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Psychopathic Healer Ⅰ




 昨日の嵐が嘘みたいに、医院の上空はこれでもかってくらいの青空。雲ひとつない、絵に描いたみたいな晴天っす。


 ウチは隣町から引っ越してきたばかりで、この「AMDS」でキリア先輩と同じく住み込みの新米スタッフになったっす。働かせてもらうのはありがたいけど、初日から緊張しっぱなしだ。


 今日も早起きして、誰よりも先に院内を掃除中。掃除くらいは文句言わせないように仕上げるつもりで、隅々まで念入りに拭いて回った。開院30分前には、どこを見てもピカピカ。むしろやりすぎた気もするけど、これくらいやっとけば先輩風吹かせてくる先輩も満足するっすよね。


「でも、昨日は結局ウチしか患者来なかったし、しかも治療代も払ってないんすけど……本当に大丈夫なんすかね。ま、ウチが言えたことじゃないっすけど」


 身の丈よりちょっと小さめの箒を支えに頬杖をつきながら、キレイすぎる院内を見渡してため息をつく。ふと視線を入り口に移すと、ドアベルが目に入った。そういえば、あのベルって掃除してないのに全然埃がたまらないんすよね。どういう仕組みなんだろ。魔法的なアレか?それとも……


 そんなことをぼんやり考えていたら、突然ベルが「チリン」と軽やかに鳴った。


「おはようございます」


 丁寧に頭を下げて入ってきたのは、壮年のゴブリンだった。スーツをきっちり着こなしてて、歩き方からして妙に品がある。そんな姿に少し圧倒されつつ、彼が椅子に腰掛けるのを見守った。


 初めての本物の患者、到来ってわけっすね。


「あ、おはようございますっす」


 反射的に挨拶を返したものの、声に気圧されていたのは事実っす。目の前の壮年ゴブリンが持つ妙に整った雰囲気に、ちょっと緊張してしまった。とはいえ、ウチの声がかき消されるのも時間の問題だった。


「おはよー。あら、皆さん早いのね」


 ベルが再び鳴るや否や、今度は雪女が涼やかな声で入ってきた。控えめに微笑みながら、スッと椅子に腰を下ろす。その動作の美しさに、なんだかこちらが場違いに感じてしまうっす。


「おはよっす」

「うっす」

「お世話になります」

「どうも」

「……」


 気付けば次々とモンスターたちが押し寄せ、待合室は一瞬で満員に。ゴブリン、スライム、翼の生えたケンタウロス──ウチが見たことないやつばっかりっす。ベルは鳴りっぱなしで、音が止まる気配はない。これって本当に歯医者の朝っすか?


「あ、お、おはようっす!み、みなさんお待ちになってくださいっす……!」


 大きめの声を出してみたものの、院内の喧騒に完全に飲まれていた。いやこれ、下手したら冒険者がここに来たら「モンスターハウスだ!」とか叫んで逃げるやつっすよ。むしろウチがその冒険者になりたいくらいっす。


「みんな、診察券を出すゆ!」


 声に反応して振り向くと、先輩がいつの間にか受付に立っていた。小柄な身体を張って、患者たちをきっちり整理していく姿は正直頼もしいっす。昨日のあの先輩風吹かせてた態度が、今はめっちゃありがたい。


「おはようっす。キリア先輩!」

「ふんゆ。もう医院には慣れたかゆ?」


 そう聞かれて、思わず顔が引きつるっす。どの口が言うんすか、それ。ウチ、昨日入ったばっかっすよ?


「先輩、ウチ昨日入ったばっかっすよ」


 思ったことをそのまま返すと、先輩は少し目を細めてニヤリと笑った。なんなんすか、その余裕の態度。こっちは今にもモンスターに押し潰されそうなんすけど!


