6月29日(月)晴
教室に向かおうとしたら「今日が何の日か知っているか?」とかいいながら七並べちゃんが表れました。
何の日かは知らなかったので2秒で倒しました。七並べちゃんをみて大変だなと思いました。
放課後、風紀委員会の刺客だという二年生の人に出会いました。
とても驚いたけど、ペラペラと自分の能力を話し始めたので、手刀で黙らせました。
廊下の曲がり角で様子を見ていた七並べちゃんも倒して部室に行きました。
帰るとき持鍍金ちゃんに刺客の人について聞いたら、第三美術部の申詞々《もうしぼうし》 ちゃんって言う人だったそうです。
『
そんなことよりも、皆で帰りに寄ったファミレスのケーキが美味しかったです。
また行きたいな。
6月30日(火)晴
今日も朝から七並べちゃんの襲撃を受けました。
いつもよりちょっと距離があったので3秒かかりました。
ねそべった七並べちゃんに昨日は何の日なのって聞いたら「昨日は貴様を倒す予定だったのだ!」と言っていました。
「へえ」と言うとなぜか悲しそうな表情をしていました。
今日はお昼に刺客がきました。
江戸鮭ちゃんと一緒に購買に行こうと思っていたところで、教室のドアを思いっきり開けた刺客さんに驚いた私が正拳突きを放ったことで撃沈しました。
可愛そうだったので保健室に運びました。
大丈夫だったかな?
持鍍金ちゃんに聞いたところ、文芸部(仮)で二年生の
『
そんなことよりも購買のメロンパンがサクサクしてるやつだったことが嬉しかったです。
7月1日(水)晴
今日も朝から七並べちゃんが来たのでぶちのめしました。
「話は最後まで聞け」とか言ってたけど、いきなり襲ってきたので何も話してないんじゃないかなって思いました。
放課後は課題を忘れて居残りをさせられました。
すると数学部を名乗る人が来ました。
何やら話していましたが、刺客だよってとこしか分からなかったので、薄皮1枚顎パンチをお見舞いしました。
その人を後ろの席に座らせていたら、叙城ヶ崎先生に怒られました。
帰りに会った持鍍金ちゃんに聞いたら、
物に実現したいことを書くと、持ち主の人がその通りに行動したり、指示に従ったり、操れたりする能力だそうです。名前は『
持鍍金ちゃんは何でも知っててスゴイ。
放課後は持鍍金ちゃん一緒に帰ったら、いつのまにかうちの近所でした。
家近いんだねって言ったら、「ここは蛍先輩の家ですよっ」って言われました。
持鍍金ちゃんは何でも知っててスゴイ。
7月2日(木)
七並べちゃんは2秒です。
今日は2回刺客の人が来ました。
お昼には英語研究部の
どちらも2年生で『
どちらもすぐに張り倒したのでよく分からなかったです。
持鍍金ちゃんは今日も蛍日和さんの家の前をウロウロしていました。
なんでだろう。
7月3日(金)
今日も刺客は二人です。
お昼中に来た服飾部の
走って向かってきたのでスネを蹴ったら転びました。泣いちゃってたらごめんね。
放課後には写真部の
『
そんなことを持鍍金ちゃんに話したら、学校まですっ飛んで行きました。
忘れ物かな?
強い人が出てこなくてよかった。
私も使ってみたいです。
7月4日(土)
7月5日(日)
寝てたら土日が終わってました。
なんで?
──────
「ひでぇ...」
思わず私は口にしました。
「ひどいよね〜!毎日毎日、刺客の人がこんなんじゃやんなっちゃうよ!」
「うん、まあ...それもそうですけど...」
刺客の方々は毎日やってくるようになったこともそうですが、即刻倒されていく皆様と質候さんのなんとも酷い扱いに私は重きを置いたわけでして、それを嬉々として日記に記すもる子さんに向けて放った「ひでぇ...」だったわけです。
あともうひとつ付け加えるとすれば今日は7月15日。
日記の最後の日付を見るに、三日坊主よりも多少もマシくらいで記述が終わっていることにも「ひでぇ...」と思いました。
「七並べちゃんもさあ、せっかく刺客を送ってくるならもっと歯ごたえがなきゃだめだよね!」
「あ、そっちですか...」
さらに予想の斜め上をいくもる子さんの答えに、私は面食らいました。
「そうだよ!もっとこうさぁ!ピンチ!とまではいかなくても、いい勝負だったね!みたいなのが欲しいよね!」
「う、う〜ん...」
少年漫画なんかに出てくるバトルジャンキー系四天王かの如く理想を語る彼女ですが、私にはどうも追いつけません。
ピンチになることなんて無ければ無いほどいいですし、それよりもまず刺客なんていう物騒な方々が来ないことが最もですし、そもそもまず戦うという選択肢に溺れ続ける周辺の方々含め、改めてもる子さんと私の価値観の違いをまざまざと見せつけられたような気がします。
「今日は誰が来るのかなあ!」
さて、時は放課後。
私たちは授業終わりの教室で、部活動に向かう前のささやかなお喋りに興じていました。
部活動といいましても、御存知の通りに「きらら部」なんていう謎部活ですから、活動らしい活動も特に無いわけで、そちらに行っても結局のところお喋りか各々の趣味なんかに時間を使ってしまって、活動らしい活動は行われたことはありませんでした。
これを時間の浪費と捉えるか青春の一ページと捉えるかは意見が別れるところだと思いますが、私としてはそれなりに楽しんでいます。
ですが何もしていないことには結局代わりが無いわけでして、本日は珍しく私から何か提案しようかななんて思っていました。
「あの〜、もる子さん。刺客の方々も良いんですけど...たまには活動らしい活動してみませんか?」
「活動?部活のこと?」
「そうです」
「いいけど〜...なにするの?」
「それは...考えてないんですけど...」
きらら部の活動内容、それは『きらら系になるために色んなことに挑戦する』というものです。
ダラダラした現状を変える気なんてさらさらない私たちとは真反対な指針な訳でして、今からこれやってみよう!なんて思いつきはぽんぽんと出てくるものではありません。
