいヤツがいるのだということを認識しました。
「え、あ...すみません...」
「どうして江戸鮭ちゃんは転校してきたのかなって質問!」
「あ...転校してきた理由ですか...?えと、前の学校では、その、理想の自分になれないなというか...キラキラ出来ないなと感じまして...」
「ふーん、そっかー!」
もる子さんは、むしゃむしゃと二つ目のサンドイッチを頬張りました。
「えと...もる子さんは、どうして転校してきたんでしょうか...?」
「うーん、そうだなあ」
もる子さんはさらにもう一袋、サンドイッチを頬張ります。
「私も似たような感じかな〜!」
「そうなんですね...」
「うん!この学園でキラキラした日々を送りたいなって思って!」
私は彼女の答えに少しだけ安堵しました。
少しだけ手が早いかもしれませんが、もる子さんも思考だけは意外と普通な女の子なのだなと。
もしもここで普通の女子高生らしからぬ豪快な理由を告げられてしまったら、きっと私は今後この方と上手く友達付き合いができるのか心配になってしまうところでした。
「あ、それともうひとつ!」
「...なんですか?」
「生徒会をぶっ潰すことかな!」
もる子さんは笑顔でそう言って、四袋目のパンを頬張りました。
───
所変わって私は学園の購買部にいます。
たった一食で成人男性一日分ほどのカロリーを摂取した彼女でしたが、未だにその胃袋は満たされていなかったらしく、次なる獲物を求めやってきたのがこの狩り場。
私はメロンパンひとつで満足だと言うのに凄まじい食欲です。
獲物に飢えた学生たちの山をかき分けて、なんとかパンを求める列の最前線へと歩みを進めました。
「江戸鮭ちゃんは何にする?」
「いえ...私はもう、お腹いっぱいですから...」
「そっか!じゃあどうしよっかな〜!」
購買には様々な食品が並んでいます。
とくに目を見張るものはパンの類。
クロワッサンに焼きそばパン、コロッケパンにメロンパン、多種多様な味が私達の目の前に広がっていました。
私ともる子さんの視覚情報としてはとても楽しい場所でしたが、それ以外の方々、私達の周辺の方々から突き刺さる視線は決して愉快なものではありません。
今朝の一見を目にしていた皆々様の冷たい視線、「あの子が風紀委員を討った女の子」だというきらら系にとって全く嬉しいわけがないにも関わらず、嘘偽りない事実を突きつけられて私は汗が止まりませんでした。
「やっぱりここはメロンパンかな〜!」
...ザワッと周囲が色めき立ちます。
そして口々に
「メロンパンだってよ...!」
「身の程知らずだ...!」
「怖いものは無いのかしら...!」などといった悲鳴にも近しい呟きが聞こえてきました。
朝の風紀委員さん的に言えば、学園内の何かしらのルール、特に特権階級の方々からすれば何かしらの禁忌に触れるような憚られる選択といったところなのでしょうか...。
「やっぱしコロッケかな!」
...ザワッと周囲が色めき立ちます。
「コロッケですってよ...!」
「無謀すぎるって...!」
「アカンわ、死んだな...」
またもや、いえ先程よりも悍ましい呟きが私の耳から入って脳を犯します。
それだけは選択しないでくださいっと念じながら、もる子さんの一挙手一投足を見守ります。
「クロワッサンもいいな〜!」
...ザワッと周囲が色めき立ちます。
「南妙法蓮華経」
「南無阿弥陀仏」
「アーメン」
先程よりもさらに死地に足を踏み込んでしまったようです。
いえ、そもそも購買部という時点で地雷原に足を踏み入れたようなものだったのかもしれません。
いつどこで起爆するかもしれない中、もる子さんは全身全霊をかけて激しいダンスを踊っているような物です。多分。
「焼きそばパンもアリかな...」
「...。」
「...。」
「...。」
焼きそばパンなら問題ないそうです。
ですが、この異様な雰囲気。
パンひとつ買うだけで走る緊張感。
