「忘れてまして!?」
放課後の教室。
私、江戸鮭ともる子さんの目の前で上級生であろう彼女は叫びました。
耳を劈いたお声の一団の内訳は以下の通り。
①ぐしょぐしょに汚れた制服に、ピンクロングヘアのパーマを携えメガネをかけた、所謂頼れる秀才っぽいお姉さん系。
②頭に葉っぱをたくさん載せて、すらっとした身体に長い長い金色のツインテールがこんがらがっている、鋭い目つきを併せ持ったツンデレ系。
③横風に吹かれて銀髪ショートがあらぬ方向で固定された所謂無口クール系。
以上です。
全員が全員まるで急な夕立にでもあったように、髪も制服もぐちゃぐちゃになっていました。
「ワタクシたち待っていましてよ!?購買部で声をかけた日から待っていましてよ!?クソおっせーにも程がありますわ!」
私は先日一方的に交わされた「ついてきなさい」という具体性のない約束事を思い出しました。
「何をしていたんですのお二人!ワタクシたちは梅雨の大風にも夜露にも負けず、三日三晩屋上にいましてよ!?もしもキャンプ部と学園生活部の方々が気まぐれで屋上に来なかったら死んでましたわ!」
「ああ...すみません」
「来いと言われたら来るのが常識でしょうに!きらら系以前に人としてあれですわ!三日間何をしていまして!」
「えー...あの、その、わすれてました...」
「忘れていたんですの!?」
ピンクのパーマさんは一段と声を大にして叫びます。
ですがしかしもる子さんは、いえ私もですが...彼女たちをすっかり記憶の彼方へと追いやっていたのです。
同日には風紀委員会副委員長の質候さんと二度も戦いが繰り広げられましたし、そのうえ謎の刺客なる存在をもほのめかされたのですから。
次の日はもる子さんにオススメされた近所のスーパーにやってくる焼き鳥屋さんに繰り出しましたし、昨日に至ってはとんでもない事をいってのけましたし...。
ここ数日の密な時間で、私の頭から軽音部を名乗る三人組のことなど等に抜け落ちていました。
申し訳ないとは思います...。
「この学園内上位に位置するワタクシたちを差し置いて...!その非礼、万死に値しますわ!」
「だって〜」
「だってもヘチマもハマグリもありませんの!」
軽音部さん三名の中で最も怒り狂っているピンクのパーマさんにもる子さんは食って掛かります。
「そう言ったってさ!私たちだってやることもやりたいこともあるんだから!しょうがないでしょ!」
「ふん!『星無し』のちんちくりんが何をいいますの!ワタクシたちは『星ふたつ』でしてよ!偉い者にはへりくだるのが普通でしてよ!」
そういってピンクパーマさんはポケットから学生手帳を取り出します。
手帳の表紙には彼女の顔写真と、その横に鈍く輝く星のマークがふたつ。
まるで刑事さんのようにこちらに誇示しました。
「星なんて知らないよ!なにそれ?何の意味があるの?」
「無教えて差し上げますわ!きらら系の主人公になれる逸材、それが『星みっつ』ですわ!そしてそれに匹敵する準主役級が『星ふたつ』、ワタクシたち第二軽音部のことですの!『星ひとつ』は所謂モブキャラ相当、そして!」
ピンクパーマさんはまるでミュージカルの主役のように、大げさなポーズを決めました。
「『無星』!個性もきらら力も能力も劣った劣等学生!つまりアナタがたですわ!」
「へ〜。そうなんだ」
バシッと決まったセリフにももる子さんは微動だにしません。
それどころかいつものペースを崩しません。
いえ、いつもよりももっと。
「なんかさ〜。風紀委員の人も言ってたけどさ。髪色とか髪型とか、それに、星?そういうのに囚われてる事自体がきらら系っぽくないっていうか...」
顎に手をあてて考え込むようなポーズをしていたもる子さんでしたが、ぴょんとひと跳ねすると同時ににっこり笑顔で告げました。
「ダサいよね!」
その一言にピンクパーマさんの堪忍袋が切れました。
「言いましたわね!アナタ!こうなったら手段は選んでいられませんわ!些細!」
