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Psychopathic Healer Ⅱ



 待合室をすり抜けて、ようやく五番ユニットに辿り着いた。モンスター、もとい患者さんでごった返している狭いところををぎりぎりで避けて、通り抜けたせいで、少し息が上がる。中ではすでに問診が始まってるっぽい。やべえ、出遅れたっす。急いでアシスト席に滑り込む。


「──そうでしたか。それで今日はどうされましたか?」

 アマギ先生が淡々とした声で尋ねる。診察台にはゲラティーが寝そべり、例の杖──ロッドさんを胸の前に縦に抱えている。なんつーか、教会にありそうな絵画つーか、妙に神聖みがある姿勢だ。


「アマギ先生に見てもらいたいことがあって」

 そう言いながらゲラティーは杖を軽く撫でると、先生以外の男の声が聞こえてくる。


「俺の口、最近やたらと口内炎ができるんです」


 ……誰の口?いや、杖の方がしゃべった。何事もなかったかのように、ロッドさんが口を開いて喋る。


「いや、そっちかい!」

 思わず声が出た。診療室の静けさをぶち壊したのが、他でもないウチのツッコミだと気づくのに、少し時間がかかった。


「おい、普通に考えて、ゲラティーさんじゃないんすか!」

 言ってから「あっ」と口を押さえた。けどもう遅い。顔を真っ赤にして「す、すいませんした」と小声で謝ると、ロッドさんは微笑んでウィンクしてきた。100%、ウチが悪いんすけど、ちょっと腹立っす。


「大丈夫ですよ。実際、アマギ先生も初めて診た時、全く同じことをおっしゃってましたから」


 ロッドさんの言葉に、先生が苦笑しながら頷く。そして、青白い光──おそらくグローブのような魔法──を手に纏わせると、そっと杖の口元にかざして、中を覗き込んだ。


「んー、なるほど……ロッドさん、ここ数日で何か変わったことはありましたか?」


「特にないですね。食べ物はユイと同じものを共有してますし、変わった使い方をされた覚えもないです」


 その答えを聞きながら、ユイ──ゲラティーが、ぼそっと補足を入れる。


「ロッドさんはね、そもそも食べる機能ないんですよ。それでも一応、きちんと磨いてるんですけどね」


 いや、磨くんだ。その情報にちょっと驚きつつ、ウチは先生の動きを横目で追う。真剣な顔で診察を進めているのを見ると、さっきの失態がより恥ずかしくなる。でも──この杖、ほんとに患者さんなんすね。診察台で目を細めるその姿に、小慣れた謎の貫禄すら漂ってる気がするのは気のせいっすかね。


 ん?「磨いてる……?」先のゲラティーの言葉がどこかで引っかかり思わず口に出して反芻してしまう。この違和感の正体がつかめなくて、ウチは思わず首をかしげた。


「そう、磨いてるの!」

 ウチの独り言を聞いていたゲラティーが自信満々に胸を張る。どうやら自慢のポイントらしい。


「私がロッドの表面、ピカピカにするのよ!」


「えっと、それって……歯じゃなくて杖全体のことっすか?」


 ウチが恐る恐る確認すると、ゲラティーは力強く頷いた。


「そうよ!ロッドは私の相棒だから、ケアは欠かさないんだから!」


 いや、そういう問題じゃないだろ──とツッコミを入れかけたけど、失態のことを思い出しぐっと飲み込む。それに彼女の得意げな顔を見てたら、なんか言えなくなったっす。


 横で先生が、そんなウチらのやり取りを完無視して診察を続けている。やっぱり真剣そのものの表情だ。


「ふむ……炎症の範囲は軽度ですが、繰り返しているとなると、何らかの摩擦や刺激が原因かもしれませんね。最近、どこかでぶつけたりしませんでしたか?」


 先生の言葉に、ロッドさんがちょっと考え込む。そして、ぽつりと答えた。


「ぶつけた覚えはないけど……ああ、そういえばユイが前に感情的になった時、思いっきり地面に叩きつけられたことがあったかも……」


「おい!」

 ゲラティーが慌てて抗議するけど、ロッドさんは全く悪びれた様子がない。


「いや、事実だろ? あの時の衝撃、まだ覚えてるんだから」


「それは私が悪いけど、関係ないでしょ!」


「関係あるかどうかは僕が判断しますねー」

 先生がやんわりと会話に割り込んだ。テンションに差がありすぎて、なんか笑える。


「一応、衝撃の記録は取っておきますが、まずは応急処置をしましょう。ロッドさん、炎症部分には専用の軟膏を塗布します。ユイさん、次からもう少し優しく扱ってあげてください」


「はーい……」

 ゲラティーがしぶしぶ返事をする姿を見て、ウチは少しホッとした。いやまあ、ロッドさんも災難だけど。変なとこを世話焼きすぎる主と妙に達観してる杖。これで意外とバランス取れてるのが面白いっすね。