これは私達が風紀委員の質候さんを叩きのめしたという半分誤情報からくるものなのか、それとも単に学内のルールを破ってしまっているものから来るのかは見当がつきませんが、決して良いものでないということだけは分かりました。
転校初日からこの胃の痛み。
私はこれからの毎日に耐えられるのでしょうか...。
そんな事を考えているうちに、もる子さんは買い物を終えたようです。
そしてルンルンな笑顔で私に何かを手渡してきました。
「あ、はい...え?なんですかこれ」
「メロンパン!」
「メロンパン!?あの中で!?しかも三つ!?」
ざわっ...と周囲がざわめきます。
私たちを突き刺していた皆様は一斉に「あっちが買わせてる...」「ゴスロリこわい...」「やっぱり首謀者なんだ...」と声を揃て言いました。
私は全員に今すぐにでも否定したい気持ちではありましたが、到底そんな事はできません。
人前で大きな声を出すことも、それどころか振り向くことすら。
ですがもる子さんは、周囲の声にも私の心にも全く気づくことはないようで、ニコニコと微笑ましい素敵な笑みを浮かべていました。
しかし、そんなもる子さんをも振り向かせる程の大きな声が響きます。
「皆様!おどきになって!」
その声に私たちを取り囲んでいた学生たちは一様に振り向きます。
そして同時に海を割るように購買前まで一本の道筋が出来上がりました。
カツカツと上履きにあるまじき音をたてて、声の主は私たちの方へと進んできます。
堂々と道の中央を歩くのは、ピンクロングヘアのパーマを携えメガネをかけた高身長。
頼れる秀才系お姉さんを色濃く感じさせる風貌の学生でした。
その少し右後ろを歩くのは、すらっとした身体に長い長い金色のツインテールに鋭い目つきを併せ持ったツンデレ系の方、もう一方には銀髪ショートを輝かせた所謂無口クール系な方でした。
「メロンパン三つですわ!」
購買のおばちゃんにそう告げたピンクさんでしたが、返ってきた答えは「売り切れ」。
やってきた三人は揃って唖然とした様子です。
そんな三人組にもる子さんは、少しばかりの申し訳さも無さそうに笑顔で語りかけました。
「あ、すみません!私が買ったので終わりです!」
三人組の方々は一斉にもる子さんに注目します。
「アナタ、メロンパンを買ったんですの?」
「はい!美味しそうだったので!」
「美味しそうだったから、ですの?」
「そうです!」
「ふ、ふうん...そうですの...それではアナタもうひとつ聞きますわ。部活動は何をしていまして?」
「急ですね!?部活動はやってませんよ!」
「では...委員会活動ですの?」
「委員会もやってません!」
「...何年何組ですの」
「私は一年一組だよ!今日転校してきたんだ!」
質問の度に表情が固くなっていく三人組とは相対的に、もる子さんの笑顔は輝きます。
さらには最後の答えに絶句した彼女たちを尻目に笑顔の調子も絶好調です。
「アナタ、どうしてこの中からメロンパンを選びましたの」
「えっと〜、江戸鮭ちゃんが食べてて美味しそうだったから!」
「そうですのねぇ、では最後にもう一つよろしくて」
「はい!」
「星はいくつですの?」
その言葉に、なぜか緊張の一瞬というように周囲の方々は固唾をのんでコチラを見つめていました。
「星?なんですかそれ」
とぼけたように答えたもる子さんに、烈火のごとくピンクのパーマさんはまくし立てました。
「アナタ!ジブンが何をしたかわかってまして!?メロンパンを買えるのは学園内でも上位の実力を持ったきらら系のごく一部ですわよ!それをなんとまあ...!星も無いのによくぞやってくれましたわね!いくら転校生だといっても我慢できませんわ!ワタクシたち第二軽音部が直々にその根性叩きのめしてやりますわ!」
踵を返したパーマさんに続いて、鋭い目つきのおつきの二人もあとに続きます。
そして割れた一本の道を戻りながら、パーマさんは歩みを止めずにコチラを向いて言いました。