なんせ活動開始から何もしていないのですから。
「ん〜、新しいカフェに挑戦するとか?」
「結局いつもと変わらないのでは...?」
「新しいスーパー行く?」
「主婦ですか私たちは...」
「じゃあ〜...あ!せっかくだし私達も楽器やる!?蛍日和ちゃんたちに教わろうよ!」
「おおー、って思いましたけど、あの人たち楽器できないって言ってませんでしたっけ...?」
「あ〜、そうかも。そうだね。できないって言ってた」
「どうしましょうか...」
私達が部活を作った理由。
それは第一に生徒会選挙に出るための条件である、学園内でも優秀な学生であるというものを満たすためでして、そのためには部活動で好成績を残したり、バイトなんかで作品のお手伝いをすることが必須。
そうして認められた上で学園から星と呼ばれる、いわば勲章のようなものを三つほど集めることが最低条件。
発起人でもなければ、そんなに乗り気ではない私が活動を提案するのは本来おかしいことで、打倒生徒会に燃えるもる子さんや、天下一のきらら系を目指す蛍日和さんたちが躍起にならなければいけません。
ですが、彼女たちは揃いも揃って毎日をただただ青春の浪費に努めていたのです。
「あ!」
もる子さんは膝を打ち、何かを思いついたように言いました。
「いっそのこと他の部活をパクろう!」
「元も子もないのでは!?」
「やったこと無いことに挑戦するならパクってもセーフだよ!セーフ!」
「えぇ...」
「よし調理部占拠して料理作ろう」
「もう占拠って時点でだめだと思うんですよ...」
「じゃあ書道部占拠する?」
「話聞いてました?」
「卓球部ならいいかな?」
「いいかなとかじゃなくって占拠がいけないんですって...。それに既存の部活の真似してても意味がないと思うんですけど...」
「それもそうか...。あ、じゃあ〜」
もる子さんはスマートフォンを取り出すと、忙しそうに何度か画面をタップしました。
それから笑顔で私に向かって画面を見せつけます。
「なんですか...?学園内部活動一覧...?」
「えへ〜!すごいでしょこれ!刺客の人が多いからパパっとどの部の誰かってわかるように持鍍金ちゃんが作ってくれたんだ!アプリ!」
「あの人はほんと何でもできますね...」
画面に映し出されていたのは文字通り、学園内に存在する部活動の一覧表。
部活動名をタップすれば何名が所属していて部長は誰で何をしているかなどが事細かに記されていました。
持さんが知っている限りの汎用、個別の能力の記載なんかもあってまさに百科事典と言ったところです。
サイトのデザインがインターネット黎明期の個人サイトみたいなデザインなのはちょっと頂けませんが...。
「あ、ちょうどキリ番だ!」
「キリ番て...もる子さん以外に誰か使ってるんですかそのアプリ...」
ひとりしか使っていないアプリでひとりでキリ番を踏んだもる子さん。踏み逃げはせずに律儀に掲示板へ報告を残したところで話は戻ります。
「ふっふっふ〜、でねでね!このアプリに乗ってない活動をしちゃったりすれば良いかな、って思うわけなんですよ!江戸鮭ちゃん!」
「まあ、それなら...」
「ふっふ〜!じゃあ江戸鮭ちゃん!なさそうな部活動の名前言ってみて!」
「えー...華道部とか?」
「あ〜、ある!」
「じゃあ...茶道部」
「それもある!」
「スキー部とか...」
「ある!どこでやるんだろうね!」
「んん...バイクとか!」
「ある!」
「...アイドル部みたいな」
「あるね〜」
「...カルタ」
「ある」
「百人一首」
「ある」
「新聞」
「ある」
「雅楽」
「二個ある」
「情報処理」
「ある」
「よさこい」
「ある」
「学園生活」
「五個ある」
「何ならないんですかぁ!?」
あまりの多様性を呈しすぎる部活動の数々に私は声を上げました。
「何なら無いんですか部はないよ」
「んなもんあるわけ無いでしょ!違いますよ今のは心の叫び!あと何ですか?学校生活部五個って!?どんだけ危機感ありまくりなんですか!?バイオハザードでも起きてますこの街!?それと雅楽!!二個もある雅楽!雅楽が二個!」
「サッカー部って無いんだね」
「雅楽二個なのにサッカーゼロ!?どういう匙加減なんですかそれ!?」
「でも蹴鞠はある」
「和風ぅ!学区内が和に染まりすぎてません!?平安時代のバイオハザード!?」
「あと地蔵撫で撫で委員会もある」
「部活ですかそれ!?ここ巣鴨!?」
「しかも結構人気っぽいよ」
「どういうことですか!?信仰心で疫病収めようとしてるんですか!?」
「なかなか難しいね〜。どうする?サッカーする?」
「絶対に遠慮します」
心身ともに疲れ果てた私は、机にベッタリとうなだれました。
きらら系学園の最たるところ、ここの多様性には心底驚かされます。
ですが私はサッカーをする気はありませんし、そもそも五人で何をするのか...。
新しいことに挑戦することがこんなにも難しいとは思いませんでした。
「江戸鮭ちゃん。これなんだろ?」
思わず首を仰け反らせる距離に、もる子さんはスマートフォンを掲げました。
「バーチャル部?ですか?」
「うん」
「バーチャルといえば、仮想現実というか...う〜ん...まあネット関係じゃないですかね...?」
「そうじゃなくってさ、よく見て」
「え?」
よくよく画面を見てみると「バーチャル部」の文字の下には「Vtu部(第二バーチャル)」との記載がありました。
さらにその下にも「第三バーチャル部」やら「VTU」やら「仮想配信部」やら似たような名前が並んでいます。
「...蛍日和さんたちの第二軽音部のようなものですかね...?」
「そうかなって思ったんだけどさ〜、ポチって名前を押してもね、名簿がないんだ〜」
確かに押下した先のページには学生の名前は出てきません。
部活の名前と活動内容のみが記載されていて、なんだか少しばかり不気味に感じました。
「それは...廃部になったとか...?」
