「はあ、はあ……」
息が切れて、汗が出る。
重い鉄製のドアを開けると、屋上には夏の雲と青い空、少しの風が吹いていた。私のスカートがハタハタと揺れる。
高い給水塔が立っている以外、目につくものは特にない。日差しが強くてコンクリートの照り返しが眩しかった。
ダッシュのせいで心臓が弾んでいたけど、ぼっちくんがいるかもしれないと思ったら急に別のドキドキが襲ってきた。
「ぼっちくーん? いるー?」
まだ来てないのかな。
乱れた髪を手櫛で直しながらソワソワしていると、背後から階段を駆け上ってくる足音が聞こえた。
「ぼっちくん⁉︎」
ホッとして振り向こうとしたとき、背後から誰かに突然口を塞がれた。さっき私が開けたドアの裏に何者かが潜んでいたようだ。
「んぐっ⁉︎」
だれ⁉︎ 人攫い⁉︎ 変質者⁉︎
怖い! 助けて、殺されるーっ!!
大声で叫びたかったけど、その人の力が強くて抵抗らしいこともできず、私はその謎の人物にドアの裏まで引きずり込まれてしまった。
「ん〜! ん〜!」
(訳:ぼっちくん、助けてーっ!)
「シッ。静かにしろ」
暴れる私を背後から抱きしめるようにしてその人が囁く。すると、嗅いだことのある柔軟剤の匂いが彼の半袖の袖口から香ってきて、私はドキッとした。
この匂いは……忘れもしない、ぼっちくんに借りたシャツの匂い!
洗濯機に入れるまで何度もすんすんと変態みたいに嗅ぎまくったから、間違いない!
っていうことは、この人は……。
私はそっと首だけ動かして彼を確認した。
「俺だ、バカ」
彼は片手でメガネとマスクを同時に外した。思った通りの顔がそこにあった。
「ぼっちくん……!」
「静かに」
ぼっちくんの大きな手が再び私の口を覆う。私の体は意外と男らしい彼の腕の中にすっぽりと包まれていた。
待って。なにこの天国。バックハグってこんなに幸せなの⁉︎ 知らなかったよ!!
幸せすぎて本当に昇天しちゃいそうになっていたその時、屋上に誰かがやってきた。ドアの裏にいた私たちにはその人の顔を見ることができなかったけど、その人の独り言で誰なのかが分かった。
「朱里ちゃん、いないか。階段を上がって行ったからここにいると思ったんだけど……」
古河くんだ。この人、まだしつこく私のことを追いかけてきたんだ。
でも、どうして私なんかを?
「はあ……いきなりフォロワーだなんて言ったのがいけなかったのかな……。怖がるよな、やっぱり……」
古河くんはがっかりしたような声で言う。
「俺はただ……ハード朱里ファン……略して
何だそれ。初めて聞くワードなんですけど。
固まっている私たちには気づかないまま、古河くんは諦めて校内に戻っていったようだった。
しばらくしてからそっとドアの裏から抜け出してみると、古河くんが立っていたところに何かキラキラしたアクセサリーのようなものが落ちていることに気づいた。
「何だこれ」
ぼっちくんが拾い上げる。
よく見ると、それはなんと私の全身の写真を加工したアクリルスタンド……略してアクスタ……だった。
「……マジで何だこれ。七瀬、自分のグッズ出してんの?」
「いやいやいやいや。こんなの売ってないよ!!」
「じゃあ自作か? おいおいマジか」
すると、猛烈な勢いでまた階段を駆け上がってくる音がしたので私たちはアクスタを放り出してまたドアの裏に隠れた。
「ああああっ、やっべ!! 良かった、あった! マジで失くしたらどうしようかと思った! 俺の大事なオリジナル朱里グッズ……こんなもんを誰かに見られたら恥ずかしすぎて頓死してたわ」
やべえやべえと言いながらアクスタを拾って、今度こそ本当に古河くんは去った。
「何だあいつ……マジで七瀬の推し活してるのか。ただのキモオタ野郎じゃねえかよ。ある意味怖えな」
ぼっちくんは古河くんの意外な正体に気を取られて気づいていないようだけど、その手でしっかり私を抱きしめていることにそろそろ気づいてくれないと、私が昇天します。
私は目を閉じてそっと祈る。
ああ、神様お願いします。あと五秒でいいから、このままでいさせてください!
っていう私の願いは残念ながら一秒で破れ、ぼっちくんはすぐに私から手を離した。
「ごめん。つい」
「いえ……どういたしまして……」
私はモジモジしながらぼっちくんから視線を外した。やっぱりいざ二人きりになると恥ずかしい。
「ぼっちくん、どうしてここに隠れてたの?」
「廊下であいつから逃げ出す七瀬を見て、屋上に逃げ込むと思ったから……別の階段から先回りして待ってたんだ。それにしても厄介なことになったな。まさかあいつがあそこまで七瀬のことを好きだったとは」
「どうしよう、ぼっちくん。私、これからどうやって古河くんと接すれば……?」
「ただ逃げ続けても追いかけてくるタイプだって分かったからな……」
ぼっちくんの言う通りだ。
今はなんとか振り切ったけど、それは一時的なことだ。問題の解決にはならない。
「ぼっちくんの一周目の時は、ファンの子に付きまとわれたりしなかったの? そういうとき、どうしてたの?」
「全員に優しくして死んだ」
「そうだった……」
ぼっちくんの一周目の人生は反面教師にしかならないんだった。
「じゃあいっそのこと、古河くんにも本当のことを言って味方になってもらうっていうのは?」
「あいつがこんな話を信じると思ってんのか?」
このままだと私は98日後に死ぬんです。なんて……信じるわけないか。
それに、もし仮に信じたとしたら。
「それなら、俺が君のことを守るよ朱里ちゃん!」
って、キラキラした笑顔でヒーロー役をぼっちくんから横取りしそう。そんなの絶対に嫌だ。
「とにかく、目立つのは困るって釘を刺して付きまとうのをやめてもらうしかないな。七瀬の言うことなら素直に聞くかもしれない。今日の放課後とか早めに呼び出して、恨みを買わないように慎重に言葉を選んで伝えられるか?」
「うん」
「もししつこくされたらすぐ俺に言え。絶対に一人で悩むなよ」
私はぼっちくんの真面目な横顔を見上げて嬉しくなった。
「良かったあ」
「何が」
ぼっちくんが不思議そうに私の方を向く。
「今朝のこと、ぼっちくんが怒ってるのかと思ってたから。ちゃんと私のこと、心配してくれてたんだね」
「当たり前だろ」
即答にきゅん。やっぱりさっきの冷たいぼっちくんはただの演技だったんだ。本当のぼっちくんはこんなにも私に優しくて、私のために一緒に悩んでくれる人。それが分かって、もう百人力になった気分。
だけど、ぼっちくんの表情にはまだどこかに緊張感が漂っていた。
「……どうかしたの? あ、そういえば私に話があるって言ってたけど……何の話だったの?」
わざわざ屋上に呼び出して、二人きりで話したいことって言ったらやっぱり……。
期待半分、ガッカリの覚悟半分でぼっちくんを見つめると、彼は真剣な顔で呟いた。
「実は……ちょっと気になってる奴がいてさ」