「ついてきなさいですわ。江戸鮭さん」
彼女たち去ったあと、周辺の学生は再度ざわめきに包まれました。
「変な人達だったね〜」
「いやいやいや!もる子さん...、なんか私、私が悪者みたいになってませんかあれ!?」
「え?そうかな?」
「いや、絶対そうです!絶対そうなっちゃってますって!なんで名乗らなかったんですか!?」
「だって、聞かれなかったから〜」
「そうですけど...どうですけれど!確実に目をつけられちゃってますって!」
「ま!いいじゃん!いいじゃん!」
「よくないですってぇ...!」
「過ぎたことだよ江戸鮭ちゃん!さ〜、大人しく教室に戻ってメロンパン食べちゃお!江戸鮭ちゃんメロンパン好きだもんね!」
「好きですけど...!好きですけど今は誤解を与えるんでやめてください!」
もる子さんに背中を押されながら私は、教室まで続く階段へと向かいます。
後ろでは未だに「ゴスロリ真の悪役説」が囁かれていたことはもる子さんの耳には届いていないようでした。
───
「やっと授業終わったね〜!」
「もる子さん...ほとんど寝てませんでした?」
「そうだっけ?」
授業も終りを迎え、放課後のチャイムが響きます。
部活動やバイト、帰宅に急ぐクラスメイトたちはそそくさと教室を後にします。
...本当にそれだけが理由化は分かりませんが。
私は猫のように体を伸ばすもる子さんとは真逆に、不安いっぱいな気持ちに押しつぶされそうに縮こまっています。
もる子さんは起きがけでも機嫌がいいタイプなのか、お話を続けていますが私の耳にはまるで入りません。
申し訳ないことですが、どうにか相槌を打つだけで手一杯です。
私は本当に、今すぐにでもここを脱出したいという気持ちでいっぱいいっぱいなのでした。
しかしながら何故かこんな時だとしても、私は律儀にあの三人組さんたちに会いに行かなくていけないのではとも思っていました。
あんな妙ちくりんな出会いであっても、どういうわけか約束事は守らなければいけないような気がしていたのはきっと私の気が弱いせいでしょう。
ですがそんな謎の義務感を感じ取ったかいないのか、もる子さんは私の手を引きました。
教科書やらなんやらをいつの間にか学生カバンにしまい込んだ彼女は爛漫に言いました!
「じゃあ、行こ!」
「え?え?なんですか?」
「えー!江戸鮭ちゃんまた聞いてなかったの!?美味しそうなお店見つけたからさ、一緒に行こっていったじゃない!」
「す、すみません...ちょっと考え事してまして...」
「もー!でも許す!江戸鮭ちゃんは友だちだから!」
「あ、えと...ありがとうございます」
「じゃ、いこっか!」
「...はい、あ、えと、何のお店でしたっけ...?」
「移動屋台の焼き鳥屋さん!」
私はもる子さんが「カフェ!」なんて言うと思っていましたが、一応にもきらら系な私達が放課後に一番に出向く先としては何とも言えないチョイスだなと思い「渋すぎでは...?」と突っ込もうとすると同時に教室のドアが勢いよく開かれました。
「「あまりにも渋すぎる!」のでは...え?」
前方の扉から表れたのは、朝にもる子さんが地を舐めさせたお方、風紀委員会副委員長の水色の髪をした方でした。
「貴様ら!放課後きらら系女子の学校帰りとしてはあまりにも渋すぎる!きらら系ならきらら系らしくもっとカフェやファミレスに行け!」
「わ!びっくりした〜!良いじゃん焼き鳥!美味しいんだよ!」
「ごちゃごちゃ煩い!きらら系らしくないと言っているんだ!」
「も〜きらら系にコダワリ過ぎだよ...えーと、しち...しちや?なんだっけ...、しち、七並べちゃん?」
「
朝の再現をするように不敵な笑みを浮かべながら、美しい空色の髪を揺らし、質候さんはツカツカと私へと近づいてきます。
そして私の胸元をと掴もうとして、これまた同じようにもる子さんがそれを制しました。
そこからは今朝と同じです。