そう口にしましたが、廃部になったものまで
対刺客用に作ったアプリで、わざわざ何も無いページを作るでしょうか、と...。
ですがもる子さんはそこまでは深く気にしている節はないようでして、再度お話を戻すのでした。
「ま、いいか!持鍍金ちゃんに後で聞いてみよ!でさ、江戸鮭ちゃん他になにか思いついた!?部活!」
「いや、とくには...」
「ん〜、そうだよねえ...叙城ヶ崎先生にでも相談...あ!」
もる子さんは「思いつきました!」と言わんばかりに、掌を握りこぶしでポンと叩きます。
「なんですか?」
「服作ろう」
「...いきなりすぎでは?」
「叙城ヶ崎先生さ!服飾部の顧問だったじゃん!でも服飾部は活動してないって言ってたからさ!私達がお洋服作りやっても問題ないじゃん!既存だけど今ないからセーフ!!」
「ま、まあ...」
「動画とかで作り方も見れるし、いけそうじゃない!?」
「だとしても道具はどうするんですか...?布とか、それにミシンとか...」
家庭科室で...とも思いましたが、あそこは既に別の部活動が使っているようでしたし、合同で使ったとしたらご迷惑をかけることは目に見えています。
「ミシン...。あるある!あるよ!部室棟一階のね、物置みたいなとこにあったはず!」
「...なんでそんな事知ってるんですか?」
「叙城ヶ崎先生に掃除してきなさいって言われたの!授業中寝てたからって!」
「あぁ〜...」
「物置みたいだったしさ!いまから行っちゃおうよ!」
「いや、でも許可とか...」
「大丈夫大丈夫!取ってきてから許可貰えばヘーキヘーキ!じゃあ出発〜!」
「え、ええ〜...また怒られますよお...」
もる子さんに引っ掴まれて、私は強制連行。
彼女の突飛な行動はいつもいつも惨劇を呼ぶもんですから、私の心はすでにハラハラし始めていました。
できる限り、もる子さんの日記に書かれているレベルの軽めな襲撃位で終わってくれればとなんて思いましたが、まず当たり前のように刺客の襲撃があるという事実に気付いて、私は肩を落としたのでした。
───────
「到着〜!!」
「...もる子さん、静かにしないと周りの部活中の方に怒られますよ」
「まー大丈夫っしょ!」
到着したるは半分物置になっている教室前。
部室が並んだ廊下の一番奥の部屋であるそこは、お喋りだったり楽器の音が聞こえる他の部屋とは違って、何か寂しいような暗い雰囲気が漂っていました。
「あいてるかな〜」
早速と言ったように引き戸に手をかけたもる子さん。
鍵はかかっていなかったらしく扉が開かれました。
ですがこの物置、何故かドアの向こう側に暗幕が張られているようで中が見えません。
それだけでも不気味さMAXだというのに、中からは何か小さく囁くような声が聞こえてきました。
「...もる子さん」
「なんか聞こえるね」
「はい...」
「この部屋って真っ暗なんだよね。暗幕貼られてて」
「は、はあ...」
「......おばけ?」
「...ま、まっさか〜、もる子さんったら〜...」
「でも声するよ?」
「帰りましょう」
私はそう言って踵を返しましたが、流石はもる子さん。目にも止まらぬスピードで私の腕を掴みます。その力まさに万力のごとし。
反対側の手は物置部屋の入口をぐっと握りしめていて全く隙はありません。
「江戸鮭ちゃん。これも挑戦じゃん?」
「そういう挑戦はノーサンキューです」
「でもおばけだったらレアだよ?」
「何ですかレアって?いいです。私はノーマルかコモンでいいですから」
「学校の七不思議的なやつならSSRだよ!?見ようよ゛!」
「い゛やです!生きてる人間とだって初対面は苦手なのに、実体ない人と喋るなんて出来ません゛」
「でも欲しいでしょSSRぅ!江戸鮭ちゃん暇なときにソシャゲやってSSR出したら喜んでるじゃん!?」
「いまは暇じゃないですから゛!今日はNかRでいい゛!」
「No,HumanのNとREITAIのRだから大丈夫だよ゛!」
「い゛らないです!もう完凸したん゛です!それかせめて重ねまくって厚み持たせてください゛!」
騒々しかったのか物置の隣の部屋、私の目の前の扉が少しばかり開いて、中からどこかで見た顔がこちらを覗きました。
「何やってんの君ら」
それはいくばくか前に質候さんの刺客として表れた薄緑髪の女の子、占い部「侑來來」の祈さんでした。
「もる子さん!私は祈さんがい゛い!祈さんはRだからそれでい゛い!」
「なにそれ、悪口?」
「駄目だよ!祈ちゃんはSSRだから!すごく萎びたレタス頭でSSRだよ!」
「おいもる子くん、悪口だろそれは。あと、レタスはLだよ」
「違いますぅ゛!祈さん゛はRですぅ!老婆心のRですから゛あ!」
「何いってんの君ら」
ため息をついた祈さんでしたが、私が困っているということは肌で感じ取ってくれたらしく、教室から出て来てくれました。
この事態から逃れられるかもしれないと思い気が抜けたのか、私はふっと体の力を緩めてしまいました。
その拍子にもる子さんに思い切り引っ張られます。
そうしてがっちりホールドされた私を引っ張って、もる子さんと一緒に暗室へと放り込まれたのでした。
ゴロンゴロンと勢いづいて突入してしまった私たち。
一方はすちゃりとバランスを整えて着地、もう一方は床を滑って教室の窓際までやってきてしまいました。
もちろん後者が私です。
聞いていた通り暗い教室。
しかしながら真っ暗、というわけではなくて暗順応の済んでいないお目々でももる子さんの姿はハッキリと見えたのです。
何故かと言うと、暗がりの教室の奥、会議用の長机の上に置かれたモニターが煌々と光を放っていたからです。
それだけならただモニターがあるという事実だけであまり怖くも無いですが、光を遮るように揺れ動く髪のような物と身振り手振りをする何者かの姿がそこにはあったわけでして...。
私は「ひっ」と息を呑みました。
それと同時にもる子さんは叫びます!
