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Haisha of the Dead Ⅳ



 僕はダイヤモンド製のバーをタービンに装着し、水を注ぎながら慎重に削り始める。ところが、すぐに異変が起きた。


 削るたびにバーが目に見えて小さくなっていくのだ。


「……硬すぎる。これ、一度うがいして待っててね」


 器具を置き、消毒室に向かう。その背中に、フォンファのぼやきが追いかけてくる。


「やっぱダメっすか? ウチの歯、キョンシーにされた時の魔法のせいでクソ硬いんっすよ。道端にたまたま落ちてた魔剣でガリガリやっても尖ったまんまだったっす」


 しょんぼりした声と内容が全然釣り合ってない。というか、捨て猫感覚で魔剣拾うなよ。消毒室で独りツッコミをしながら、僕は厳重に保管された棚の奥から当院自慢の秘密兵器を取り出した。


 戻ってきた僕が、異質な輝きを放つソレを掲げると、フォンファの目がまるで子供のように輝いた。


「ま! これなら間違いない。このオリハルコンのドリルなら大丈夫だよ」


「あの伝説のやつっすか? 実在するんすね!」


 さっきまでの態度とは明らかに違う。フォンファは尊敬の眼差しを僕に向けてくる。そうだろう、そうだろう。


「ドラゴンの歯を削る時はこれ以外無理だからね」


 自分で言っておいてなんだけど、ドラゴンの治療は数回しかない。この仕事でドラゴンと再び出会う日はいつか来るんだろうか、と少し現実逃避しながら、ダイヤモンドのバーをオリハルコン製に付け替えた僕は、いよいよ作業を再開する──と思ったその瞬間。


 フォンファの顎が、「ガポンッ」と音を立てて外れた。


「うべへえ!? 何!?」


 思わず手が止まる。いや、止まるしかない。どうしたらいいのかなんて誰も教えてくれない現象が目の前で起きたんだから。


 しかし当の本人は動揺することなく、左手を上げて僕を制止すると、慣れた手つきで顎を元の位置に戻した。さらにはポケットから巨大なホッチキスを取り出し、裂けた部分を無表情で留めていく。


「……今の、どういうこと?」


「昔、クソアホ脳筋に不意打ち食らったんす。大丈夫っす。続けていいっす」


 大丈夫ってなんだ。仰向けになりながら、もう何事もなかったかのように振る舞うフォンファ。いやいや続けていいって……犬歯の欠けよりも、さっきの顎外れ事件のほうがよっぽど大問題なんじゃないの。


 困惑を抱えつつも、僕は処置を再開する。目の前の犬歯を滑らかに削りながら、心の中では「キョンシーの顎がちぎれるリスクについて」とケースレポートでも書いてみるか、と不安混じりの冗談を考えていた。


「はい、終わり」


 僕は右目に左手をかざし、薄く光る魔法陣を浮かび上がらせた。そのまま、フォンファの右目の前にも右手をかざして同じ魔法陣を展開する。視界を共有するための一般的な魔法だ。察したらしいフォンファは左目を閉じて、右目だけで魔法陣をじっと覗き込む。


「おお、すげえっす! 見た目そんな変わんないっすね!」


 その声には好奇心と興奮が混じっていて、少し和やかな気持ちになる。


「ざらつきとか、違和感もない?」


 僕が尋ねると、フォンファは舌先で犬歯をぺろぺろ舐めながら確認した。


「ないっす! マジですごいっすね!! 疑ってすいませんした!」


 意外なほど素直な反応だ。僕の心も少し晴れる。お礼を言われるのって、やっぱり悪い気はしない。


「歯医者冥利に尽きるよ。じゃあ、椅子起こすからうがいしてね」


 僕が椅子を起こすと、フォンファは口をすすぎながら、うんうんと何度も頷いて感心している様子だった。だが、その余韻を断ち切るように、僕が料金を告げると、彼女の動きは一瞬で止まった。


