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第8話 秘密の関係

 それからぼっちくんは約束通り、私を家まで送ってくれた。


「おこげに会う?」

「いや、また今度にするよ」

「そっか。じゃあまた……」


 私は名残惜しい気持ちで自宅の玄関の前まで行って、後ろを振り返った。


「ありがとうね、ぼっちくん!」

「おう」


 ぼっちくんに手を振ると、彼はあっさりと私に背を向けようとする。あっさりしすぎだと不満に思ったそのとき、私はバッグの中に入れてあった、ぼっちくんのシャツの存在を思い出した。


「あっ、待って!」

 アイロンはちゃんとかけたけど、中でくしゃくしゃになっていないか心配になってそーっと取り出す。


「これ、ありがとう。すっごく助かったよ」

 ぼっちくんに渡すと、彼はメガネを外し、マスクをちょっとだけずらした。


「……七瀬」

「は、はいっ」



「……俺みたいな底辺と一軍の七瀬が仲良くしゃべってるとこを誰かに見られたら、みんなに変だと思われて俺の素顔がバレる可能性が高まる。俺は今まで通り静かに過ごしたい。学校じゃあまり話しかけないようにしてくれ。もちろん、今日話したことや俺の正体のことは誰にも秘密だ。分かったな?」


 ぼっちくんの真剣な瞳にドキュン。と心臓が跳ねた。


 ぼっちくんの正体は私だけが知る特別な秘密。特別な関係。

 ああ、なんて甘美な響きなんだろう。



「じゃあな」

「うん……」


 優しい声でそう言われて、私は圧力鍋に入れられたみたいにトロトロになってしまった。

 ぼっちくんの沼にこのままどこまでも落ちて行きそうだよ……。



 ──



 朱里が玄関の中に入っていくのを見届けると、昂輝はそっとため息をついた。


 ──私とぼっちくんって、前の人生で何か関わってた……?


「言えるわけねえだろ、バーカ」


 さっきの朱里の言葉を思い出して、昂輝は思わず独り言をこぼす。

 家路に向かう彼の姿を、夕陽が優しく包んでいた。




 ──




 ──坪内昂輝、一周目人生、某日。


「もう、めちゃくちゃかっこいいよね! 昂輝くん」

「マジそれな。こないだ、黒板の手が届かなかったところをサッと拭いてもらったの! 手が触れそうになってドキドキしたー!」

「ええっ、いいなあ。私もそういうことされたーい!」


 授業の合間の休み時間、昂輝がトイレに行くため少し席を離れているとそんな会話が女子の間で交わされている。

 こそばゆくて教室に入れない。


「噂なんて気にするくらいだったら、親切なんかやめればいいだろ?」

 って、心の中の悪魔が言う。

「いやいや、困ってる人を助けるのは当たり前!」

 って、心の中の天使が言う。

 でも、偽善者みたいで嫌いなんだ。

 昂輝自身はそう思う。


 女に優しくすることを意識していたら、いつの間にか癖みたいになって、気がつくと人助けをしている。

 そんな自分が計算高い偽善者みたいで、好きじゃない。


「本当に優しいよねえ、昂輝くんって」


 やめてくれ。別に、そんなんじゃない。

 ますます教室に入りづらい。すると、中から別の女子の声がした。


「私はちょっと……苦手かな」


 昂輝はそっと教室の中を見た。

 サラサラの長い髪が清楚で、瞳が大きくて常にキラキラしている白い肌の美少女──七瀬朱里が発言したようだ。


「なんで? どこがダメなのさ! 昂輝くんは完璧じゃん?」

「んー。そうなんだけど……そこが逆に……苦手かも」

「朱里ってイケメン嫌いだもんね」

「そういうわけじゃないけど……坪内くんは完璧すぎて、きこりが斧を落とした泉から出てきた綺麗な坪内くんみたいなんだもん」


 誰が綺麗な坪内くんだよ。

 朱里の独特な例えに、昂輝は思わず心の中で突っ込んだ。

 朱里の友達も「なんだそれ」とコケている。


「綺麗ならいいじゃん。どこがダメなのさ」 

 友達の問いに、朱里は真面目な顔をして続けた。


「えーとね、つまり、綺麗すぎて……本当の坪内くんっていう人がどんな人なのか全然分かんないんだよね。みんなの坪内くんじゃない本当の坪内くんはいったいどんなことを考えているのかなって……分かんなくて不安になっちゃう」


 昂輝は何故かドキッとした。

 本当の自分が隠れてここにいることを、朱里に気付かれたような気がして。


「それって昂輝くんが私たちに嘘ついてるってこと?」

「あ、ううん。多分そういうことじゃなくて……坪内くんは誰といてもいい人でいようと頑張りすぎてるんじゃないかなって思って……。あ、それって結局いい人ってことなのかな? よく分かんなくなっちゃった」

「は? 何言ってんの朱里」


 あはは、と友達に笑われ、朱里も笑う。その何も取り繕っていない自然体な笑顔が、真夏の夜に咲く花火のように眩しかった。


 ……いいな。あんなふうに笑えて。

 胸が摘まれたように痛くなって、彼女の笑顔から目が離せない。


 するとその時、教室の中から誰かの舌打ちが聞こえた。



「……ムカつく。七瀬朱里」



 その声は、昂輝のいる廊下のとても近い場所から聞こえた。ちょうどその壁の裏に誰かが立っているようだ。


「昂輝くんのこと何も知らないくせに……ちょっと可愛いからっていい気になって、偉そうに昂輝くんを批評するなんて……許せない」


 誰だこいつ。


 昂輝は教室に入って、発言した女子を見た。

 そこにいたのは──このクラスで朱里の次に可愛いと人気のあるあざと女子、河合エリカだった。エリカは昂輝に気がつくと、作られたような可愛い笑みを見せた。



「私は、昂輝くんの味方だからね」



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