九条円邸での生活から一ヶ月が経ち、四月。
五年生になった俺は転校し、新たに隣町にある小学校へ通うことになった。
その理由はなんと、親父からの指令だ。
俺は生まれて初めて、親父から直接任務を命じられたのだ。
片道徒歩30分と、東京に住む小学生にしてはかなり遠いので、母親が「車で送り迎えしようか?」と言ってくれたのだが、「これもトレーニング」として歩くことにした。
前の小学校に未練はない。だが、双葉と同じ学校に通えないのが唯一の辛みだ。
一週目も二週目も、小学校の頃は朝と夜の通学、放課後の時間をずっと一緒に過ごしてきた。
そんな双葉とのささやかだけど掛け替えのない生活が終わってしまった。
未練がないと言えば嘘になる。葛藤もあった。
できればずっと傍にいて、彼女の成長を見守りたい。
だが二か月前の魔物との戦いを経て、俺だけでなく双葉も、二週目と比べて大きく成長した。
一週目よりも早く固有魔法に目覚め、現在は魔法の訓練に励んでいる。
互いに一週目の自分を大きく超える。そのために、こうして別々の道を歩む時間が必要なのだと自分に言い聞かせた。
何よりこの転校はあの親父から直々に、俺に与えられた任務だ。
見事達成して、親父を見返してやらなければならない。
それができてこそ、一週目の自分を越えたと言えるだろう。
よりよいルートを進んでいる。その確信を得るためにも、今は双葉と離れ、この学校での任務を完遂する必要がある。
それに、この任務を無事達成すれば、中学は双葉と同じところに進めるだろう。
少なくともそれまでは結城・阿空両家による夕飯の会はこれからも続いていこうと思っている。
これを機に疎遠に……なんてことにならないよう、注意しなくてはならない。
「隣町の○○小学校から転校してきました。結城一果です。よろしくお願いします」
行儀よく挨拶すると、教室から拍手を貰う。
歓迎ムードで何よりだ。以前の学校にいたときのように敵を沢山作って緊張感のある学校生活を送るのも悪くないのだが、今回は事情が異なる。
一般的な家庭にごく稀に魔力を持って生まれる者がいる。
覚醒者と呼ばれる突然変異的な魔法使いは、当然だがまったく魔法や魔物、魔法界に関する知識を持たぬまま、自分を異物だと思い込んで成長していく。
もっと古い時代には「忌み子」として殺されたり、一生座敷牢に閉じ込められて暮らすという不幸な者たちが大勢いた。
魔法協会ではそういった不幸な子供たちを保護し、適切な魔法教育を施す活動を行っている。
この学校に俺が来たのは、その隠れた覚醒者を見つけるために他ならない。
とはいえ、普段なら魔法協会の人たちだけで調査は事足りるはず。だがこの学校にいるということまではわかっても、誰かまでは特定できていないようだ。
こんな潜入調査のような真似をするということは、この学校にいる覚醒者はよほど魔力の痕跡を隠すのが上手いのか。
「それとも魔人に連なる何か……という可能性もある」
覚醒者がどんなヤツなのか、接触するまで不明。こんな危険な任務、普通は小学生には任せられない。
だからこそ、親父の子供である俺に白羽の矢が立ったのだろう。
「じゃあ結城くんはこの席に座ってくれるかな?」
「はい」
先生に言われた席に腰掛け、ホームルームの続きをのんびり聞いていた。
やがてチャイムが鳴り、周囲のガキ共が集まってくる。
そして、中でも一番目を引く、このクラスの中心人物と思われる派手な女が喋りかけてきた。
「私、
「ああ。よろしく」
「よろしくだってー」
「ねー!」
「なぁツイッチもってる?」
「なんのゲームやってる?」
そこから先は質問ラッシュ。
う、うぜぇ。
とはいえ今回は覚醒者を探すという明確な任務がある。
何せあの親父直々のお願いだ。こんなこと、一週目ではなかったからな。
見事覚醒者を探し出し、親父をあっと言わせたいところだ。
だから猫を被る。
「ねぇねぇ! 私が学校を案内してあげる!」
「わ、わぁ~。嬉しいな」
桐生絵美に連れられ、学校中を案内してもらった。
とはいっても前と同じ築数十年の公立の小学校だ。
とくにこれといった差はない。
精々が体育館の広さとか、男子トイレの便器の数だとか。その程度の差だ。
案内されがてら、覚醒者を探すために魔力の痕跡を辿ってみたが。
「俺にはわからんな」
魔法協会の連中が使っている計測器のようなものを使えばわかるのだろうが。
生憎そんなものは支給されなかったし、持っていては不審がられる。
他の奴らに見つかって先生に告げ口でもされたら面倒だ。
だから覚醒者が直接魔力を垂れ流しているところを見つける必要がある。
これは……結構長い調査になりそうだ。
「どうかな。私たちの学校。凄く楽しそうでしょう?」
「ああ」
学校中を一回りして教室に戻ってきた俺に、桐生絵美は笑いかける。
その無垢な笑顔から、この学校が本当に好きなのだということが伝わってくる。
「あのさ桐生さん。一つ聞いていいかな?」
だからこそ、俺は聞いてみることにする。
「うん! いいよいいよ。何でも聞いて!」
みんなが親切で転校生にも優しいこの小学校。
だからこそ異質で、気になっていたことがある。
俺は教室の窓際一番奥の席を指差す。
落書きだらけ、ゴミだらけ。そこに、女の子が一人座っている。
黒くて長い髪で顔を隠した幽霊のような女の子。
だが幽霊じゃない。
確かに彼女がそこに存在するにも関わらず、平気でそこにゴミを投げたりする者がいる。
クラスの子供たちも教師すら見て見ぬ振りをしている。
この親切そうな桐生絵美ですら一切触れなかったこの学校の闇。
そこに切り込んだ。
「なぁ、あれは何?」
俺が訪ねた瞬間、クラスの空気が凍ったのが手に取るようにわかった。