また雨だ。
どうやら僕の歯科医院──AMDSは、晴れと雨で患者の数が露骨に変わる。晴れの日はお祭り騒ぎみたいに人が押し寄せるのに、雨になるとこれだ。閑古鳥が鳴くどころか、鳥すらどこかに隠れてる。
前に「雨の日対策を」とコンサルタントを呼んだことがある。餅は餅屋に任せろってことで。でも、その打ち合わせの日が雨でさ。うん、お察しの通り、コンサルタントすら来なかった。雨が降ると、ここらへん一帯はまるでゴーストタウンだ。何が怖いって理由は誰も教えてくれない。「なんか怖いんです」って患者たちは言うけど、抽象的すぎて意味不明だ。
散歩がてらその理由を探しに行ったこともあるけど、雨の日は裏庭のウサギも、近くの山の巨大サソリも、キラービーだって大人しい。自然界まるごと休業日みたいな静けさだ。怖いどころか、むしろ平和そのもの。
こうして今日も誰も来ない雨の日、僕はスタッフルームで「営業日」の話を切り出した。そこには、モニターに張り付くゲーがついたマーメイドのキリアと、ウーロン茶を啜るキョンシーのフォンファがいる。
「ねえ、キリちゃんとフォンファ、営業日の話なんだけど」
「私はそれでいいゆ」
モニターを見つめたまま、キリアが未来を見たかのように適当な返事をする。
「え、何の話っすか?」
フォンファはお茶を置きながら聞き返してくる。
「雨の日ってほぼ開店休業みたいなものだけど、休みが必要じゃない?」
「それでいいゆって言ったゆ」
キリアはボタンをガチャガチャ押しながら答えるけど、完全にこっちを見ていない。フォンファは少し考えてから、意外なことを言った。
「欲しいですよ、休み。普通に」
「なんだとゆ。雨の日はほぼ休みみたいなもので給料も出てるゆ。有給だゆ」
「それ、先輩の主観っすよね。ウチは晴れの日に遊びたいっす」
「ぐぬゆ」
キリアが悔しそうに呻くのを見て、僕は微笑んだ。
「まあまあ、それも一理ある。じゃあ雨の日は休みにしようか?」
「いやゆ!私だけでも営業するゆ!」
「無茶っすよ、先輩。それにキリ先輩なら本当にやりそうで怖いっす」
「だってお金ないと困るんゆ」
キリアが小さな声でそう言うと、フォンファが不思議そうに首を傾げた。
「なんでっすか?」
「それは……言えないゆ」
急に黙り込むキリア。僕は苦笑いしながらフォローを入れた。
「まあまあ、キリちゃんにも事情があるんだよ」
「すみません、なんかウチ、無神経でした」
二人が押し黙ると、フォンファがふと別の話題を振ってきた。
「ところで、先輩たち何連勤なんすか?」
「覚えてないゆ」
「僕も覚えてない。四年くらいかな?」
「……それって、1400連勤とかっすか?」
フォンファは口をポカンと開けて驚いている。
「それくらいになるゆ」
「アホっすよ!連続ログボじゃあるまいし!歯を治す代わりに自分たちが壊れるっす!」
「でも雨の日、本当に誰も来ないんだって」
「ウチは来ましたけど?」
「んー、わかった。こうしよう。雨の日はフォンちゃんだけ休みにする」
「えっ、ウチだけ?まあ、それでいいっす。先輩たち、壊れる前に休んでくださいっす」
「しばらくすれば嫌でもわかるゆ」
「ウチは外を散歩したいっす!」
「あ、雨の日は関係なく外に出ていいよ。何かあったら呼ぶし、安全だから」
「え、自由行動ってことっすか?」
「そうだゆ」
「じゃあ休みいらないっす!」
フォンファは満面の笑みを浮かべて出入り口に向かった。長靴を履いて、足元にサラリと撥水魔法をかけると、振り返りもせずこう言い放つ。
「では、お土産買ってくるっす。お留守番よろしっす」
チリンチリン、とドアベルが鳴る。次の瞬間、その音にかぶせるように声が飛び込んできた。
「こんにちは。やってますか?」
僕が反応するより早く、フォンファが目の前でピタリと止まる。
黒く大きな蝙蝠傘に、これでもかというほど漆黒な雨合羽を纏った少女が立っていた。
フォンファの前に。
「……どうぞっす」
どうぞ、の言葉とは裏腹に、フォンファの表情が曇った。どんよりと。いつもの失礼キャラを通り越して、なんだか全てを諦めたような雰囲気を漂わせている。
「何故わたくしを見てテンションが下がるのかしら?」
「えっ……」
「わたくし、そんなにダメかしら。」
そう言って少女は自分の体を見下ろす仕草をする。雨粒の落ちる音がやけに大きく響いた気がした。
「あ、いや!そんな!違うっす!個人的な理由っす!」
「個人的な理由?」
「患者様はとても素敵っす!!」
声が上ずったフォンファを一瞥すると、少女は静かにため息をついた。
「診察券、ありますかゆ?」
後ろからキリアが声をかける。いつの間にそこにいたのか、全く気配を感じさせない辺り、さすがだなと思う。
「ああ、それなんですが……忘れてしまいましたの。以前こちらに、治療ではなく相談だけさせていただいたかと」
「それでは、フルネームをお願いしますゆ」
「ミルカラ・エルジェーベトと申します」
その名前を聞いた瞬間、僕の中で一気にピースが繋がった。エルジェーベト家。吸血鬼一族の中でも最上位の、真祖と呼ばれる存在だ。僕は思わず前に出て、頭を軽く下げた。
「エルジェーベト家の方でしたか。これは大変失礼いたしました。どうぞ、奥の一番のお部屋へ。」
ミルカラは軽く頷くと、蝙蝠傘を畳み、ツカツカと医院の中へ入っていく。彼女の衣服には雨粒ひとつ残っていなかった。魔法だろうか?それとも吸血鬼特有の能力?僕は気になりつつも診療室へ向かい、彼女が椅子に腰掛けるのを待つ。
考えをまとめようと頭をフル回転させた。
エルジェーベト家──吸血鬼の頂点に立つ彼らは、外界からの干渉をほとんど受け付けないと言われている。だからこそ長く生き延び、個体数は少ないながらもその力を保っているのだろう。
けれど、そんな彼女が、雨の日に僕の医院を訪れた理由は何だろう。僕は診療用のライトを準備しながら、いくつもの仮説を組み立てては壊し、また組み立てた。