患者の波がようやく引いて、ふうっと一息つける晴れた昼下がりのことだった。
僕は診察室の椅子に腰を下ろしたまま、目の前にいる営業さんと話をしていた。いや、営業“さん”と言っていいのかちょっと迷うけど。
「先生、こちらなんですけどね!」
彼女は元気よく声を張り上げながら、透明な鞄──いや、どう見ても体と一体化している──から四角い箱を取り出した。その動きが妙に滑らかで、かつ慎重だ。箱を机に置くと、満面の笑顔を僕に向けてくる。ただ、その笑顔の奥にある背景が透けて見えてるのはどういうことだろう。
「これが我が社の誇る最新作でして!世界中どこを探しても、うちだけでしか売ってない超画期的な材料なんです!」
彼女の声は、何というか、妙に弾んでいた。普通の営業さんならもっと抑えめなトーンで売り込んでくるはずだけど、この人は違う。全力で楽しそうに話してくる。いや、それだけじゃない。なんかこう、動きが……独特だ。立っているというより、揺れている?いや、跳ねている?いやいや、そもそも、この営業さん──見れば見るほど普通じゃない。
ていうか、そもそも。
この営業さん、スーツを着ているけど、そのスーツ、普通じゃないんだよ。彼女僕の肌?と同じ感じで光を透過しているみたいでツルツルしてる。いや、トゥルトゥル?なんかおかしい。袖がぷるぷる動いてるんだけど。……これ、スーツじゃないよな。
……もしかしてこの人──。
「ほお、してどんなです?」
とりあえず僕は冷静ぶって返した。けど心の中はすでに軽いパニックだ。ただの昼下がりの営業トークだと思っていたのに、どうやら今日はちょっと違う日になりそうだ。
僕の言葉に、目の前の営業さんはふっと微笑んで、スーツの袖をスッと直した。いや、正確には「袖っぽい部分」と言うべきだろうか。スーツを着ているように見えるけど、どう見てもそれ、体の一部じゃないか?透明でジェルみたいな質感が診療室の光を優しく僕に反射してくる。
「これです!」
営業さんは机にハードケースをトンと置いた。机の上が、彼女からポトリと溢れでたジェルで濡れる。僕は驚いて様子をみていたら、そのジェルはいそいそと勝手に動き彼女のスーツの裾にくっつくと、するりと吸収されて消えてしまった。
目にした光景に目が点になっていると、素知らぬ様子で彼女がハードケースをぱかりと開く。
──え?今の何?──
とてもツッコミたいが、彼女の笑顔の前ではそんな身体的特徴を聞くようなデリカシーのないことはできず、おとなしく僕はハードケースの中身を見るため腰を折り曲げて覗き込んだ。
黒いクッションで裏打ちされたケースの中には、どこか光沢のある15㎤ほどの白い素材のブロック──おそらく見本──と、粉がつまった容器と、液体で満たされた瓶が入っている。それを指しながら、彼女は声を少し弾ませた。
「最新の技術で作られたレジンです。衝撃吸収性に優れていて、さらに…」
レジンってのは、つまり、粉と液を練り合わせると固まるプラスチック、樹脂のことだ。人間の入れ歯だったり、仮歯だったり、あとは詰め物にも入ってたりする。それはさておき──。
「えっと……」
彼女は言葉を探すように一瞬黙り、ちょっと困った顔になったかと思うと、次の瞬間、その体──いやスーツの一部が裂けて、ぶにゅっと伸びた。そして、彼女の鞄からいやどうみても彼女の体の中から、2mはあろうかという抜歯鉗子(歯を抜くペンチみたいなやつ)を取り出して、
「こうやっても割れないんです!」
ブぉン、と素早くブロックを叩いてみせる。その動きが妙にスムーズで、何だか目を奪われた。
「ふーん。耐久性ねえ、たしかにウチの患者さん咬合力強すぎるからなあ。他に、なんかアピールポイントはあるの?」
僕が冷静ぶるのを崩さずに聞くと、彼女は得意げな顔をしながら、人一人くらいは簡単に殺められそうな器具をくるくると手先(みたいなもの)で回し始めた。その仕草には、危うさと妙技の中に、あざとさがあって、目を逸らすのがちょっと惜しいくらいだった。ただ、ブォンブォンという風切音は怖い。手?触手?がちょっと滑ったら、院内に別の入り口ができちゃいそうで……あの、ちょっと、そろそろやめてほしい。
「あ、それなら、この材料、専、用、の、コーティング剤がありまして!それを使うと、耐久性だけじゃなくて、耐火性もバッチリです!患者さんが火を吹いたりしても、ほら!」
営業さんは鉗子を体の中にしまうと、自分のお腹らへんを指先ですくって、ぷにっとした小さなジェルの塊を切り出した。それをブロックに塗りつける。そして、どこからともなくとり出したバーナーで炎をブロックに吹きつけた。いやまあたしかに光り輝いてるけど、あれ、これって……いや、普通に考えて自分の体使うのってどうなんだ?