「幽霊の正体見たり〜!!」
「こんあわ〜、今日も
もる子さんの叫びは虚しく暗幕に吸収されて、光りに照らされた可愛らしい声の主のシルエットだけが浮かびます。
私たちがいることなんか気にもせずに、彼女はひとりでモニターに向かって話を続けました。
「わ、みんな来てくれてありがと〜!今日もお家からじゃなくって、ちょっと違う場所でやってるから〜声が入っちゃったりしたらごめんなさ〜い!え?早速なんか聞こえた?うそ〜聞こえなかったよ〜?なんだろ〜?ちょっとまっててね〜」
カチッとスイッチのような音が聞こえると、シルエットだった彼女が立ち上がり、コツコツと私ともる子さんの前までやってきました。
「しずかにしろ」
「はい!」
「はい...」
「......おまたせ〜。おかえりありがとお。何してたかって?なんかお部屋に虫さん入ってきちゃったから追い払ってた〜」
何事もなかったかのようにモニター前に戻る彼女。
私達へ向けた憎悪にほかならないチクチク言葉とは正反対に画面に向かって温和そのものな猫なで声。
様子を見るからに、どうやら彼女は学校で動画配信をしているようでした。
もる子さんの耳にも一応は注意の声が届いていたのか、私に近寄ってコソコソと耳打ちしました。
「江戸鮭ちゃん、あの人何してんのかな?」
「...多分ですけど、配信してるんじゃないですかね...?ストリーマーさんってやつですよ」
「配信ってゲームとかやったりするやつ?なんで学校でやってんだろ?」
「そこはわからないですけど...。でもあの方はお喋り配信してるっぽいですね」
「へ〜。ちょっと後ろから見てくる!」
「え!?」
私が静止する間もなく、もる子さんはそ〜っと席についている彼女に近づきます。
「まずいですって!」といいながら、足音を立てないように後に続きます。
私もどんな事をしているのか気にならないと言ったら嘘になるわけでして、好奇心に動かされて足は自然と進みました。
配信の邪魔をしないように教室の端から画面を覗います。
「えっと〜、今日はお喋り配信ってことでやってこうかな〜って...え?ASMR?あ〜...サムネの?それも良いんだけど今日はやっぱりお喋りしたいな〜って!え?ささやけって?ん〜、また音はいっちゃってもさ〜、みんなびっくりしちゃうかなって思ってさ!ごめんね!そうそう、びっくりしちゃうで思い出したんだけど、今日あわね〜...え?何?トラッキングおかしい?めっちゃぶれてる?」
あわと名乗った彼女は、どうやらアバターを使った配信をしているようでした。
そしてそのアバターはあわさんの動きを上手く追っていないようで、上半身の二次元キャラがあっちこっちに行ったり来たりしています。
カメラの不調かなとも思いましたが、どうやらもっと物理的に簡単な理由で暴れ散らかしているようでして、いつの間にか私の隣からあわさんの背後に近づいていたもる子さんのお顔を追従していたみたいです。
「あはは〜なにこれ、こわ〜い。ちょっとまっててね〜マイク切るね〜」
カチンとスイッチ音がして、あわさんは振り返ります。
「おい」
「ん?な〜に?」
もる子さんは自分が何かをやらかしたとは思っていないようで、能天気そうに答えました。
「な〜にじゃねえよ。邪魔だよ」
「え!ごめん映ってた!?」
「映ってねえけど映ってんだよ。上半身だけ反復横跳びしてるみてぇになってんだろうが」
「アニメキャラが動き真似するのこれ?すごいね」
「すごいね、じゃないのよ。乗っ取るな私の分身を。去れ」
「もう少し見てちゃ駄目?」
「やだよ。なんで配信姿晒さねえといけないんだよ。何よりも恥ずかしいだろ」
「めっちゃコメント来てるよ?」
「あーカメラに寄るな。動くな、動かないで。わかった。わかったから。端っこにいろ。静かに端っこにいろもう。黙って立ってろ」
「わーい!江戸鮭ちゃんいいって!」
「わめくな。黙って立ってろ」
「はーい!」
元気に手を上げたもる子さん。
それを追従して荒ぶるアバター。
体裁をどうにか整えるあわさん。
もる子さんが教室の隅までトテトテと行ったことを確認して、配信は再開されます。
「ごめんね〜、なんかカメラにゴミついてたせいかも〜!めちゃコメント来てるねゴメンね〜。じゃあお喋り再開?スタートしよっか〜」
「江戸鮭ちゃん。ああいうのバーチャルなんとかっていうんでしょ?」
言いつけどおり、もるこさんはヒソヒソと話しました。
「そうですよ、たぶん」
「へ〜そうなんだ。真っ暗な部屋で大変だね」
「まあ、それが好きでやっているんでしょうし...」
「それもそうか」
「それにコメントの数的にも人気そうですし...やっぱりたくさん人が来れば楽しいんじゃないですかね?」
「たしかに!」
「だから〜、今日はASMRは無しだって〜!」
「江戸鮭ちゃん。ASMRって何?」
「ASMRですか...。え〜っと...なんというか...こう、気持ちいい感じの音とか...ゾワゾワ〜ってやつ...」
「ゾワゾワ?身の危険を感じるときのやつ?」
「いやそうじゃなくて...。もっとリラックスできるやつです」
「リラックス...よくわかんないから調べてみる」
もる子さんはスマホを取り出してポチポチといじり始めました。
「なになに〜...聴覚や視覚で感じる心地よいとか、脳がゾワゾワする感覚...?おん?」
「なんか、ありませんかそういう感覚...。こう聞いてて気持ちいいな〜って音とかそういうの...」
「自律感覚絶頂反応って書いてあるけどエッチなやつなの?」