「ん」
指名された些細という方は、銀髪ショートをなびかせてもる子さんへ、いいえ私達に一歩近づきました。
そして一歩、また一歩と。
ついにもる子さんの眼前にまでやってくると小さな口で、これまた小さく言いました。
「やれるの」
「なにが?」
「しょうぶ」
「勝負?内容は?」
「たたかう、とか」
「う〜ん...苦手ではないかな〜。あなたよりは」
「どうだか」
言葉を紡ぎきる前に、些細さんは腕を振りかぶります。
そしてそのままもる子さんの頭をめがけて振り下ろします。
いつの間にか彼女の瞳は、先日の質候さんと同じようにキラリとしいたけ型を描いていました。
手は拳を握っている訳ではないものの、鋭く、まさに手刀と言って差し支えない形でした。
しかし、もる子さんも阿呆ではありません。
目にも止まらぬ早さの手刀を首を傾げるだけで避けると、難なく腕を掴みました。
がっちりホールドされた些細さんは次の一手を伺うように動きません。
ですがそんな隙をもる子さんが見逃すはずもなく、空いたもう一方の手を素早く引くと一閃。
空手の正拳突きの要領で腕を突き出します。
距離は近すぎず遠すぎず、掴まれた腕も相まって些細さんに直撃は免れないといったところです。
しかし、現実は違いました。
「よけるよ」
確信をもって絶対に当たると思われたもる子さんの一撃は些細さんの脇腹を掠めたのです。
「あれれ、おかしいな?当たったと思ったんだけど?」
「ざんねん」
「中々やるじゃん!」
「まだやる」
「もっちろん!じゃあ次は〜...!」
もる子さんは言葉を区切ると同時に掴んでいた手を弾き飛ばすように、思い切り振りほどきました。
腕の勢いのまま些細さんの身体が宙を舞います。
進行方向は教室の壁。
「ぶつかる...!」と声を上げた私の叫びに反して些細さんは空中で体勢を整え、壁面に足をつきそのまま全身をバネにしてもる子さんに進行方向を変えます。
予想外の動きに私は息を呑みましたが、もる子さんは違いました。
その動きを予想していたかのように飛びかかる些細さんを前に、既に次の動作の構えを終えていました。
それどころか完全に動きを読み切っていたかのように、引いた手を突き出し始めています。
「よけるよ」
次こそは迸る銀髪さんを捉えたと思いましたが、そうはいきませんでした。
もる子さんの握った手はまたもや彼女には当たりません。
それどころか、些細さんの突き出した掌底はもる子さんの胸に突き刺さります。
勢いのままもる子は後ろに突き飛ばされます。
ですが、ただではありません。
自分の胸に触れた些細さんの手を両手で鷲掴みにし、背負投の要領でまたもや投げ飛ばします。
今度は空中で体勢を整えることもなく、些細さんは安々と壁に足をつきました。
彼女だけを見れば先程の工程の繰り返し。
しかしながら、彼女の目に映ったものは別の光景だったことでしょう。
それは眼前に迫るもる子さんの姿。
背負投げからそのまま後転し、立ち上がったと同時に一気に距離を詰めていたのです。
些細さんは驚いたように一瞬息を呑みました。
そして彼女は体よりも先に口を動かそうとしましたが、そんな時間はありませんでした。
私はもる子さんのインパクトの瞬間に「ひっ」と目を瞑りました。
それは先日の質候さんを思い出したからと言って間違いはありません。
ですがその時とは勢いも、もる子さんの本気度もケタ違い。
ですから私はどちらかが、いえ些細さんが倒れてしまうのではないかという直視しがたい現実に目を背けたのです。
ですが、私の予想に反した音が響きます。
その音は例えるのなら光がさすような、暖かい春を感じるような柔らかなものです。
人が地面とぶつかったり、何かが壊れてしまうといった破壊音ではありません。
違和感を覚えつつ、恐る恐る目を開けました。
そこで私の視界に飛び込んだのは半透明で宙に咲いた大きなお花でした。
それに付随してなにやらキラキラと光るものも。