 ウチの返事に耳を貸さないように、先輩が眉をひそめる。


「うっわ、あいつが来るゆ」

「え、あいつって誰すか?」


 その言葉に促されるように視線を向けると、先輩の目は入口に釘付けになっていた。


「最悪だゆ。混んでるのに空気読めゆ……」


 ベルの音も立てず、ドアがゆっくりと開く。その隙間から現れたのは一人の女だった。


 ローブで覆われた豊満な体つき。無駄なく整った所作。ブーツを揃えるだけの仕草なのに、それだけで周囲に緊張が走る。そして、手にした杖──いや、あれは杖と呼ぶにはあまりにも異様だった。巨人の腕を模した造形。地面を押さえる左手と、力強く拳を突き上げる右手が異様な迫力を放っている。


「どうも、皆さんこんにちは。ご安心を。私はただの患者ですよ」


 女性が薄く微笑んで待合室を見渡す。その視線が触れるたびに、モンスターたちが縮こまるのが見て取れた。


「サイコパスヒーラーが……」

「死神のゲラティーだ!」

「目を合わせちゃダメ!」


 ざわざわと震える声が周囲から漏れる。名前を聞いて、ウチも内心ゾッとした。ああ、なんかこの雰囲気、冒険者ギルドで噂になってた奴っぽいっすね。


「やめときなよ。すみません、診てもらったらすぐに出ますので」


 不意に場を割った声は、女性──ゲラティーじゃなくて、その杖から発せられていた。


「持ち主と違って、ロッドさんはまともだゆ」

「ロッドさん……って、誰すかそれ」

「そのヘンテコな杖だゆ」


 改めて杖を見ると、右手の拳がゆっくりと開いた。そして、その中心に人間の顔が浮かび上がる。イケメン風な顔立ちで、どこか余裕を漂わせた表情。思わず目が合うと、ロッドさんが微笑んだ。ウチも思わずぎこちなく笑い返してしまう。


 いや、ちょっと待って。杖が喋るだけでも異常なのに、こっちに笑いかけてくるってどういうことっすか。


「変じゃないわ。これは造形美よ。クソ人魚姫様」


 そう言いながら、ゲラティーが杖を受付カウンターにドンと押し付けた。その先端──ロッドさんの顔がキリア先輩に向けられている。人間の表情をした杖が何か言いたげに見えるの、割とキモいっす。


「やあ、キリアさん。元気かい?」

「こんにちはロッドさん。元気だゆ。他意はないゆ。でもゲラティー、貴様の診察券だけオリコカードのサイズにしてやろうかゆ」

「先輩、それ伝わらんっす!ニッチすぎる!」

「あんらぁ、受付ちゃん。そんな大きくしちゃったら、困るのはそちらじゃない?」


 口を挟んだのに、キリア先輩とゲラティーの視線が完全にウチをスルーしてる。しかも待合室にいる他のモンスターたち、さっきまでの緊張感がどっか行って、なんかクスクス笑ってるし。ゲラティーも大口開けて笑っている。まさか先輩、診察券ネタで緊張をほぐす作戦……なわけないか。


「院内ではお静かにお願いしますゆ」

 突然、先輩がピシャリと言い放つ。その声に、待合室が一瞬だけしんとした。でも次の瞬間にはまた軽口の応酬が始まる。


「造形美?ふん、ゲラティーの趣味のせいで、ロッドさんも大変だゆ」

 先輩は、ロッドさんに憐れみの目を向けている。

「キリアさん、君こそ造形美だ。いつも冷たそうで、実は優しいその感じ──僕の理想だね」

「はゅ……持ち主のバカさがうつってるゆ」


 待合室の空気は、今やただの漫才会場と化していたっす。ウチは一瞬、天井の電灯に目をやる。このノリ、どう捉えればいいんすかね。


 そんな中、医院の奥からアマギ先生がぬっと現れて手を叩く。


「はーい、ゲラティーさん、五番のお部屋どうぞー!」


 その声で、待合室がやっと元の目的──病院っぽい雰囲気──を思い出した。ゲラティーはすっと立ち上がり、ロッドさんを肩にかけて意気揚々と診察室に向かう。


「はい!先生!」


 その声だけはなぜか妙に素直で、ちょっとムカつく。いや、それ以前に。

 こんな感じで賑やかなのが、この医院の日常らしいっす。今日もまた一日、忙しくなりそうだ。


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