 ロッドさんが急に口を閉じて真顔になった。その顔、どこか不自然に見えるっす。先生も同じように思ったらしい。


「ロッドさんの顔、なんかいじりました?」

 先生が首をかしげて尋ねると、ゲラティーが「てへへ」と照れ笑いしながら頭をかいた。


「あ、バレました?」


 そういうデザイン──顔つきかと思ってたけど、ウチから見ても鼻筋とか高すぎるっていうか細すぎるっていうか。


「いやいや、明らかに変わってますよね、鼻先とか口元の感じとか」

 先生のツッコミに、ゲラティーはさらに得意げな顔になった。


「先週、彼を見てたら、ちょっとデザインいじりたくなっちゃいまして。ヒールの要領で造形変えてみたんです」


 ……造形変えるって何?杖の顔を整形する概念があること自体、ウチの中で衝撃だった。


「……俺、整形されてたの?」

 ロッドさんが口を開けたままぽかんとする。その表情がなんとも言えず滑稽で、思わず笑いそうになった。


「そうですよ。初診の頃と比べたらだいぶ違います。面影ないです」

 ゲラティーがさらっと言い切る。悪びれるどころか、むしろ誇らしげだ。


「マジで?」

「はい。残念ながら」


「歯医者で『残念ながら』って言われるとなんか怖いですね」

 寝転んでいるゲラティーが、他人ごとのようにけらけらと笑っている。


「いや、そこ笑うところじゃなくないか?」

 ロッドさんが呆れたように言うと、ゲラティーは肩をすくめてこう返した。


「美の追求には代償が必要なのよ」


 まるで芸術家みたいな口調っすね。ゲラティーのこの自信、どこからくるのか本当に謎だ。


 先生は手を止めて、また少しだけ真顔になる。何かを考えているのだろう。診察室の空気が一瞬だけ静まった。



「まぁ、ユイさんなら治せるとは思いますけどね。一応、治療法を説明します」

 先生がいつもの落ち着いた口調で話し始めた。けど、その内容は全然落ち着けないっすよ。


「二パターンあります。極小の火炎か雷魔法で炎症部分を焼いて、ご自身の治癒力を活性化させるやり方。これは、焼くときにちょっと痛いです」


 想像すると痛そうで、ウチは思わず顔を顰めた。マスクをしてるからバレてないはずっす。


「もうひとつは、隣接している正常な粘膜をコピーしてペーストする方法。ただし、こっちは繋ぎ目の神経と血管を無理やりくっつけるので、治るまで二週間くらいジワジワ痛いです」


 ジワジワ痛い、って何だそれ……聞いてるだけで嫌な気分になってくるっす。


「えっ、どっちも痛いんですか……?」

 ロッドさんが引きつった顔で尋ねると、先生はさらっと答えた。


「もちろんです」

ロッドさんの顔がさらに引きつる。杖なのに可哀想に思えてくるから不思議っす。


「で、値段ですけど、前者が5万ルビー、後者が10万ルビーです。麻酔魔法を使いたい場合は追加で20万ルビーですね」


「たっか!口内炎ですよ?」

 思わず声を張り上げたっす。いや、助手としてこんなリアクションするのもどうかと思うけど、それでも高すぎる。


「いやいや、ヒーラー的にはこれでもかなり格安です」

 そうフォローしたのは、なぜか患者側のゲラティーだった。


「私がやるなら、同じ治療で100万は取ります」


「100万!?」

 衝撃でウチの声が完全に裏返ったっす。マジで耳を疑った。


「アホでしょ!口内炎なんて放っときゃ治るんだから!」


「でも、戦場で口の中が痛いままだと、命取りになることもありますから」

 ゲラティーが淡々と言い切る。その冷静さが逆に怖い。


 先生もそれに同意するようにうなずいた。

「そう。戦闘中、痛みに気を取られて一瞬でも隙を見せたら、負けますからね」


「……その代償、口内炎に払うべきかどうかって話ですけどね」

 ウチは呆れながら言ったが、ゲラティーはやっぱり楽しそうに笑うだけだった。


「君だって、口が痛くて魔法唱えられなかった経験、あるでしょ?」

 そう言われて、ウチは一瞬だけ考え込む。でもすぐに言い返した。


「ウチは、だいたい拳一本でどうにかしますんで」


「まあ、あなたみたいな特殊な前衛ならね。それでも問題ないでしょう。でも、普通は違うの。現代の戦闘において、魔法を使わない局面なんてほぼないわ。一分、一秒が命を分ける戦場で、詠唱中に口が痛いなんて致命的よ」