お花は些細さんともる子さんの接触を阻むように、二人の間を割っています。
まるで薄氷でできた壁のように透けているそれですが、もる子さんの一撃を耐える耐久力は誇っているようです。
もる子さんは驚いた顔をしてから、自分を阻んだお花を蹴り、宙を返って距離を取りました。
壁に足をつけていた些細さんはというと、お花に手足をかけて宙に佇んでいます。
「よくやりましたわ。鍍金」
声を発したのはお嬢様言葉のパーマさん。
そして名前を呼ばれた鍍金さんなる方。
金色のツインテールをたなびかせて、瞳を菱形に輝かせた彼女は両腕を前に突き出して、掌を広げていました。
「う〜ん...」
もる子さんはポリポリと頭をかきます。
その表情は不思議と不満が入り混じったように、どこか納得いかないといったものでした。
なぜか当たらない攻撃、行く手を阻む半透明のお花。
今まで目にしたこともない謎の存在に、私の頭にも「?」ばかりです。
「どうですこと。もる子さん」
「あれ?私、名前言ってたっけ?」
「うふふ、ですわ。ワタクシたちが三日三晩何もしないで屋上で夜露に濡れていたわけではありませんわ。少しばかりですが、調べさせていただきましたの」
「へ〜!」
「アナタでけではありませんわ。そちらのゴスロリさんのことも。調べられる限りは鍍金に調べさせましたわ」
「それ、あんまりいい趣味とは言えないよ〜。怖いって!」
「お誕生日から趣味から好きな食べ物から、家庭環境に友人関係、全部全部調べましたわ〜。それに...。」
語りを意味深に止めたパーマさんの笑みが、不敵に鈍く光ります。
「どうしてこの学園にやってきたかということも、ですわ。瀧笑薬さん」
もる子さんが全身をピクリと震わせます。
一瞬だけパーマさんを見つめる瞳が鋭く光ったように見えました。
しかし彼女の表情は、先程までの笑みとは何も変わりません。
ですがどこか能面のように張り付いた、引きつったように見えました。
「ふーん...そっか。知ってる人なんだ」
「それがいかがしましたの?」
「いや、別に」
「あらあら、そうですこと。じゃあ続きと行きましょう瀧笑薬さん。それとも、」
唇に指を添えたパーマさんが少しばかりの妖艶さを含んで、嫌らしく口角を上げました。
「やはりお逃げになりますの?瀧笑薬さん」
もる子さんはカクンと顔を下に向けました。
栗色の前髪で私からは表情は見えません。
ですが決して彼女はいい表情はしていなかったでしょう。
少しばかりの静寂をこえて、ポツリと放たれた言葉がそれを物語っていました。
「...ぶな」
「え?なんですこと?瀧笑薬さん?もっと大きな声で」
「その名前をお前らが呼ぶな」
自らを押さえつけたように笑みを崩さなかった彼女の口が一文字に結ばれていました。
目つきも先程までとは対極です。
パーマさんを睨みつけるようなその瞳は、黒黒と怨嗟に染まっているようでした。
もる子さんの豹変ぶりに怯んだパーマさんが、ビクリと体を震わせると同時に些細さん、鍍金さんは共に体幹を低くしました。
しかしそれよりも速く、もる子さんはパーマさんだけしか視界に入っていないように一気に距離を縮めます。
両手を翳しながら二人の間に割り込んだのは、金髪ツインテールの鍍金さん。
先程、もる子さんと些細さんを遮ったように半透明のお花を展開します。
ですが、もる子さんは全く意に介しません。
目の前に表れたお花の花弁を鷲掴みにすると、それを引き剥がすようにして毟り取りました。
鍍金さんはまさかの出来事に目を丸くして、一歩も動けませんでした。
いえ、動く隙もありません。
花弁を毟り取った手をそのまま鍍金さんの鳩尾あたりに叩き込みます。
その瞬間にも一瞬だけお花が垣間見えましたが、いままでのそれとは違い、ひどく色は薄いまま空間に散っていきました。
もる子さんの一撃に、鍍金さんのツインテールはぺたりと床に落ちました。
「ふいう...」
束の間、もる子さんの背後に銀色の毛先が躍り出ます。