「ぶっ!...いやあのねもる子さん...」
「だって自立感覚の絶頂だよ?絶頂って言葉使う?絶頂だよ?言わないでしょ絶頂!」
「絶頂絶頂言わないでくださいよ!卑猥なこと以外にも使いますよ絶頂!」
「自立しちゃった感覚の絶頂からの反応だよ!?なんかもう駄目だよ!絶頂で調べてみてよ!ねえ!」
「調べなくて良いですから!」
私達が顔を見合わせて言い合っていると、ひゅっと何かが飛んできて会話を遮りました。
通過した何かが着弾した方を見てみると、硬めのマウスパッドが鋭利にもカーテンに突き刺さっています。
見たくはありませんでしたが、投げたであろうお方に目をやると、口調は全く変わらないのに目だけをカッと見開いていて目線をこちらにやっていました。
私ともる子さんはおずおすと姿勢を正しました。
「怒られちゃったね」
「そうですね...」
「黙ってみてよっか」
「そうですね...」
「...。」
「...。」
「江戸鮭ちゃん。あーゆーアニメっぽいキャラって自分で作るのかな?」
「早くないですか?」
「気にならない?」
「...ああいうのは描いてもらったりするんですよ」
「へ〜、そうなんだあ」
「...。」
「...。」
「この配信って私達も見れるの?」
「だから早くないですか?」
「気にならない?」
「気になるというか...見れるんじゃないですかね、限定公開とかじゃなければ...」
「へ〜...」
「...。」
「...。」
「...何やってるんですかもる子さん」
「え?配信されてるのかな〜って気になったから。スマホで調べてる」
「...はあ」
「なんて名前だったっけ?あのひと」
「...たしか、なんとか『あわ』って言ってた気がします」
「あわ...なんだろうね」
「初見さんこんにちあわ〜。日本海からやってきたクラゲの妖精、
「何故あわちゃん...と」
「...出てきました?」
「うん。すごい、結構人気だよ」
「どれどれ...おー...」
「これさ、スマホでも聞いたら二重に聞こえるのかな?」
「え?」
「き「昨日の配信で〜、オススメのゲーム聞いたじゃない?それを調べたらさ〜なんかすごく難しいみたいで〜、超鬼畜とかでてきて〜」て〜」
「もる子さん!二重になってる声二重になってるから!」
「ゴメン!音大きくしたままだった!消すから!消すから!」
「そ「そ「そ「そんなのあわにやれって言うの鬼すぎ〜って思わない〜?みんなが見てて面白いなら良いんだけど〜グダグダしちゃってもやだし〜」し〜」し〜」し〜」
「逆逆!音上がってる!音量マックスになってるからもる子さん!!」
「あわわわわ!消えて!画面消えろ!」
「なんでこんな時に画面固まってんですか!?早く!早く!」
「もういい!捨てる!捨てる!」
そう言ってもる子さんは窓を開けてスマホ外に放りました。
「セーフ!!!」
「オイ」
「「はい」」
「うるせえって」
「「はい」」
「なんで静かにできない」
「「はい」」
「見るなら静かに。うるさいなら去れ」
「「はい」」
私ともる子さんは、直立不動でお話を聞きました。
「怒られちゃったね」
「...そうですね」
「静かにしてよっか」
「...そうですね」
それから数分間、私たちは配信の裏側というもの珍しい光景を眺めていました。
流れるようなコメントの数々を捌き、矢継ぎ早にこぼれ出てくるお話、息つく暇もなく喋るあわさん感心してしまいました。
「すごいね」
「すごいです...」
「趣味、というか好きなことを突き詰めると達人になれるっていうやつだね。こんなにひとりでお喋りできるって才能だよ」
「そうですねえ...」
「私たちも見習わないとね!きらら部らしく、きらら系の真髄をゴリゴリ詰めて行こ!」
「ええ...ん?」
達者なあわさんに見惚れていてすっかり忘れていましたが、私たちは別の目的があってここに来たことを思い出しました。
「...もる子さん。そういえば、私たちここにミシン取りに来たんじゃないでしたっけ...?」
「あ...そうだった!」
もる子さんも目的を思い出したようで、ハッとこちらに顔を向けました。
それから二人で周囲を見渡すと、あわさんが配信を行っている机の上方、棚の上にミシンがあることを確認しました。
「...厄介なとこにありますね。また今度にしましょうか...」
「行けるって!」
もる子さんはポケットからシワシワの紙を取り出すと「ミシンを取ったら帰ります。ありがとう!」と書き込みました。
それを注意深くそっと机の上に置くと、あわさんはそれを横目で確認して、配信に影響がないように小さく頷きました。
ですがそのミシンは机の上方の棚に置かれているわけでして、私が背伸びをすれば届くとは思いますが、きっとカメラに映り込んでしまうことでしょう。
もる子さんがどうするのかと思っていたところ、彼女は背を低くするとあわさんの右斜後ろに回り込み、大胆にも跳躍したのです。
あわさんの横をかすめながら静かに机の上に飛び乗ると、そーっとミシンに手を伸ばします。
あわさんはその奇行にありえないほど顰め面。
突き刺さるほどの眼力で視線をこちらに送ってきました。
私は音を立てないようにペコペコと頭を下げることしか出来ません。
背の低いもる子さんはなんとかミシンを手にしようと奮闘しますがあと一歩届かず。
もる子さんは「ふんっ」と極限まで背伸びをしました。
同時に机の重心がもる子さん側に傾きあわや大惨事。
あわさんは足を伸ばし、手を伸ばし反対側に全力で体重をかけます。
それでも笑顔は崩れません。