 ゲラティーの声が急に低くなり、ウチをじっと見据える。その目が冷ややかで、けど何かを試すようでもあって、思わず息を飲んだっす。


「詠唱が遅れれば、敵の魔法が先に着弾する。最悪、あなたの魔法は不発になる。そして結果的に――死ぬわよ」


「う……」

 ウチはぐっと言葉を飲み込んだ。なんか、説教されてる生徒になった気分だっす。


「見たところ、あなたも魔法をかじったことがあるようだけど……独学かしら?魔法職にとって、口のトラブルは戦闘不能に直結するの。ジャムりやすい銃を持って戦場に行くようなものよ」


「言われてみれば、そうっすね……納得っす」

 気づけば肩が完全に落ちてた。こうしてウチの反抗心は、ゲラティーの冷静な言葉にミジンコみたいに潰されたわけっす。


「そういう話がわかる方がいらっしゃると助かります」

 先生がさらっと言うと、手のグローブ魔法を解除した。その動作の流れで、突然ウチの後頭部に手が置かれる。


「ほら、フォンファさん。感謝の気持ちは言葉にしないと」

 ぐいっと押されて、ウチの頭が強制的に下がる。


「ありがとうございまーす……」

 やけくそ気味に言葉を吐き出すと、ゲラティーがくすっと笑った。その笑顔が何だか妙に余裕たっぷりで、こっちは無性に悔しいっす。


「良かったわね。死ぬ前に気づいて。口を狙ってくる敵が多い理由や、詠唱補助の呪具が高額で取引されるのも、このためよ」


「は、はぁ……勉強になりました。ありがとうございます」

 ウチは今度は自分から頭を下げた。というか、これ以上逆らっても無駄だって直感が告げてる。先生もゲラティーも、なんか話のレベルが違いすぎるっす。


「さて、それじゃあ治療はどっちにしますか?」

 先生が笑顔で問いかける。ほんと、無駄に優しげなその表情がたまに怖い。


「私が治しますわ」


「ええええええっ!」

 その瞬間、ウチの背筋は驚きで反射的にピンと伸びた。思わず声を張り上げてしまう。


「もちろん、費用はお支払いしますわよ、フォンファちゃん」

 ゲラティーが意地悪そうな微笑みを浮かべる。その余裕ぶった態度がさらにウチを焦らせた。


「そ、そんなの必要ないですよ!」

 先生が慌てて制止するが、ゲラティーは軽く首を振った。


「いけませんわ。先生のお時間をいただいているのですもの。この間にどれだけの患者さんが助けられたか──そう考えると、当然のことです」


 この論理展開のスムーズさ、圧が強すぎるっすよ……!


「わ、わかりました。再診料だけで結構ですから」

 先生は仕方なく折れた。渋々といった表情が隠せていない。


「受付でお支払いしておきますわね」

 ゲラティーは軽やかにユニットから立ち上がり、受付へ向かう。その姿が無駄に優雅で、こっちは完全に置いてけぼりっす。


「あの人、なんであんなに隙がないんすかね……」

 思わずぽつりとつぶやいた。


「隙がないというより、隙を隠すのが上手なんだよ」

 先生がそう言って微笑む。けどその顔は、ウチにはちょっとだけ疲れて見えた。先生でもあの人にはタジタジなんだな、と妙な安心を覚える。


 戦場では敵なしのウチも、結局、この診療室では自分の立ち位置すら危ういことを思い知った。


「終わったわよ。治療はしてないから、再診料だけみたいね」


 ゲラティーの声がこちらにも微かに聞こえてくる。その声にはどこか余裕のある響きがあった。ウチが「それでも結構なお金なのでは……」と思う隙間もなく、遠くから先輩の不満げな声が診療室全体に響き渡る。


「再診料だけゆ!?意味わかんないゆ!!1000万くらいぼったくれゆ!!アマギ先生!!」


「ひっ!」

 ウチは思わず肩をすくめた。先輩がゲラティーを嫌ってる理由を知りたくなってしまう。


 先生はその声に慌ててカルテを捲る手をとめて、必死の表情で受付へ駆け出していった。きっと、先輩はまだゲラティーにつっかかっているんだろう。それをどうにかしてなだめるつもりかもだけど、大事になりませんようにと、心の中でひっそり祈る。


 先生の走り去る後ろ姿を見送りながら、ふと思う。


 ──この医院にいて、大丈夫なんっすかね。ウチの金稼ぎどころか、むしろここの赤字に巻き込まれてるんじゃ……。


 そんな漠然とした不安が胸に浮かんだ。でも、現実的に何をどうすればいいのかなんて全然わからない。それに気づいた途端、その考えは清拭したユニットのアルコールが乾くよりも早く、どこかへ消えていった。


 考えたところで、ウチの一日はまだ始まったばかりだ。やるべきことは山ほどある。でも、それは悪いことじゃない。むしろ、どんなモンスターがどんな悩みを抱えてるのか知れると思うと、不安よりも興味が勝るっす。


 世界には、まだまだウチが知らない悩みが溢れてる。そう考えると、次の患者に会うのが少し楽しみになってきた。

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