質候さんが「絶対的秩序」やら「実力主義のきらら系」やら「完全な正義」が何とかと口上を述べて、私に掴みかかります。
その手をまたも同じようにもる子さんがはたき落としました。
ですが質候さんもそれをわかっていたかのように応戦します。
がくりと下を向いた右腕はフェイクと言わんばかりに、左手でもる子さんに掴みかかろうと腕を伸ばします。
「同じ手に何度も引っかかると思うな!」
そうもる子さんにツッコミを入れた彼女の瞳が輝いて、菱形の一辺ずつを曲線にしたような図形が浮かびます。
俗に言うしいたけ柄。
しいたけの傘を上から見たようなそれが瞬くと、左手にはいつの間にか、どこから現れたのか短い竹刀が握られていました。
それは一直線に、もる子さんの頭を叩くべく伸びていきます。
突然の武器に私は驚きを隠せません。
ですが、もる子さんは冷静さを崩しません。
笑顔も崩しません。
向かってくる短刀を下から払いのけると、バランスが悪くなっていく質候さんの顎をもう一方の手を使ってすくい上げるように叩きます。
これには勝ちを確信した質候さんも、もんどり打って倒れ込みました。
いつもの私だったら、今朝のこともありますし質候さんを心配してすぐに近寄ったかもしれません。ですが、私の目には叩いた直後と倒れ込んだ直後に、何かキラキラしたものと、透き通るお花のようなものがよぎったような気がして、「なに...?」と一瞬ですが体が硬直していました。
顎を抑えながら倒れ込む質候さんに向かって、もる子さんは声をかけます。
「動きが直線的すぎるよ七並べちゃん」
「うー...シチバソウロウ...ダジョ」
痛みに耐えているのか、質候さんは下を向いたまま必死に顔を抑えています。
「私に勝ちたかったら、もう少し強くなってから出直してきてね!」
痛みと涙と、それから多分悔しさで顔を真っ赤にした質候さんがもる子さんのセリフに鋭い視線を送りました。
そして口元を片手で隠しながら、何とかといったように立ち上がります。
「覚えておけ!次こそは!次こそはお前たちをしょっぴいてやるからな!」
「私もですか!?」と口にする間もなく質候さんは話し続けます。
「調べはついている!これからお前たちを正しいきらら系にすべく刺客がやってくるだろう!覚悟しておけ!」
そう言うと脱兎のごとく彼女は駆けていきました。
まだ青空が覗く教室には、私ともる子さんだけが残されます。
「刺客だって!江戸鮭ちゃん!」
「なんで少し嬉しそうなんです...?」
「だって〜!この学園のきらら系っぽい人たちがどんどん集まってくるってことじゃん!私たちのきらら力も爆上がり待った無しだよ!」
「あの、いや...色々言いたいんですけど...まず、きらら力ってなんですか?」
「楽しみだね〜!」
「聞いてます...?」
不必要な因果の応酬に、私はもう言葉が出ませんでした。
不幸の連鎖に巻き込まれていく自分にまたひとつため息をつきました。
明日からも質候さんに因縁をつけられることを考えると、頭の中の春色が段々と遠ざかって冬景色になっていく気さえします。
どうにか巻き込まれないようにしよう、と一旦は私服登校を諦めるという選択肢は取らざるを得ません。
せっかくの私服登校という最高の贅沢を手放さなければならないことを考えて、私の口からはもうひとつため息が出ました。
そんなとき、いつしか何やら考得るように、むんむんと唸っていたもる子さんが声を上げました。
「ねえ!江戸鮭ちゃん!」
「は、はい...」
「明日からなんだけど、そういう感じのお洋服で登校できる?」
「...したいのは山々ですけど...こう、風紀委員さんに目をつけられては...」
「だからこそだよ!」
飛び切りの笑顔が私の目の前に広がります。
「明日からも絶対ゴスロリね!」
「え?え?...でも、」
「大丈夫!私が絶対守るから!江戸鮭ちゃんは絶対傷つけさせない!友達だもん!それに、」
「それに...?」
「私がこの学校に、きらら系に革命を起こすから!」