ぷるぷると両人の手足が震えていましたが、先に震えが止まったのはもる子さん。
ミシンに手が届いたのかピタリと体を安定させました。
すると今度は力を込めまくっていたあわさん側が傾きます。
机の上のモニターも傾きますが、笑顔もトークも崩れません。
すぐさま手の力を緩めればドスンと並行は保てたでしょうが、音を立てるのが嫌なのか、ゆっくりゆっくりと重心を保ちながら机を戻します。
左足を机の脚と床の接地面の部分に添えて、そこを支点に力技です。
そうしてようやく平行に近づいた机でしたが、そこであわさんがビクリと体を跳ねさせました。
何が起きたのかと目を凝らしたところ、支点にしていた左足の爪先を机の下に挟んでしまったようでした。
しかしもる子さんはそんな事に気づきません。
座りが悪い机をに体重をかけてなんとかガタつきを無くそうと尽力しています。
もる子さんの体重移動の度にあわさんの眉が跳ねる様はまるで正弦波のようでした。
足を引き抜くべく、今度は右側へと机を傾けて足を浮かせます。
ありえないほどプルプル震える左腕で机の片側を持ち上げて、爪先を救出。
少しばかり持ち上げた机の脚を戻しましたがそこでまたトラブル。
上げ下げした衝撃か、決して新しいと言えない机はへそを曲げたように左側の脚を鋭角に曲げたのです。
次は下がらないように下がらないようにと、あわさんは全力で机を支えます。
長机というだけでも重いのに、モニターにPCにもる子さんまで乗ったそれを左手一本で支えるあわさん。
その表情は西洋の人形劇のキャラクターのように固定されて、目をかっぴらいていました。
流石にヤバいと思った私は、コソコソと背後を通って机の脚に手をかけます。
あわさんと一緒になって落下しないように支えながらなんとか脚を九十度に、といったところで何故今まで動かなかったのかは分かりませんが、熱々のコーヒーが入ったマグカップが倒れ、私とあわさんめがけて流れてきました。
んん!?と思った私たちは、降りかからないようにと今度は右に机を傾けました。
ですがそうすればもる子さん側が低くなるのは当然でして、ミシンの下段を掴んだ彼女は宙吊りに。
瞬時にヤバいと思ったあわさんは、もる子さんの足元を掌で支えます。
私も急いで机の脚を戻しました。
そして置いてあったティッシュペーパーで速やかにコーヒーを拭き取りました。
もる子さんもなんとか机に足をつけ、ミッション完了です。
謎の一体感に包まれましたが、あわさんの表情は全く穏やかではありません。
そんな彼女に私は頭を下げることしか出来ませんでした。
シュタッと机からもる子さんが降り立って、またもや屈みました。
そうして私のいる机の左側までコソコソとやってきます。
「取れた取れた!セーフ!」
「ぜんっぜんセーフじゃないですよ!...見てくださいよあわさんを...。配信の口調は柔らかいのに顔だけキングクリムゾンのジャケットみたいになってますよ...」
「大丈夫大丈夫〜!ほらほら!怒られないうちに帰ろ!」
そうもる子さんは私の背中を押しました。
...とりあえずまあ一件落着、ということで私はなるべく体勢を低くして教室を後にしようと歩き始めた時、
「うごぉ!?」
ドンガラガッシャンと背後で物凄い爆音が鳴り響きます。
ぱっと振り返ると広がっていたのは地獄絵図。
躓いたのか、床に倒れるもる子さん。
何かに捕まろうとしたのか、壁にあった蛍光灯のスイッチを押したらしく部屋は灯りに包まれました。
ですが、どういうわけか配信中のあわさんのモニターは真っ暗になっていました。
よくよくみればもる子さんは、床を這っていたコードに躓いたようでして...、先程まで顔を歪ませつつも和気藹々としていたあわさんのお喋りがピタッと止まりました。
「あ、あはは...、すみません...でした...」
いつも元気なもる子さんも、流石に汗を流しながら敬語で謝罪。
それを聞いたあわさんは、一度大きく深呼吸をしてからこちらにクルリと振り返りました。
「笑ってんじゃねえよこの野郎がよぉ!!」
それと同時にこちらに指をさします。
いつの間にか、彼女の瞳は菱形を描いていて、ピンと伸ばした先端からぽわっと直径二センチほどのシャボン玉が姿を表したのです。
それだけでも「え?」と私は驚いて、危機的状況に表れたきれいな球体に唖然としてしまいました。
雰囲気に似合わず、ぽわぽわと浮かんだそれは一直線にもる子さんをめがけて跳ぶとミシンに当たって弾けます。
「え?」
何が起きたか、もる子さんのお膝元にあったミシンが消えるように、スッと色が薄くなったと思うと、元々無かったかのようにそこから姿を消しました。
「ぜっっっっっってえ許さん!!!!」
あわさんは立ち上がって、窓側を背後にしてまたもやこちらに指をさしました。
「配信の邪魔をするなら誰だろうと消えてもらうからな!!」
「ちょ、ちょっと待って...!」
私の制止もままならないで、あわさんは頭をかきむしりました。
「もぉおおおおおお!!!」
指先からぽわっと浮かんだシャボン玉に、あわさんは息を呑み吹きかけます。
速度がついたシャボン玉はもる子さんに一直線。
直感的に危険だと思った彼女は既のところで避けました。
積み重なった荷物にぶつかったシャボン玉が弾けると、それと一緒に霧散します。
「まって!まってあわちゃん!ごめんなさい!ほんとごめんなさい!」
「知るかボケェ!」
薙ぎ払うように振られた手からフワフワと無数のシャボン玉が湧き出ました。