もる子さんの首筋を狙った一撃です。
しかし、彼女の言葉が紡がれる間もなくそれを片手で掴み取ります。
「はなして」
固く握られた彼女の手はその一言で解放されました。
同時に振り向くもる子さんは間合いを詰めて些細さんに徒手空拳で挑みます。
「よけるよ」
些細さんはもる子さんの手を足を、難なく避け続けます。いくらやっても攻撃は当たりません。
ですが、些細さんもその猛攻を避けるだけで一向に攻勢には出られません。
私はもる子さんの一撃一撃が振るわれる度に声を上げそうになりました。
そして遂に誰がどう見ても、些細さんのお腹にもる子さんの拳が突き刺さったように見えました。
「あぶな...!」
私は小さく声を上げました。
ですがそれは杞憂だったのか、いえ明らかに不自然にもる子さんの拳は些細さんを避けるように軌道を変えました。
私は少しばかり肩を撫で下ろすように息を吐きます。
それと同時に目線を感じました。
些細さんです。
もる子さんをいなしながら、こちらを見つめていたのです。
私はハッとして改めて現状を思い知ります。
私はもる子さんと一緒にいて、今彼女が戦っている相手は私のことも目の敵にしている事を。
些細さんはもる子さんに構わず、私へと間合いを詰めました。
私は何もできずにただ頭を抱えて目を瞑りました。
「あぶない!」
もる子さんの声が響きました。
その声に目をもっとキツく瞑って、ぎゅっと体に力を込めました。
......ですが、私の身には何も触れません。
恐る恐る目を開けるとそこには、仰向けに倒れ込んだ些細さんと、その下敷きになるようにして彼女の首に手を回したもる子さんがいました。
おそらく、私へ向かってきた些細さんを背後から締め上げたようです。
先程まで一発も当たらなかった攻撃がなぜ当たったのかは不明ですが、いまはそんな事を考えている時ではありません。
まだあと一人、ピンク色のパーマヘアの方が残っているんですから。
「...やるようですわね。些細と鍍金の二人を相手に...どちらもそれなりにやるはずなのですが」
「そっか。でもいいよ別に、今は」
「あら、そうですの。では、」
そう言うとパーマさんは制服の胸ポケットからスマートフォンサイズの白い板を取り出しました。
「では次はワタクシ、
「御託はいいよ」
「そうは言わずに聞いてくださいまし。ワタクシ、いいえワタクシたち第二軽音部について」
パーマさん改め、蛍日和さんはスカートのポケットからマジックペンを取り出します。
「ワタクシたちの目標は天下を取ることなんですの。きらら系で軽音部なんて世の中で腐る程あるでしょう?」
マジックペンの蓋を開けて、ホワイトボードに何かを書き始めました。
「それがどんな困難な道かはわかっていますわ。後追いだ、パクりだなんて散々言われることでしょうが、ワタクシたちは歩みを止めようとは思いませんの」
蛍日和さん書く手を止めると、マジックペンを投げ捨てます。
「例え三人で過ごした放課後や、ショッピングに行ったこと、他愛もない会話、始めて鳴らしたギターの音色だって、叶うのならばなんでも犠牲にいたしますわ」
そして小さなホワイトボードに書き込まれた大きな文字をこちらに見えるように掲げました。
「ワタクシたちが目指すきらら系とはそういうものですわ!ぽっと出の転校生にナメられるわけにはいきませんでしてよ!!」
そこに書かれていたのは『たきにこみに勝つ』
決意と自信に満ち満ちた目をした蛍日和さんは一直線にもるこさんへと指を突きつけます。
「さあ!かかってらっしゃウボァ!」
もるこさんの一撃は宣言途中の蛍日和さんのお腹に突き刺さっていました。
ぺちゃん、と呆気なく沈む蛍日和さん。
ふう、と一息つくもるこさん。
呆気にとられる私。
下校時間を知らせるチャイム。
こうして第二軽音部さんたちとの決闘は、呆気なく幕を引きました。
「よわ」
もるこさんの呟きが、ぽそっと教室の隅に転がりました。