「……それ、営業トークとして大丈夫?」
僕が思わず苦笑すると、彼女はぱっと顔を赤く──いや、正確にはほんのりピンク色に変わった。体全体が。
「えへへ、ちょっとだけ実演です!もちろん、実際はこれと同じ効果をもつ専用のコーティング剤を使いますので!」
彼女なりのフォローのつもりかもしれないが、体の一部を使っている時点で説得力が……。いや、まあ、彼女の熱意は伝わるから、突っ込むのはやめておこう。
「で、そのコーティング剤も御社独自?」
僕が話を戻すと、彼女は嬉しそうに頷いた。
「そうです!私の、えーと、スライム族の特性を参考にして開発されたものなので!」
ここで気づいた。そうか、この人──いや、この営業さん──スライム族なんだ。今さらながら妙に納得した自分がいた。スライム族は、アイテムを体の中にストックできるし、どんなに激しく動いても、中のアイテムは壊れないって誰かがいってたような。スライム族の営業マン……いや、営業ウーマン。ある意味、最強なんじゃないだろうか?
「そうそう、自己紹介が遅れました!」
彼女はピョコンと飛び跳ねるように立ち上がり、まるでバネでも仕込まれているのかという勢いで腰を折った。そして、眩しすぎる笑顔を見せる。
「スライム族の営業担当、リィナと申します!よろしくお願いします!」
彼女のあどけない笑顔そのものが一種の武器みたいな威力で、思わず直視してしまう。しかも、その体全体がぷるぷる震えているのも妙に目を引く。癒されるというか、吸い込まれそうというか。いや、そんな暇ないだろ、僕。
だけど、彼女がお辞儀をするたびに、なんだかスライム特有の慣性が残っているみたいで、体全体が揺れるのを止められないらしい。ヒールのような靴だからか、わずかにバランスを保てていない。そして──。
「あっ!」
重心が崩れた彼女が僕に向かって倒れてくる。
「おっと!」
咄嗟に支えるけれど、手に伝わる感触が妙に柔らかい。ぷにん、とした弾力が掌に広がる。──え、これ、何?二つ?柔らかい……いや、全体的に柔らかいのか?もうどこに触れてるのかもわからない。
「す、すみません!私ったら!よく転ぶんです!」
彼女は体を整えながら顔を赤く──いや、ピンク色に染めて頭を下げる。それすらも柔らかく揺れるもんだから、目のやり場に困る。
「あ、でも!」彼女はえへんと大きな胸を張った(胸なのかどこなのかも不明だが)。
「器材は絶対壊れませんけどね!」
その得意げな笑顔に、どこか負けた気がした。
「いいんだ、気をつけてね」
そう言いながら、心臓の高鳴りをなんとか落ち着かせようと、僕は無意味に手遊びをして誤魔化した。