手を降った勢いそのままに、ほぼ等速直線運動するそれはまたもやこちらに向かってきます。
唖然とする私の襟をもる子さんが引っ掴み、なんとか避けきりました。
「江戸鮭ちゃん。これかなりやばいよね!?ね!?」
「ヤバいですよ!もの消えてますよどうするんですか!?」
なんて言っていたところ、フワリと軌道を変えたひとつがもる子さんのカーディガンにぶつかって弾けました。
「あ」
「あ」
私は急いでもる子さんに忠告します。
「脱いで!もる子さん脱いで早く!」
「あわわわ!!」
ぽいと脱ぎ捨てられたカーディガンはゆっくりと色味を失い消えていきました。
「うわぁ...江戸鮭ちゃん、どうしよ...」
「...今までと格が違いますよ...」
「逃げる...?」
「逃げるっていっても...どうやってですか...?」
あわさんは既に場所を変えて、教室唯一の扉の前を陣取っていました。
「どうしよっか...」
ふっ
私たちの会話など許さないというように、あわさんはまたもや息を呑み吹きかけます。
すぅっと飛ぶシャボン玉の狙う先はもちろん私たち。
もる子さんに引っ張られながら距離を取ったのは良いものの、まるで導かれるようにシャボン玉の軌道もこちらに逸れてきます。
躱すアテはないと思ったもる子さんは、釣られたカーテンを掴み取り、私もろとも包みます。
ですがそれも一時しのぎ。
色味を失ったカーテンは私たちとあわさんの視線を遮ることはなくなりました。
あわさんはドアの前から動きません。
教室半個分の距離があっては、流石のもる子さんも迂闊に手が出せないようです。
その上触れたものを消すシャボン玉があっては尚更です。
そうはいっても距離を詰めないにはどうにもならない訳でして、
「むむむ...これは一発で決めるしかないね...!」
「でも...」
「大丈夫!シャボン玉に当たらなければ良いんだもん!」
もる子さんはクラウチングスタートをするように、足に力をためます。
あわさんの罵声と同時にシャボン玉がひとつ宙に浮かびました。
もる子さんがスタートを切ったのはそれと同時。
直線コースを避けて迂回するようにあわさんの真横に回り込みました。
そして毎朝行われている一撃に忖度ない威力の拳を叩き込む...と思ったのもつかの間、右腕を軽く振ったあわさんの指先からは、いくつかのシャボン玉が生成されていた訳でして。
「あ」
ぱちん、と音を立てると同時に、もる子さんはセーラー服を脱ぎ捨てました。
そして半透明になりつつあるそれを、目隠しになるようにあわさんの顔面へと投げつけて一閃、セーラー服越しに鋭い下段突きがお腹のあたりに刺さりました。
しかしながらあわさんは微動だにしません。
宙を舞っていたセーラー服が脆くも消え去ると、もる子さんの手の先が顕になります。
ですが、その拳はあわさんの左手に受け止められていたのでした。
もる子さんもそれには想定外と思ったのか、後退りして距離をおきます。
あわさんの左手からはフワフワとまたひとつシャボン玉が浮かび上がりましたが、それは誰かを狙うわけでもなく少しばかり浮遊すると、ぱちんと消えてしまいました。
「そのレベルで勝てると思ってんの?あわに」
「...。」
まさに今までにない強敵。
肌着になったもる子さんには、次の一手はありません。
ですが降参するというわけにもいきません。
謝罪をして許してもらえるというものでもありませんし、なによりもる子さんとって「勝てない」という状況が最も最悪だからです。
学園の改革を目指し、生徒会風紀委員会へ反旗を翻した彼女が、一般の生徒に負けるわけにはいかない。
いままでなぎ倒してきた刺客のように、必ず勝たなければいけない。
学園内で最も強くなければ、彼女の目標は達成できないからです。
もる子さんは重心を低くしてから拳を握り直し、長く息を吐きました。
それを見るあわさんの瞳は一分の隙もありません。
きっと次の一手ですべてが決まる、と私でさえ思える緊迫感でした。
先に動いたのはあわさん。
瞳が青色に光ったと同時、伸ばしていた腕を振るうと、いくつものシャボン玉がわき出しました。
それとほぼ同時、もる子さんも動きます。
ですが先程のように迂回を挟んだ一歩ではなく、完全な直進。
シャボン玉に当たることを厭わない特攻です。
きっと彼女はシャボン玉が当たってから、物体が消えるまでのタイムラグの間に勝負を決めるつもりなのでしょう。
たった数歩の短い距離。
もる子さんの拳があわさんのシャボン玉に触れました。
それでも彼女は止まりません。
拳を振り抜く勢いは止まることはありませんでした。
ですが、あわさんもそれはわかっていたようで。先程の一撃と同様、もる子さんのインパクトの位置に手を添えて、その掌からシャボン玉を生成すると、それに吸収されるように呆気なくもる子さんの攻撃は受け止められたのでした。
シャボン玉の当たった手先から、徐々に色味を失い始めたもる子さん。
彼女は次の一手が本当の最後とわかっているかのように、左手に力を込めて思い切り引きました。
しかしもる子さんの左手は───。
「なにやってんだ」
この緊迫感を打破したのは鶴の一声。
扉のそばに立つ祈さんでした。
彼女は小さくため息をつくと、面倒くさそうに指パッチンをします。
同時にもる子さんは色味を取り戻し始めました。
祈さんはもう一度ため息をつきました。
「あわ。配信の音スゴイことになってるけど何やってんの?」
「え?」
あわさんがその場でクルッとターンして、祈さんに詰め寄ります。
「え?え?何?