「えっと、費用だけど50万ルビーだね」


「……50万!? ちょっと削っただけじゃないっすか!高すぎるっす!ぼったくりっすよ!」


 抗議の声は予想していたので、僕は冷静に説明を始めた。


「あのね、フォンファちゃん。モンスターは保険が効かないんだ。それに、オリハルコンのバーってものすごく希少でさ。サイズ違いのセットが300億くらいするんだよね。まあ、僕は知り合いから安く譲ってもらったけど、それでも高い。あと特注のダイヤモンドのバーも壊れちゃったし……。むしろこれ、良心的な価格設定だと思うけど?」


「うっ……」


 反論できないのか、フォンファは口ごもりつつ、小さく頷いた。ようやく納得してくれたかと思った次の瞬間、彼女は椅子から勢いよく立ち上がり、勢いよく叫んだ。


「でもウチ、家に帰っても金ないっす。ここで働かせてくださいっす!」


 唐突な申し出に、僕は思わず手を止め、目を瞬かせた。まさか、ここからアルバイトの面接が始まるなんて誰が予想しただろうか。


 フォンファの声が響くやいなや、本日何度目かの引き戸が勢いよく開く音がした。


「いやだゆ! 噛まれてゾンビになるのは怖いゆ!」

「噛まねーっすから!」


 室内に飛び込むキリアと、それに即座に反論するフォンファ。どうやら議論は平行線らしい。僕はその様子を見て思わず笑みが漏れた。


「まあまあ、キリちゃん。手伝ってくれるなら助かるよ。実際、忙しいときは人手が欲しいしね」


 僕の言葉に、キリアは少し膨れた顔をしながらも、渋々頷く。


「むう……仕方ないゆ」


 そして、そんな彼女にフォンファが満面の笑みで深々と頭を下げた。


「よろしく頼むっすよ、先輩!」


 その瞬間、外から聞こえる雨音が院内にじんわりと染み込むように響き、いつもとは違う、どこか柔らかな雰囲気が広がり始めた。


 そんな空気の中、キリアはぽかんと口を開けて、フォンファをじっと見つめている。


「……なんすか? おかしいっすか? 先輩っすよね」


 戸惑うフォンファに、キリアはピンと背筋を伸ばして名乗った。


「キリアっていうんゆ。キリア先輩、と呼んでほしいゆ!」


「キリア先輩……」


 その言葉を聞いた瞬間、キリアは満足げに頷き、口元を緩めた。


「──悪くないゆ」


 そう呟くと、彼女は一瞬だけ照れたように目を伏せ、それから勢いよく表情を引き締めた。


「フォンファ、手本を見せてやるゆ! まず院内を案内するゆ。それと、これが制服だゆ。それに名札もつけるゆ!」


 そう言いながら、チャコールグレーのスクラブと名札を手渡すキリア。威厳を保ちつつも、ほんの少しだけ弾む足取りでスタッフルームへ向かう。その背中を見つめながら、フォンファは呆気に取られた顔をしていたが、やがて苦笑しながら言った。


「う、うす! あ、ありがとうっす……キリア先輩」


「うむ、それでいいゆ!」


 キリアの嬉しそうな背中を見て、僕は微かに笑った。


「なんだかんだで、彼女も嬉しいんだよ。モンスターを診る歯医者って、怖がってみんな勤めようともしないから。キリアにとってフォンファが初めての後輩なんだ。先輩風吹かせるなんて、今まで想像もしなかっただろうね」


 僕の言葉に、フォンファは軽く肩をすくめながらも、どこか楽しげに小さく拳を握った。


「……ま、そういう感じなら、キリア先輩のためにもいい後輩になってやるっすよ。まあ、金稼ぐのが一番の目的っすけどね!」


 その言葉を最後に、フォンファはキリアの後を追いかけていく。


 キリアが威勢よく院内の説明を始める声が、雨音をかき消すように響き渡る。その声にはほんの少しだけ自信と誇らしさが滲んでいて、なんだかこっちまで晴れやかな気分になった。


 こうして、雨の日特有の静けさに、小さな喧騒が新しく加わり始める。どこか賑やかで、少しだけ温かい午後が訪れていた。

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