「いやだから、配信よ。奇声と罵声ばっかり聞こえるんだけど。アバターも動かないし。コメント大混乱だよ」
「え?え?」
すぐさまスマートフォンであわさんの配信を確認しました。
するとどうでしょう。
電源が切れてしまったにも関わらず配信中のまま。
凄まじい速度でコメントが流れているではありませんか。
私はもしやと思い、もる子さんが意図せずも引っこ抜いてしまったコードを電源タップに突き刺します。
そして長机にあるモニターの電源ボタンを恐る恐る押しました。
何ということでしょうか。
切れていたのはモニターの電源のみ、パソコンの電源自体は切れていなかったのです。
「...。」
私はマイクに手を伸ばして、スイッチをオフにしました。
──────
「ああああああああ...おわった...あわ終わったよもう...」
「すみません...」
「ごめんなさい」
着席したあわさんは、何度も拳で机をたたきました。
私たちはそれを見て三つ指揃えて陳謝するしかありません。
「まあまあクラゲ。バトル漫画みたいでカッコいいってコメントに書き込まれてたよ」
「イメージ!イメージが崩れるの!あわの築いてきたイメージが!あとクラゲって呼ばないで!」
「はいはい」
「ああ...もうどうすればいいの...転生するしかない...一回転生するしかないよ...。あぁ、またお金が...」
「すみません...」
「ごめんなさい」
「まあ良いんじゃない。罵声系にシフトチェンジしたらどうかな」
「いやだ!あわはカワイイのが良いの!」
「はいはい」
「絶対許さない!二人を!絶対に!許さない!」
「すみません...」
「ごめんなさい」
「まあ江戸鮭くんも、もる子くんも悪いことはわかるけどさ...。許してやってあげたら?」
「いやだ!ああ...SNSでも話題になってる...まとめサイトに載っちゃう!やだ!載りたくない!炎上やだ!やっぱり消す!この二人消す!」
あわさんはそう言って、憤怒の形相を向けました。
「ひえ...」
「こらこら。物騒なやつを使うなって。他の配信系の部活に使って怒られただろう」
「でもやだ!消す!絶対消す!」
「はあ。君ねえ...」
ため息をついた祈さんは、スマートフォンを見ました。
どうやらまだ配信中になっているあわさんのライブを確認したようです。
「あわ、なあ見てみなよ」
「やだ!みない!あわみない!あわの目はない!おいてきた!」
「見てみなって。スゴイよ登録者数。めっちゃ伸びてる」
「...まじ?」
「まじ」
そこからのあわさんの行動はとっても早かったです。
モニターを確認し、何かの桁数をチェックしたと思ったらすぐさまスマートフォンに目を移します。
またもや何かの桁数を数えるようにしてから、長く細い息を吐きました。
カチリ。
「おまたせ〜!あわの帰還だよ〜!どうだったかなあわの迫真の演技!カッコよかった?カッコよかったかなあ!?実はぁ、今度とある人とコラボした時にやろうと思ってたぁ、ボイスドラマの台本でしたぁ!びっくりしたぁ!?びっくりしたぁ?」
突然に元気を取り戻したあわさんに、私ともる子さんは呆然とすることしか出来ませんでした。
「江戸鮭くん。もる子くん。あんまり無茶なことしたら駄目だよ」
私達の前に回り込んだ祈さんは、小さな声でそう言いました。
「はい...」
「は〜い...」
「まあ、今回はなんとかなったけどさ、毎回うまくはいかないからね」
「...肝に銘じておきます」
「よろしい」
「それともる子くん」
「はい」
「君も、勝てないと思ったら突っ込むべきじゃあないよ?わかるね」
「はぁい...」
「危うく他の部活の人たちと一緒になるとこだったよ」
「あの...、それはどういうことですか?」
「くら...あわの能力。シャボン玉出てきたでしょ?あれに触れるとね徐々に濃度が薄くなる」
「濃度...?」
「消えたようになっちゃうんだよ。実際は消えてなくってそこにあるんだけどね。物に当たれば空間に希釈されるし、人も同じだ。例えば君らが砂糖のひと粒だとしたら、あわのシャボン玉は水だね。存在はするけどなくなってしまう」
「お、おぉ...そういう事だったんですか...」
「そうだよ。ま、あわが薄くしたことを忘れるか、濃度を濃くすればもとに戻るけど」
「...もしかしてその薄くする能力とバーチャル系の部活の方々がいなくなってるのは何か関係が...」
「ないことはないよ。そりゃあ。ナンバーワンになりたかったんだろうね。あわ。同じような活動してた人たちの記憶を希釈しちゃったんだよ」
「えぇ...」
「だからむやみに喧嘩を売らないこと。いくらもる子くんが強くとも勝てない人だっているからね」
「...うん」
もる子さんは力なく返事をしました。
「それかもっと強くなることだよ。力だけじゃなくってね」
「...。」
それから私たちは、あわさんの配信が終わるまで三人揃って見学させてもらいました。
配信後にもう一度謝罪をしましたが、あわさんはご機嫌で「次からは気をつけてね」と簡単に許してくれました。
何かあれば何でもお手伝いしますと一言添えて、私たちは物置を後にしました。
一度教室に戻って鞄を取ってから、きらら部の部室に向かいましたが既に誰もいませんでした。
暗くなり始めた空を眺めながら、私ともる子さんは校舎を後にしました。
「...江戸鮭ちゃん。ごめんね」
「...いえ、私も悪かったですから」
「ううん。そうじゃなくって...」
「...なんでしょうか...?」
「私、あのままだったらきっと負けてた。七並べちゃんにも、他の刺客の人にも負けないって思ったのに、負けちゃってた」
「......。」
「あ〜あ〜、せっかく鍛えても駄目か〜って、悔しいなって思った」
「......もる子さん」
「だから、今日からは絶対に負けない。何があっても負けたくないから。もうこんなに悔しい思いしたくない」
いつも笑顔で私の目を見るもる子さん。
彼女の瞳はいま、どこかずっと遠くを、けれども目の前をずっと見つめています。
「これからは絶対勝つ。だからさ江戸鮭ちゃん。私と一緒に生徒会、目指してくれるかな」
「...。」
決して私は生徒会に入りたいなんてことはありません。
そのうえ乗っ取ろうだとか、学園を変えたいだなんて思いません。
ましてや生徒会長だなんて。
ですが、私はこれから自分に課されるであろう苦難よりも、隣で困難に立ち向かおうとする友達を応援したいと思いました。
私を守ってくれて、消えてしまうかもしれないという恐怖に、絶対勝てないだろうという絶望に一人で立ち向かった小さな彼女の助けになりたいと。
私を見つめてくれない彼女が、私はたまらなく嫌だったのです。
「...もる子さん。頑張りましょう」
「...!ありがとう」
私の考えは泡よりも脆くて、儚くって、弱々しいかもしれません。
それでも私は、初めてできた心から信頼しても良いという友人を大切にしたいと思ったのです。